2026年9月30日水曜日

大日本物産圖會その101

P101 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P101_1

(読み)

同 國 鯖 釣 之圖

どうこくさばつりのず


鯖(サバ)ハ諸 國 の海 濱 尓鱲(トル)する

  さば はしょこくのかいひんに  とる する


と雖  も能登尓てとる物 を

といえどものとにてとるものを


名 品 と須春 夏 秋 の夜そら

めいひんとすはるなつあきのよぞら


曇(クモ)り潮(テ ウ)水 立 の本り海 上

  くも り  ちょう すいたちのぼりかいじょう


霞  多るを鯖 日和(ヒヨリ)と称  して

かすみたるをさば   びより としょうして


漁 舟  数 百  艘 打 並 び舟 毎

ぎょしゅうすうひゃくそううちならびふねごと


尓篝(カゝリ)を照 し方 火天 を焦(コガス)可

に  かがり をてらしほうかてんを  こがす が


如 し鉤 糸 ハ十 尋(ヒロ)計 り尓て

ごとしつりいとはじっ  ひろ ばかりにて


鰯(イワシ)鰕(エビ)奈どを餌 として手繰(クリ)ニ天釣 也

  いわし   えび などをえさとしてた  ぐり にてつるなり

(大意)

略

(補足)

「同國」、能登。

「鱲」、トルと振り仮名がありますが辞書にはそれに「子」をつけて『からすみ【〈鱲子〉 】ボラ・サワラなどの卵巣を塩漬けにし,圧搾・乾燥させた食品。形が唐墨(からすみ)に似て細長く平たいのでこの名がある』とありました。

「霞多るを」、霧か霞か悩ましいところですが、くずし字辞典で調べて「霞」に決定。

「十尋」、約18m。

「手繰」、いわゆる竿を使わない「一本釣り」で、鯛なども同様に釣ります。

 能登は現在でも、鯖寿司・鯖押し寿司・鯖棒寿司・焼き鯖寿司などどれもうまい‼️

松を大きく前面に持ってくるのは、広重一派の定番画法。「海上霞多る」遠くの漁舟は空に浮かび漂うよう。

 

2026年9月29日火曜日

大日本物産圖會その100

P100 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P100_1

(読み)

能登素 麺 製 造 ノ圖

のとそうめんせいぞうのず


素 麺 ハ備 後伊豫美 作 阿波

そうめんはびんごいよみまさかあわ


讃 岐大 和能登伊勢の各 州

さぬきやまとのといせのかくしゅう


尓て産 出  す五色 平(ヒラ)長(ナカ)太(フト)

にてさんしゅつすごしき  ひら   なが   ふと


白髪(シラカ)等 の諸 名 あり初

   しらが とうのしょめいありしょ


夏株 あげたる小麦 越

かかぶあげたるこむぎを


冬 尓い多りて目方 四 〆 五百

ふゆにいたりてめかたよんかんごひゃく


目を碓(ウス)尓て引 絹(キヌ)ぶるひ尓

めを  うす にてひき  きぬ ぶるいに


可け三 〆 目の白(コ)粉 を得る即

かけさんかんめの  こ ふんをえるすなわち


水 塩 等 を和して捏(ネリ)あハせ

みずしおとうをわして  ねり あわせ


麺棒(メンハウ)尓て壓延(オシノバ)し渦(ウツ)のごとく

   めんぼう にて   おしのば し  うず のごとく


切 廻  て曳(ヒキ)のバし細 く奈して掛産(ワク)尓

きりまわして  ひき のばしほそくなして   わく に


乾 上 適宜(ホドヨク)裁 て諸 国 尓出す

ほしあげ   ほどよく たちてしょこくにだす

(大意)

略

(補足)

「初夏」、ここの「夏」の漢字はフォントにありません。

 能登輪島がかっては素麺の一大産地であったことは知りませんでした。『輪島素麺(りんとうそうめん)は、室町時代から江戸時代にかけて石川県輪島地方で盛んに生産されていた、油を使わない手延べ製法の歴史ある素麺』とありました。

 この大日本物産図会の画工は安藤徳兵衛とあるのですが、これは親方または工房代表者のものであって、親方の指示に従って彫師が分担しているはずです。この画の詞書きは一見してわかるように、どことなくゴツゴツしていて彫師の個性というのではなく技量がいまひとつのよう。一行の文字列が右に左にとぶれたり文字の間隔が落ち着かない。まぁ読めることは読めるのですけど。

