P46 東京国立博物館蔵
(読み)
なりとぞ少 々 苦 味アリ夜 の八 時 尓帰 リぬ
なりとぞしょうしょうにがみありよるのやつどきにかえりぬ
廿 二日 天 氣此 日祭 アリ橋 を渡(ワタ)レハ陣 家アリ
にじゅうににちてんきこのひまつりありはしを わた ればじんやあり
其 後 ロ能山 を城 山 と云 旅 客 ハ此 邊(ヘン)ヘハ行
そのうしろのやまをしろやまというりょきゃくはこの へん へはゆく
事 を禁(キン)春祭 リ尓て之 をゆる春川 の邊 ニサン
ことを きん ずまつりにてこれをゆるすかわのへんにさん
ジキをかけて見 物 春此 所 絹 服 を禁 ス
じきをかけてけんぶつすこのところきぬふくをきんず
縮 面 板 しめ染 緋ちりめん能如 く見ユる
ちりめんいたしめぞめひちりめんのごとくみゆる
物 皆 木綿 なり此 日祭 故 ニ宿(ヤト)よりも酒
ものみなもめんなりこのひまつりゆえに やど よりもさけ
出春鮎 の春し其 鮎 巾 二寸 長 サ八 九 寸 アリ
だすあゆのすしそのあゆはばにすんながさはちきゅうすんあり
江戸ニハ無(ナ)き物 なりさて旅 館 主 人 ハ萬 兵(ヘイ)
えどには な きものなりさてりょかんしゅじんはまんぺい
衛と云 話 シニ此 国 至 テ疱 瘡 をきろふ私
というはなしにこのくにいたってほうそうをきろうわたくし
(大意)
略
(補足)
「夜の八時」ですから、夜中の二時ということで、ずいぶん遅くまで楽しんだ様子。
「廿二日」、天明8年九月廿二日。1788年10月21日。
「城山」、地図の岩國とある左に青い屋根がふたつあって、その上が城山。
「木綿なり」、江漢西国へ旅するこの時期、時代は大きな天災地変が続き、天明の打ちこわし(天明七年)、天明の大飢饉(天明二年〜天明八年)、そして松平定信がおこなった寛政の改革(1787年〜1793年)がありました。着るものなどもふくめて、贅沢も厳しく禁じられていてのですが、この日記全般から感じる日本の様子は、それほど切羽詰まった感はあまりないようにおもいます。
「其鮎巾二寸長サ八九寸アリ」、今でも有名らしい。
そして、『錦川で天然アユが釣れるのは岩国市から錦町までのエリア。なかでも錦帯橋付近は数も多く釣れる可能性がある。また、錦川は大型のアユが釣れることでも知られ、お盆過ぎから9月下旬頃は、大もののひとつの目安である尺サイズ(およそ30cm)に届くアユがサオを絞ることも珍しくない』とありました。江漢さんグットタイミング👍
日記の綴じの下側に「廿四」とあるのは丁数。24枚目ということ。一枚の紙の中央で山折りにして綴じます。
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