2025年4月4日金曜日

江漢西遊日記三 その36

P36 東京国立博物館蔵

(読み)

能堺  尓亦 吉備津の宮 アリ此 社 内 尓

のさかいにまたきびつのみやありこのしゃないに


湯立 能釜 あり銀 二十  目納 ムレハ釜 尓

ゆだちのかまありぎんにじゅうめおさむればかまに


湯を入 火を焚く忽  ち鳴 動 春る事

ゆをいれひをたくたちまちめいどうすること


奇妙  なり夫 より宮 内 と云 処  より入 て二

きみょうなりそれよりみやうちというところよりいりてに


里あり則  チ足 守 なり木の下 侯 未 タニ

りありすなわちあしもりなりきのしたこういまだに


御着 ナシ用 人 役 黒 宮 氏へ尋  ル

おつきなしようにんやくくろみやしへたずねる


十  二日 大雨 夜 ニ入 不止(ヤマス)藩 中  の者 か王る\/

じゅうににちおあめよるにいり   やまず はんちゅうのものかわるがわる


参 リ吾カ奇談 を聞ク四五枚 画を描ク

まいりわがきだんをきくしごまいえをかく


此 地松 茸 取 多て喰(シヨク)春る尓脂(ヤニ)能香(ニホイ)

このちまつたけとりたて  しょく するに  やに の  におい


あり江戸能松 多けハ此 香  ナシ此 家 能

ありえどのまつたけはこのにおいなしこのいえの

(大意)

(補足)

「堺」、境。

「吉備津の宮」、『きびつじんじゃ 【吉備津神社】

岡山市吉備津にある神社。大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)をまつる。1425年再建の吉備津造りの社殿は国宝。釜鳴(かまなり)神事で有名。備中国一の宮』

「湯立能釜」、『かまなり【釜鳴り・竈鳴り】

釜で湯を沸かしたり飯を炊いたりするとき,釜がうなるような音を立てること。古くは,その鳴り具合で吉凶を占った』

「銀二十目」、『め ㋐ 秤(はかり)で計った量。重さ。「―減り」㋑ 重さの単位。匁(もんめ)。「百―」』。

「銀目」、『ぎんめ【銀目】

① 江戸時代の,銀または銀貨を量る際の単位の名目。匁(もんめ)・貫(一〇〇〇匁)・分(ふん)(一〇分の一匁)などの名目があった。大坂を中心に行われた』、『匁』もんめ、② 江戸時代,銀目の名。小判一両の60分の1。

「宮内」、『宮内とは江戸時代の備中国賀陽郡宮内村のことです。備中国一宮の吉備津神社の門前町が起源です。江戸時代になると、宮内村は門前町として栄え、山陽道でも屈指の遊興街を形成しました。井原西鶴の著した『好色一代男』にも備中宮内として出てきます』とありました。

「木の下侯」、木下利虎(としとら)。明和元年(1764)〜享和元年(1801)。九世足守藩主。

「用人役黒宮氏」、黒宮献子、元文5年(1740)〜寛政6年(1794)。家代々足守藩の家老。浦上玉堂や古川古松軒とも交友があった、とありました。

「十二日」、天明8年九月十二日。1788年10月11日。

 家老の家へ訪ねたり、藩中の者たちがかわるがわる訪れてきたりと、江漢さん、やはり有名人?紹介状か何か持っていたのでしょうか?

 

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