P50 東京国立博物館蔵
(読み)
顔 色 あをく婦くれ多る男 居ル爰 尓
かおいろあおくふくれたるおとこおるここに
て行厨(ヘントウ)を開 きけり岩 国 より此 山 神
て べんとう をひらきけりいわくによりこのやまがみ
ヘ参 詣 春る者 ありと見へ多り四面 山 ニて
へさんけいするものありとみえたりしめんやまにて
塞 キ見所 なし夫 より下 りて暮 六 時
ふさぎみどころなしそれよりくだりてくれむつどき
過 尓帰 りぬ路 々 春々虫 なく
すぎにかえりぬみちみちすずむしなく
廿 四 日雨天 此 日上 へ牡丹 の画絹 地也 外 扇 ニ
にじゅうよっかうてんこのひかみへぼたんのえきぬじなりほかおおぎに
画を描キ之 をケン上 春家老 五人 ヘヌメ地ニ
えをかきこれをけんじょうすかろうごにんへぬめじに
画を描 亦 用 人 ニハ大 唐 紙 二枚 宛 之 を贈
えをかくまたようにんにはおおからかみにまいずつこれをおく
る町 尓使(シ)者屋アリ門 可まへなり玄 関 より
るまちに し しゃありもんがまえなりげんかんより
あかると下 役 ノ者 と見ヘ出向 フ口 上 を上 役 ノ
あがるとしたやくのものとみえでむかうこうじょうをうわやくの
(大意)
略
(補足)
「廿四日」、天明8年九月廿四日。1788年10月23日。
「ヌメ」、『ぬめ 2【絖】
地が薄く,なめらかで,つやのある絹布の一種。桃山時代に中国から京都西陣に伝来。精練・裏糊(うらのり)を施し日本画の絹本地,造花材料などに用いる』
「使(シ)者屋」、この「屋」は変体仮名の「や」でしょうか?う〜ん🤔
江漢さんこの犬戻(この日記では「イヌモドシ」、西遊旅譚二では「イヌモドリ」)のハイキングでみた岩石群に感激したのか、西遊旅譚巻二には三枚も挿絵を描いています。
岩の上に腰掛け、画を描く江漢さんがいます。
ゴザを敷いて弁当の様子。ちゃんと四人います。
様々な奇岩を見上げ、感激している御一行様です。
「暮六時過尓帰りぬ」、現在なら10月も下旬で山ですから、ずいぶん遅くまで楽しんだようであります。
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