 左上部の枠近くに棒立ちしている男の人、視線は眼の前の二人の作業を見守っているのかとおもいきや、足元を見ると小山になった白いものが・・・足でこねていたのでした。

 奥の薄茶色にみえる畑は、小麦畑でしょうか。

 

2026年9月28日月曜日

大日本物産圖會その99

P99 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P99_1

(読み)

羽後秋 田欵冬之圖

うごあきたふきのず


秋 田郡 久保田辺  より出る蕗(フキ)

あきたぐんくぼたあたりよりでる  ふき


ハ尋常(ヨノツネ)の者 尓異(コト)奈り莖(クキ)の高

は   よのつね のものに  こと なり  くき のたか


さ一 丈  尓至(イタ)り葉(ハ)の大 キサ傘(カサ)

さいちじょうに  いた り  は のおおきさ  かさ


の如 し其 莖(クキ)徑(ワタ)り六 七 寸 心(シン)の

のごとしその  くき   わた りろくしちすん  しん の



孔 尓青魚脯(シン)二尾を容(イ)るゝ

あなにあお  しん にびを  い るる


ものありといふ其 葉を印(イン)し

ものありというそのはを  いん し


て諸 方 尓出すに唐 紙 二

てしょほうにだすにからかみに


枚 尓跨(マタガ)るといふその欵冬(フキノ)

まいに  またが るというその   ふきの


花(トウ)も大  サ蓮花(レンゲ)尓春起゛多り

  とう もおおきさ   れんげ にすぎ たり


茎花(クキバナ)並   食(クラ)ふべし然(シカ)連共

   くきばな ならびに  くら うべし  しか れども


其 味 ハ却(カヘ)て長  ぜざる所  也 と云

そのあじは  かえってちょうぜざるところなりという

(大意)

略

(補足)

「欵冬」、『おおば、おほば、かんとう【欵冬】植物「ふき(蕗)」の古名。また「つわぶき(橐吾)」の古名ともいう』。『漢字の意味: 「欵」は打ち叩く、「冬」は寒さや氷を表し、冬の氷や雪を破って芽を出す様子に由来します。七十二候: 二十四節気の大寒の初候に「欵冬華(ふきのはなさく)」があり、雪の下からフキノトウが顔を出す、春の訪れを告げる頃を指します』。辞書とAIによる概要にたよりました。

「秋田郡久保田辺」、JR秋田駅、秋田市のあたり。久保田城があります。

「青魚脯」、AIによる概要では『青魚脯(せいぎょほ / チンユーフー)とは、中国の淡水魚である「青魚(アオウオ)」を原料とした魚の干物』とあります。ここでは秋田沖でとれたニシンの干し魚でしょうね。

 蕗が森林のように描かれ、人が小人になってしまったように見えます。かって北海道に旅したとき、実際に自分自身より大きな蕗の葉と茎を見たときには信じられないおもいでした。雨傘よりも大きい葉なのでちゃんと雨をしのげますし、葉っぱにある毛が水をはじくので実際の傘よりも上等でした。

 畑仕事の帰り道、鋤をかつぐ近所の人が、蕗の葉の下で雨宿りする旅人に指を指しながら話しかけています。「影が馬みてぇじゃねぇか、ハハハ」。

 蕗の葉の裏表、茎はみな緑色ですが、濃淡だけで表現していてきれいで見事です。

 

2026年9月27日日曜日

大日本物産圖會その98

P98 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P98_1

(読み)

羽後 國 養 蠶 之圖七

うごのくにようさんのずなな


蚕(カヒコ)春で尓繭(マユ)と奈り五六 日 目

  かいこ すでに  まゆ となりごろくにちめ


与りハ糸 を取るなり是 も国 々

よりはいとをとるなりこれもくにぐに


尓与りて流  義多 し當 国 ニてハ糸 取

によりてりゅうぎおおしとうごくにてはいととり


女  の左  の方 へ竈(カマド)を置き鍋(ナベ)の

おんなのひだりのほうへ  かまど をおき  なべ の


湯沸騰ると起ま由一 升  を四

ゆたぎるときまゆいっしょうをし


五度本ど尓鍋 へ入連加減(可个゛ん)与く

ごどほどになべへいれ   かげ ん よく


煮(ニ)多るとき箸 を以  可き交(マゼ)

