P52 東京国立博物館蔵
(読み)
春るさて此 地ヘ来ルと馳走 役 人 付 添ひ
するさてこのちへくるとちそうやくにんつきそい
三 度能食 事尓魚 肉 多 し甚 タ困 入る
さんどのしょくじにぎょにくおおしはなはだこまりいる
廿 七 日 天 氣よく明 方 尓出 立 して先ツ
にじゅうしちにちてんきよくあけがたにしゅったつしてまず
橋 を渡 里向 フ能河 婦ちを通 り程 なく
はしをわたりむこうのかわぶちをとおりほどなく
山 ニ入 夫 より亦 濱 邊ヘ出て大 ケ﨑 と云
やまにいるそれよりまたはまべへでておおがさきという
処 なり者き嶋 八代 嶋 其 外 小嶋 数 \/
ところなりはぎじまやしろじまそのほかこじまかずかず
見ヘ此 所 ハ蜃(シン)氣楼 立ツと云 其 所 の
みえこのところは しん きろうたつというそのところの
者 尓直 尓聞 し尓春 三 月 比 長 閑なる日
ものにじかにききしにはるさんがつころのどかなるひ
嶋 霞 て其 か春ミ能中 尓色 \/能模(モ)
しまかすみてそのかすみのなかにいろいろの も
様 あら王れ亦 多ん\/とこな多能嶋 尓移 リ
ようあらわれまただんだんとこなたのしまにうつり
(大意)
略
(補足)
「廿七日」、天明8年九月廿七日。1788年10月26日。「六」と書き損じているようです。
「大ケ﨑」、浜辺の地名を探せども不明です。
「八代嶋」、現在では屋代島となっています。
蜃気楼については少し前にもそのはなしが出てきました。
三度の食事に魚がつくのですから、とても贅沢で、それで申し訳なく困ったのか、それとも魚嫌いだったのか、どちらでありましょうか?
これで巻三がおわり、巻四となります。
江戸からここまで江漢さんの旅を旅してきました。けっこうな長旅で、疲れたわけではないのですけど、ちょっと気分転換したく、次回からちりめん本「日本の噺家Japanese Story-Tellers from the French of Jules Adam」を読んでいきます。
巻四以降はそのあとにアップしてゆく予定です。
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