2025年4月20日日曜日

江漢西遊日記三 その52

P52 東京国立博物館蔵

(読み)

春るさて此 地ヘ来ルと馳走 役 人 付 添ひ

するさてこのちへくるとちそうやくにんつきそい


三 度能食  事尓魚 肉 多 し甚  タ困  入る

さんどのしょくじにぎょにくおおしはなはだこまりいる


廿   七 日 天 氣よく明 方 尓出  立 して先ツ

にじゅうしちにちてんきよくあけがたにしゅったつしてまず


橋 を渡 里向 フ能河 婦ちを通 り程 なく

はしをわたりむこうのかわぶちをとおりほどなく


山 ニ入 夫 より亦 濱 邊ヘ出て大 ケ﨑 と云

やまにいるそれよりまたはまべへでておおがさきという


処  なり者き嶋 八代 嶋 其 外 小嶋 数 \/

ところなりはぎじまやしろじまそのほかこじまかずかず


見ヘ此 所  ハ蜃(シン)氣楼 立ツと云 其 所  の

みえこのところは  しん きろうたつというそのところの


者 尓直 尓聞 し尓春 三 月 比 長 閑なる日

ものにじかにききしにはるさんがつころのどかなるひ


嶋 霞  て其 か春ミ能中 尓色 \/能模(モ)

しまかすみてそのかすみのなかにいろいろの  も


様 あら王れ亦 多ん\/とこな多能嶋 尓移 リ

ようあらわれまただんだんとこなたのしまにうつり

(大意)

(補足)

「廿七日」、天明8年九月廿七日。1788年10月26日。「六」と書き損じているようです。

「大ケ﨑」、浜辺の地名を探せども不明です。

「八代嶋」、現在では屋代島となっています。

 蜃気楼については少し前にもそのはなしが出てきました。

三度の食事に魚がつくのですから、とても贅沢で、それで申し訳なく困ったのか、それとも魚嫌いだったのか、どちらでありましょうか?

 これで巻三がおわり、巻四となります。

 江戸からここまで江漢さんの旅を旅してきました。けっこうな長旅で、疲れたわけではないのですけど、ちょっと気分転換したく、次回からちりめん本「日本の噺家Japanese Story-Tellers from the French of Jules Adam」を読んでいきます。

 巻四以降はそのあとにアップしてゆく予定です。

 

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