P43 東京国立博物館蔵
(読み)
尓宿(ヤト)る爰 ハ巡 禮 宿 ニて一 向 ニムサキ処 なり
に やど るここはじゅんれいやどにていっこうにむさきところなり
外 ニも旅 商 人一 両 人 之 と枕(マクラ)を並 て寝(ネ)ル
ほかにもたびあきんどいちりょうにんこれと まくら をならべて ね る
廿 日天 氣此 岩 国 能江戸屋しきハ今 井
はつかてんきこのいわくにのえどやしきはいまい
谷 なり留主居役 内 坂 十 郎兵衛当 時ハ
たになりるすいやくうちさかじゅうろべえとうじは
爰 ニ居 个り因 て先 内 坂 宅 ヘ人 を遣 し
ここにおりけりよってまずうちさかたくへひとをつかわし
个連ハ迎 ヒ参 りて二三 町 行 て能き家 尓
ければむかいまいりてにさんちょうゆきてよきいえに
参 ル夫 より町 奉行 の下 役 の者 参 リて申 ニハ
まいるそれよりまちぶぎょうのしたやくのものまいりてもうすには
子細(シサイ)を書 付 差 出しなされべしと云 ニ付
しさい をかきつけさしだしなされべしというにつき
私 此 度 肥前 長 崎 表 へ画修 行 能為
わたくしこのたびひぜんながさきおもてへえしゅぎょうのため
参 候 ニ付 此 地相 通 候 間 御機嫌 相 伺
まいりそうろうにつきこのちあいとおりそうろうあいだごきげんあいうかがい
(大意)
略
(補足)
「ムサキ」、『むさ・い① 汚れてきたならしい。むさくるしい。「―・いところですが足をお運び下さい」「―・い男」』
「廿日」、天明8年九月廿日。1788年10月19日。
「此岩国能江戸屋しきハ今井谷なり」、岩国藩の江戸藩邸上屋敷は麻布今井谷、下屋敷が芝区白金猿町61番地にあったらしい。
ゆく先々でいろいろな方にあったり泊めてもらったりしているのですが、それがどのようにしてまとまるのかがひとつ疑問でした。
江漢さんが来るそうだ、またはわが街へ来ているということを聞きつけて、会いにゆくということもあったでしょう。またここのように、自分から知らせて、迎えに来てもらうということもあることがわかりました。
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