P34 東京国立博物館蔵
(読み)
十 六 七 能娘 出て杓 を取 其 娘 能物 云ヒ
じゅうろくしちのむすめでてしゃくをとるそのむすめのものいい
ハキ\/として甚 タ異 リ
はきはきとしてはなはだことなり
九 日雨 今 日佳節 なり藤 井を五 時 出 立 して
ここのかあめきょうかせつなりふじいをいつつどきしゅったつして
二里岡 山 ニ至 ル城 下町 能し二町 程 隔 リて
にりおかやまにいたるじょうかまちよしにちょうほどへだたりて
橋 二 ツ掛 ル石 関 町 と云 処 尓赤穂 屋喜左
はしふたつかかるいしぜきちょうというところにあこうやきざ
衛門 と云 者 吾 を知ル者 と聞 夫 ヘ参 ル父子
えもんというものわれをしるものとききそれへまいるふし
共 尓好 事の者 ニて甚 タ歓 ひ爰 尓畄(トゝマ)ル
ともにこうずのものにてはなはだよろこびここに とどま る
其 日浦 上 兵 右衛門甚 タ好 事家ニて先ツ
そのひうらがみひょうえもんはなはだこうずかにてまず
之 ヘ尋 ル酒 飯 を出し又 石 関 尓かえ(ヱ)りぬ
これへたずねるさけめしをだしまたいしぜきにかえ りぬ
豆 府(フ)尓かまぼこヲ入 さ以として飯 を出春
とう ふ にかまぼこをいれさいとしてめしをだす
(大意)
略
(補足)
「杓」、酌。
「九日」、天明8年九月九日。1788年10月8日。
「佳節」、『かせつ
めでたい日。節供。唐・王維〔九月九日、山東の兄弟を憶ふ〕詩 獨り異に在りて、異客と爲る 佳にふに、倍(ますます)親を思ふ』
「浦上兵右衛門」、延享二年(1745)〜文政三年(1820)。江戸後期の著名な文人画家。浦上玉堂。玉堂へ江漢から「富岳遠望図」を送るなど、その親交はあつかった。
この絵は「相州鎌倉七里浜図」とまったく構図が同じですが、質はまったく異なります。当時こんな透明感のある画を描いたとはとてもおもえぬほどに素晴らしい。漁師?の老人と孫が日本昔話に出てくる今風でなんともかわいらしい。欧文でKookanのサインがあります。
銭湯の壁絵で見てみたい。
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