  に たるときはしをもってかき  まぜ


糸 口 をとり奈べの縁(ヘリ)尓馬

いとぐちをとりなべの  へり にうま


の尾或  ハ女  の髪(カミ)の毛をちひ

のおあるいはおんなの  かみ のけをちい


さ起輪(ワ)尓し之 を結(ユヒ)付 此 穴 尓

さき  わ にしこれを  ゆい つけこのあなに


糸 を通 し篗(ワク)尓巻(マキ)てとる也

いとをとおし  わく に  まき てとるなり

(大意)

略

(補足)

「羽後國」、秋田県の大部分と山形県の北部の一部とに相当。

「篗」、『わく【籰・篗】〔「枠(わく)」と同源〕紡いだ糸を巻き取る道具。二本または,四本の木を対にして横木で支え,中央に軸を設けて回転するようにしたもの。おだまき』。

 養蠶之圖が七になって、物産図会の品で同じものでは一番の紹介数かもしれません。明治初年以降生糸の輸出が爆発的に増加してゆくまさにその時代でありました。

 2台の篗(ワク)で巻き取っている御婦人ふたり、ひとりは娘さんぽく、姉さんかぶりしているもうひとりはチト色っぽい。手回している部分に歯車が二枚見えています。

 窯焚きしている男の背中の「萬」は版元の東京日本橋錦栄堂萬屋大倉孫兵衛の意匠。胸元が開いた長煙管をすっている女となにやら色っぽいはなしでもしている様子。

 柱に金具をつけて巻き取った生糸を引っ掛け、全体を整えている男はザンバラ髪、足元には大きい和鋏とヘチマのような形のものがあります、なんでしょうこれ?

 馬の鞍が大きくて丈夫そうなのは、右のほうにある生糸がつまった荷物をこれからのせようとしているところのよう。「この大きな荷物ふたつ運んでください、これくらい大丈夫だよね?」「へい、旦那様。うちの馬はそれくらいなんともありゃしませんや、まかしておくんなさい」。

 

2026年9月26日土曜日

大日本物産圖會その97

P97 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P97_1

(読み)

越 前  國 奉 書 紙製 之圖

えちぜんのくにほうしょしせいのず


紙 ハ當 國 大 瀧(タキ)。新在家(しんさいか)。定(サタ)

かみはとうごくおお  たき      しんさいか    さだ 


友(トモ)。不老(フロウ)の諸 村 与り産

  とも     ふろう のしょそんよりさん


春゛楮(コホズ)を蒸(ムシ)して皮(カワ)を去

ず   こほず を  むし して  かわ をさ


里水 尓さらし打 こと数

りみずにさらしうつことすう


回(クハ)にして水 尓和し簀

  かい にしてみずにわしす


の子尓て漉(ス)き場板 尓張 て

のこにて  す きばいたにはりて


乾(ホシ)上 る也 大 廣 五寸 廣 大

  ほし あげるなりおおひろごすんひろだい


中  小  奉 書 色 奉 書 等

ちゅうしょうほうしょいろほうしょとう


の諸 品 あり

のしょしなあり

(大意)

略

(補足)

「越前國」、ほぼ福井県中・北部に相当。古名,こしのみちのくち。

 ここにあげられた村名は福井県越前市(旧今立町)にある「越前和紙の里・五箇(ごか)地区(大瀧(おおたき)、新在家(しんざいけ)、定友(さだとも)、不老(おいず))」で、もうひとつは岩本(いわもと)。こんな案内板がありました。

「奉書紙」、『ほうしょがみ【奉書紙】〔多く奉書に用いたことから〕上質の楮(こうぞ)で漉(す)いた,純白でしわのないきめの美しい和紙。杉原紙に似るが,やや厚手で簾目がある。越前奉書が有名。ほうしょ』。奉書は『① 天皇・将軍などの意向や決定を下知する文書。院宣・御教書の類』とあって、時代劇で偉いお侍さんが「上意である」と伝えながら白い封筒みたいのを突き出す場面がよくありますが、あの白いのが奉書です。

