2025年4月13日日曜日

江漢西遊日記三 その45

P45 東京国立博物館蔵

(読み)

南 二十  余町  家 数 二万 余軒 多  ハ瓦  屋

なんにじゅうよちょういえすうにまんよけんおおくはかわらや


なり他国 能者 滞    居ル事 を禁 ス故 ニヤ盗(ヌスヒト)なし

なりたこくのものとどこおりおることをきんずゆえにや  ぬすびと なし


廿   一 日 天 氣旅 館 主 人 ハ排諧(ハイカイ)を好 ム画二三

にじゅういちにちてんきりょかんしゅじんは   はいかい をこのむえにさん


紙認  メ遣  ス錦  川 能川 原を二三 町  行 て見ル

ししたためつかわすにしきがわのかわらをにさんちょうゆきてみる


尓昔 シ獨 立  と云 唐 僧 爰 尓一 年 醫

にむかしどくりゅうというとうそうここにいちねんい


尓隠 レ居 し尓吾 カ生 レし処  能赤壁(セキヘキ)尓似

にかくれおりしにわれがうまれしところの   せきへき にに


多りと云ツて感 し多る所  何ンの事 もなき所

たりといってかんじたるところなんのこともなきところ


なりき日暮 より内 坂 氏ヘ行く酒 喰  を出

なりきひぐれよりうちさかしへゆくしゅしょくをだ


し馳走 春江戸尓無キ物 とて牛 茸(タケ)と云

しちそうすえどになきものとてうし  たけ という


菌(キノコ)を喰  セけり之 ハ傘 をひろけ多る大 キサ

きのこ   をしょくせけりこれはかさをひろげたるおおきさ

(大意)

(補足)

「廿一日」、天明8年九月廿一日。1788年10月20日。

「排諧」、俳諧。

「獨立」、独立 性易(どくりゅう しょうえき、慶長元(1596)年〜寛文12(1672)年。中国明末に生まれ、清初に日本に渡来した臨済宗黄檗派の禅僧である。医術に長け、日本に書法や水墨画・篆刻を伝えた。

 岩国藩3代目藩主である吉川広嘉に知り合いが所有する『西湖遊覧志』を見せ、錦帯橋造橋の重要な示唆を与えたと言われている。

「無」、このくずし字に似たものはありますが、ここのくずし字ほどにはなっていません。江漢流のくずし字。

「牛茸」、クロカワ、のことらしい。高級品とあったり、万人向けではないといったり、評価は人それぞれ、食べ物ですからね。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