2025年4月14日月曜日

江漢西遊日記三 その46

P46 東京国立博物館蔵

(読み)

なりとぞ少  々  苦 味アリ夜 の八 時 尓帰 リぬ

なりとぞしょうしょうにがみありよるのやつどきにかえりぬ


廿   二日 天 氣此 日祭  アリ橋 を渡(ワタ)レハ陣 家アリ

にじゅうににちてんきこのひまつりありはしを  わた ればじんやあり


其 後 ロ能山 を城 山 と云 旅 客  ハ此 邊(ヘン)ヘハ行

そのうしろのやまをしろやまというりょきゃくはこの  へん へはゆく


事 を禁(キン)春祭 リ尓て之 をゆる春川 の邊 ニサン

ことを  きん ずまつりにてこれをゆるすかわのへんにさん


ジキをかけて見 物 春此 所  絹 服 を禁 ス

じきをかけてけんぶつすこのところきぬふくをきんず


縮 面 板 しめ染 緋ちりめん能如 く見ユる

ちりめんいたしめぞめひちりめんのごとくみゆる


物 皆 木綿 なり此 日祭  故 ニ宿(ヤト)よりも酒

ものみなもめんなりこのひまつりゆえに  やど よりもさけ


出春鮎 の春し其 鮎 巾 二寸 長 サ八 九  寸 アリ

だすあゆのすしそのあゆはばにすんながさはちきゅうすんあり


江戸ニハ無(ナ)き物 なりさて旅 館 主 人 ハ萬 兵(ヘイ)

えどには  な きものなりさてりょかんしゅじんはまんぺい


衛と云 話 シニ此 国 至  テ疱 瘡 をきろふ私

 というはなしにこのくにいたってほうそうをきろうわたくし

(大意)

(補足)

「夜の八時」ですから、夜中の二時ということで、ずいぶん遅くまで楽しんだ様子。

「廿二日」、天明8年九月廿二日。1788年10月21日。

「城山」、地図の岩國とある左に青い屋根がふたつあって、その上が城山。

「木綿なり」、江漢西国へ旅するこの時期、時代は大きな天災地変が続き、天明の打ちこわし(天明七年)、天明の大飢饉(天明二年〜天明八年)、そして松平定信がおこなった寛政の改革(1787年〜1793年)がありました。着るものなどもふくめて、贅沢も厳しく禁じられていてのですが、この日記全般から感じる日本の様子は、それほど切羽詰まった感はあまりないようにおもいます。

「其鮎巾二寸長サ八九寸アリ」、今でも有名らしい。

 そして、『錦川で天然アユが釣れるのは岩国市から錦町までのエリア。なかでも錦帯橋付近は数も多く釣れる可能性がある。また、錦川は大型のアユが釣れることでも知られ、お盆過ぎから9月下旬頃は、大もののひとつの目安である尺サイズ(およそ30cm)に届くアユがサオを絞ることも珍しくない』とありました。江漢さんグットタイミング👍

 日記の綴じの下側に「廿四」とあるのは丁数。24枚目ということ。一枚の紙の中央で山折りにして綴じます。

 

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