 詞書きのとおり、楮苧の刈り取りから出荷まですべての工程を一望できる物産図会の手法です。ひとつひとつの工程を丁寧に見ていくとおもしろいですね。

 和紙に関する史料に「紙漉重宝記(かみすきちようほうき)」があります。わたしのBlogにも掲載していますので暇つぶしにご覧ください。

 埼玉県小川町が家から約1時間のところにあり、小川和紙or細川紙が有名です。昨年訪れたときに、便箋の冊子になっている和紙を購入しました。きれいでなめらか、筆を持ってササッと書けば気持ちそさそう♫

 

2026年9月25日金曜日

大日本物産圖會その96

P96 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P96_1

(読み)

越 前  國 海膽取 之図

えちぜんのくにうにとりのず


海膽(ウニ)は當 國 并  尓薩摩(サツマ)尓

   うに はとうごくならびに   さつま に


て取るものを名 品 と須その

てとるものをめいひんとすその


肉(ニク)微少(スコシ)なる毛のに天膏(アブラ)

  にく    すこし なるものにて  あぶら


阿り刺(ハリ)多(オホ)くして栗(クリ)の毬(イカ)

あり  はり   おお くして  くり の  いが


尓似(ニ)たり漁人(リヤウシ)干泻(ヒカタ)の

に  に たり   りょうし    ひがた の


岩 間尓もとめ肉 を採(ト)り

いわまにもとめにくを  と り


桶 尓収(オサ)め塩(シホ)に和(クワ)し天

おけに  おさ め  しお に  わ  して


諸 國 耳出須楚の味

しょこくにだすそのあじ


甚  多佳奈り

はなはだかなり

(大意)

略

(補足)

 潮がひき磯があらわれ、その手前に湿った浜がひろがっています。この浜の質感の描写がうまい。両手ですくって湿った砂の感触がつたわってきそうです。

 わたしが若かりし頃さんざんとりまくったウニはその地域ではカゼとよんでいました。カゼがとれるのは詞書きにもあるように岩間つまり磯です。浜にはいません。潮がひかずとも磯で2m前後ももぐればいくらでもとれました。道具は大工道具で使うかすがいです。それでカゼを岩からはがします。そしてバケツに何杯もとったあとは、カゼの口に火箸を二本差し込んで割って実をスプーンですくい取り、水ですすいでゴミをとります。白いご飯にたっぷりウニをのせてわさび醤油をかけてウニ丼のできあがり。うまかったぁ。

 浜や磯に打ち寄せる波の色がきれい。沖にいくにしたがって波の色の濃淡が上手です。


 

2026年9月24日木曜日

大日本物産圖會その95

P95 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P95_1

(読み)

加賀 國 菅 笠 ヲ造 ル圖

かがのくにすげがさをつくるず


菅笠(スゲガサ)ハ石 川 郡 金 沢 ニて薹(カサスケ)

   すげがさ はいしかわぐんかなざわにて  かさすけ


を以 て造(ツク)り諸 國 へ出すこと夥

をもって  つく りしょこくへだすことおびただし


頭(カシラ)尓被(カブ)りて日 光 を遮(サヘギ)り雨 雪

  かしら に  かぶ りてにっこうを  さえぎ りあめゆき


を防(フセ)き民用(ミンヨウ)を奈すこと西 洋

を  ふせ ぎ   みんよう をなすことせいよう


仐(カサ)の右 尓出(イヅ)る薹   ハ水 田

  かさ のみぎに  いず るかさすけはすいでん


尓植(ウエ)る草尓て 茅(チカヤ)尓似(ニ)

に  うえ るくさにて  ちがや に  に


て色 青 く長 さ四五尺  者゛

ていろあおくながさしごしゃくば


可里那り之 を刈干(カリホシ)て白

かりなりこれを   かりほし てしろ


くさらし竹骨(ホネ)尓縫(ヌヒ)付 て其

くさらしたけ ぼね に  ぬい つけてその


形 ち皿 のことく或  ハ鉢 の如

かたちさらのごとくあるいははちのごと


く造 る也 多 く女  の職業(シヨクゲ ウ)と須

くつくるなりおおくおんなの   しょくぎょう とす

(大意)

略

(補足)

「薹(カサスケ)」、『かさすげ【笠菅】カヤツリグサ科の多年草。水辺や湿地に群生する。高さ約1メートル。茎は三角柱状。葉は広線形で長く,ざらつく。晩春,雄花穂を頂生し,その下に数本の雌花穂を斜出する。葉で蓑(みの)・笠・縄などを作る。スゲ』。この漢字「薹」は『とう たう【薹】〔形が塔に似ているところからいうか〕アブラナ・フキなどの花茎』です。「艹」+「吉」+「冖」+「至」。

「出すこと」「奈すこと」、この「こと」は合字。「より」の合字のフォント「ゟ」はありますが「こと」はまだなさそうです。

 紫の暖簾が美しい。木版なのに布生地そのままの肌さわり感(テキスチャー)があります。白く抜いてある文字は「菅笠志奈\/(すげがさしなじな)」。上部の中央は「𠆢」+「万」、これは昨日の画の右枠外に「出版人大倉孫兵衛」、版元の萬屋の意匠。その左側は版元の「万」があることから予想すると「者ん元(はんもと)」かな?

 暖簾の上の瓦屋根、左側から右に流れるように、瓦の凹みの影というか波が遠近感がでるように少なくなるようにしていて、手がこんでいます。うまいね♫

 店先にはいつもより派手に文明開化開眼男の登場。和装ですが身につけているものは洋傘・鞄・靴、それに帽子姿です。

 帳場の奥は蔵に直結です。

 

2026年9月23日水曜日

大日本物産圖會その94

P94 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P94_1

(読み)

加州  熊 并  ニ膽ヲ取ル図

かしゅうくまならびにいをとるず


熊 ハ多 く大樹(タイボク)の洞中(ドウチウ)尓住(スム)

くまはおおく   たいぼく の   どうちゅうに  すむ


ものなり猟師(カリウド)枝 の付 多る

ものなり   かりうど えだのつきたる


木を持 て窠穴(ソウケツ)を突探(サグ)れ者゛

きをもって   そうけつ を   さぐ れば


熊 木を引 入 んとして両  手を掛

くまきをひきいれんとしてりょうてをかけ


て引く猟 師 斧(ヲノ)を以 て熊 の

てひくかりうど  おの をもってくまの


手を断切(キル)也 或  ハ鎗(ヤリ)尓てつき

てを   きる なりあるいは  やり にてつき


皮(カハ)を解剖(サキテ)して膽(ヰ)を登る

  かわ を   さきて して  い をとる


春奈ハち當 国 を上  品 とす

すなわちとうこくをじょうひんとす


黒様(クロデ)豆粉様(マメロデ)琥珀様(コハクデ)の三

   くろて     まめろで     こはくで のさん


種(シユ)あり就中(ナカンヅク)琥珀様 を上

  しゅ あり   なかんずく こはくでをじょう


等 と須

とうとす

(大意)

略

(補足)

「加州」、『かが 【加賀】① 旧国名の一。石川県南部に相当。加州。賀州』

「膽」、『たん 【胆(膽) 】① 内臓器官の一。「胆汁」「胆石」「胆囊(たんのう)」「臥薪嘗胆(がしんしようたん)」』。

「くまのい【熊の胆】」① 胆汁を含んだままの熊の胆囊(たんのう)を乾燥させたもの。苦みが強い。利胆・消炎・鎮痙・強壮などの目的で用いる。熊胆(ゆうたん)。

 この画をみて一番最初に目がいくのが熊の表情と赤い舌、そして振り上げられた三本の青光りする斧。鉄砲は急所をはずすとかえって熊が凶暴になって襲ってくるので難しい。それよりも確実な斧なのだろうけど、大同小異、胆がすわってないとできません。

 鈴木牧之(すずき ぼくし)という人がいて、江戸時代後期に越後国塩沢(現・新潟県南魚沼市)で活躍した商人・随筆家。豪雪地帯の実態を描いた名著『北越雪譜』の作者です。その中に雪の様々な風景を描いているのですが、相手は白、どうやって表現するかが大変でした。

 ここでも雪に陰影をつけたり黒い細い線で凹凸や稜線を描いていて、上手です。こんな雪深いところでも右隅に山奥の風景の定番である小川を付け足すことを忘れていません。常緑樹の松の緑がはえています。


 

2026年9月22日火曜日

大日本物産圖會その93

P93 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P93_1

(読み)

同 國 津軽 昆 布採 之圖

どうこくつがるこんぶとりのず


昆布(コンブ)ハ當 國 北 郡 今別(イマベツ)及

   こんぶ はとうごくきたぐん   いまべつ およ


び津輕(ツガル)辺  より出づ海 中  の

び   つがる あたりよりいずかいちゅうの


岩 間の石 尓着(ツイ)て生  須゛その

いわまのいしに  つい てしょうず その


幅(ハゞ)一 尺  尓春ぎ長 サ数丈(スチヤウ)尓

  はば いっしゃくにすぎながさ   すじょう に


い多る淡黄(ウスキ)色 尓してその

いたる   うすき いろにしてその


邊(ヘ)り青 黒 なり古連を

  へ りあおぐろなりこれを


刈(カ)り干して他邦(タハウ)尓出須

  か りほして   たほう にだす


俗 尓煮(ニ)て食  春れバ面(カホ)に

ぞくに  に てしょくすれば  かお に


瘡(カサ)を生  ぜ須゛といふ是 古昔(ムカシ)

  かさ をしょうぜず というこれ   むかし


の和方 奈り

のわほうなり

(大意)

略

(補足)

「同國」、陸奥国。

「一尺尓春ぎ」、『すぎ【過ぎ】① 時間・年齢などを表す語の下に付いて,その時間や年齢をすでにすぎていることを表す。「七時―に帰る」「四〇―の女性」』。現在では長さに使うことはあまりなさそうです。

「和方」、『わほう ―はう【和方】漢方に対して,日本古来の医方。日本古来の医術』

 この版では「画工」、「出版人」、「御届」がはっきり記されています。

 柄の長い鉤竿(かぎさお)をもつ漁師が着ているのはアイヌ人が着用しているガウンのように見えます。ごく普通に交流があったものとおもわれます。

 昆布漁をする所は沖からすぐ峻険な山になるところが漁場なので、浜は満潮になればなくなってしまうくらいのところ多い。ここでもわずかばかりの浜に干していますし屋根の向こうに物干し竿にぶら下げています。

 磯場に入って舟を操るのは命がけで、波にあおられて和船を岩にぶつければ砕けて沈没です。


 

2026年9月21日月曜日

大日本物産圖會その92

P92 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P92_1

(読み)

陸奥 國 真錦 製 之圖

むつのくにまわたせいのず


真綿(マワタ)ハ絲(イト)尓取 可多き悪(ア)

   まわた は  いと にとりがたき  あ


しき繭(マユ)を撰(エリ)出しこれを

しき  まゆ を  えり だしこれを


上 灰汁(アク)尓てよく煮(ニ)夫 より

うわ   あく にてよく  に それより


水 尓漬(ツケ)さらして灰汁を出

みずに  つけ さらしてあくをだ


し指(ユビ)尓てひき延 し引 盤(バン)

し  ゆび にてひきのばしひき  ばん


尓加ける也 國 々 流義(リ ウギ)多 し

にかけるなりくにぐに   りゅうぎ おおし


夫 より清水 尓て引 のバし干

それよりしみずにてひきのばしほし


立 る処  ありまた綿 尓て水 尓漬

たてるところありまたわたにてみずにつけ


さら須処  もあり後 ニむしろ或

さらすところもありのちにむしろあるい


ハ縄(ナワ)尓つりて干 立 る奈り

は  なわ につりてほしたてるなり

(大意)

略

(補足)

「真綿」、『まわた【真綿】糸にできない屑繭(くずまゆ)を引き伸ばし乾燥した綿。軽くて強く,暖かい。引き綿・布団綿としたり,紬糸(つむぎいと)の原料とする。絹綿。』

 赤いタスキに手ぬぐいの頬かむりは働く婦人の定番。真綿ののばし方がいろいろ描かれていておもしろい。現在でも真綿をつめる蒲団屋さんでは画のように杭棒に引っ掛けて四角くのばして形を整えているようです。

 

2026年9月20日日曜日

大日本物産圖會その91

P91 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P91_1

(読み)

陸 中   國 牧 牛  之圖

りくちゅうのくにほうぎゅうのず


牛 ハ當 國 閉伊(ヘイ)郡 を者じめ

うしはとうごく   へい ぐんをはじめ


南部(ナンブ)其 他諸 郡 より産 ずる

   なんぶ そのたしょぐんよりさんずる


こと夥敷(オビタゝシク)年 々 之(コレ)を鬻(ヒサ)ぐ

こと   おびただしく ねんねん  これ を  ひさ ぐ


其 一ト群連牛 商  四五人 位  尓

そのひとむれうししょうしごにんくらいに


て牛 五六 十 疋 綱(ツナ)をも付 須゛添(ソヒ)

てうしごろくじっぴき  つな をもつけず   そい


来 る駅路(エキロ)ハ多 く夜中 牽(ヒイ)て

きたる   えきろ はおおくよなか  ひい て


往 来 の礙(サマタゲ)を奈さ須゛川 を渡 る

おうらいの  さまたげ をなさず かわをわたる


尓小牛 を俵(タハラ)の中 へ入 大 牛 の背(セ)

にこうしを  たわら のなかへいれおおうしの  せ


に付 舟 尓のせて王多る外 の牛

につけふねにのせてわたるほかのうし


ハ皆(ミナ)水 底(ソコ)をくゝ里渉(ワタ)り向  の

は  みな みず  ぞこ をくぐり  わた りむかいの


岸(キシ)へ上 る事 自在(ジザイ)也 といふ

  きし へあがること   じざい なりという

(大意)

略

(補足)

「鬻(ヒサ)ぐ」、『ひさ・ぐ【鬻ぐ・販ぐ】(動ガ五[四])〔近世初期までは「ひさく」と清音〕売る。あきなう。「春を―・ぐ」「人情といふ品物をば其本店(だな)にて―・ぎながら」〈小説神髄•逍遥〉「棺を―・くもの,作りてうち置くほどなし」〈徒然草•137〉』。「粥」+「鬲」。

 群れの中で帳面を手に取引する男はザンギリ頭。右奥、旗のあるところ、洋館の平屋があって、その前では支配人らしき洋装の男が腕突き出して何やら命令しているような叱っているような・・・

 画面中央牛のでっかい目玉がギロッとこちらをにらみつけています。

 明治十年頃はまだまだお雇い外国人や宣教師が日本のあちらこちらにいて、彼らの住むところの周辺には牛飼いが毎日牛乳を配達していたそうであります。

 

2026年9月19日土曜日

大日本物産圖會その90

P90 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P90_1

(読み)

陸 中   國 養 蠶 之圖六

りくちゅうのくにようさんのずろく


蚕(カヒコ)の繭(マユ)をつくら須仕様 ハ諸 國 尓

  かいこ の  まゆ をつくらすしようはしょこくに


て違(タガ)ひあり當 國 尓てハ莚(ムシロ)の縁(ヘリ)

て  たが いありとうごくにては  むしろ の  へり


を二寸 本ど折 立て中 尓力  竹 を

をにすんほどおりたてなかにちからだけを


角 ち可゛ひ尓結(ユヒ)付 藁(ワラ)三 四本 ツゝ

かどちが いに  ゆい つけ  わら さんしほんずつ


を三 角 尓折 之 を莚(ムシロ)の中 へ立 並 べ

をさんかくにおりこれを  むしろ のなかへたてならべ


此 中 へ蟄(スガキ)し蚕  を者ら\/と配(クバ)り

このなかへ  すがき しかいこをはらはらと  くば り


入連暖(アタゝ)可奈る処  へあげ置 て繭 を

いれ  あたた かなりところへあげおきてまゆを


つくらすこれをゑびらとも同 伏

つくらすこれをえびらともどうふく


ともいふ扨 最 初 の者き立 与り

ともいうさてさいしょのはきたてより


千 辛 万 苦して漸々(ヨウ\/)ま由つくる

せんしんばんくして   ようよう まゆつくる


頃 尓至 り誤(アヤマ)て麁忽(ソコツ)でき奈バ今

ころにいたり  あやま て   そこつ できなばいま


迄 のつとめ忽(タチマ)ち水 の泡(アハ)と消(キ)へ莫(バク)

までのつとめ  たちま ちみずの  あわ と  き え  ばく


大(ダイ)の損毛(ソンモウ)尓至 る故 尓注意(チ ウイ)すべし

  だい の   そんもう にいたるゆえに   ちゅうい すべし

(大意)

略

(補足)

「陸中」、『1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分割して設置。岩手県の大部分と秋田県の一部にあたる』。

「蟄(スガキ)し」、『ちつ 【蟄】かくれる。ひそむ。とじこもる。「蟄居」「蟄虫」「蟄伏」「蟄竜(ちつりよう)」「啓蟄」』。「スガキ」のふりがながありますが、訓読みにはありません。

「ゑびらとも同伏とも」、藁蔟(わらまぶし)のこと。画の中で、藁を三角にしている畝状のもの。

 赤ちゃんを背負っている若いお母さん、胸元はなんどもおっぱいをやっているのでひらいています。赤ちゃんはニコニコ顔で後ろを振り返り、子どもが🐱をみせてあやしています。旅人風のうしろには人力車に乗る洋傘をさす丁髷姿。ちょっとしたところに文明開化を入れるのが上手。

 着物柄が薄色できれいです。右側の御婦人の日本髪をおおっている手ぬぐいにまで模様を入れています。下駄がひとつ裏返っているのは御愛嬌、土間から上がったり降りたりと忙しいのかな。

 

2026年9月18日金曜日

大日本物産圖會その89

P89 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P89_1

(読み)

同 國 松 島 景 並   埋  木細 工之図

どうこくまつしまけいならびにうもれぎざいくのず


松 島 ハ日本 三 景(ケイ)の一  塩竃(シオカマ)より

まつしまはにほんさん  けい のひとつ   しおがま より


舟 路二里余  左  ハ磯(イク)つゞき右 ハ

ふなじにりあまりひだりは  いく つづきみぎは


海(カイ)口尓して島 ゝ の数(カズ)を尽(ツク)し後(シリヘ)ニ

  かい ろにしてしまじまの  かず を  つく し  しりえ に


峙(ソバタ)ち前 尓匍(ハラ)ひ或  ハ向 ひま多ハ

  そばだ ちまえに  はら いあるいはむかいまたは


うそむきて松(シヤ)樹 枝 を伸 屈

うそむきて  しゃ じゅえだをのびくっ


て其 首尾(シユヒ)を粧(ヨソホ)ふて風 色  最  も

てその   しゅび を  よそお うてふうしょくもっとも


濃 奈り又 埋  木ハ名取 郡 名取

こくなりまたうもれぎはなとりぐんなとり


川 より産(サンズ)此 ハ年 久 敷 水 中  尓沈

がわより  さんず これはとしひさしくすいちゅうにしず


ミし木尓て純黒(シユンコク)或   白斑(ハクハン)ありその

みしきにて   じゅんこく あるいは   はくはん ありその


質(シツ)ハ烏木 の如 く多 く硯筥枝(スゝリハコシ)

  しつ はうぼくのごとくおおく    すずりばこし


折 菓子皿 其 他(タ)種々(イロ\/)の細 工を奈須

おりかしざらその  た    いろいろ のさいくをなす

(大意)

略

(補足)

「同國」、陸前国。

「埋木細工」、『約500万年前(地質時代)の樹木が地中で炭化した「埋れ木」を削り出して作る、宮城・仙台・松島地域の伝統工芸品。仙台の青葉山から、約500万年もの歳月をかけて炭化した「埋木」が発見されたのは,1822年(江戸・文政5年)』。

「烏木」、『うぼく【烏木】黒檀(こくたん)の異名』。

 沖に見える山に金花山の札書きあり。これら島々、松の樹の枝々の様を詞書きで形容しているのですが、どうもゴツゴツして文章としては下手くそに感じます。

 黒の埋れ木が欄干に7枚、ガラス障子の腰板に1枚そして欄間の上に1枚あって、当時はこんなに大きいものがあったようです。赤い毛氈のうえにある小さなお盆や小物なども埋れ木のよう。ガラス障子のガラスの表現がうまいですね、埋れ木がガラスをとおしてみえているところは灰色っぽくなっています。

 ここに描かれている御婦人二人は、いままでとことなって日本画風になっています。お二人とも日本髪が丁寧に描かれています。立ち姿の御婦人は十頭身くらい、縦縞の着物のひだを濃淡だけで表現していて上手。

 松島は何度かいきましたが、やはりきれいでした。

 

2026年9月17日木曜日

大日本物産圖會その88

P88 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P88_1

(読み)

陸 前  國 養 蠶  図五

りくぜんのくにようさんのずご


蚕  生 連出てより四度の居起(ヰオキ)あり

かいこうまれでてよりしどの   いおき あり


最 初 獅子(シゝ)の居起 より鷹 の眠

さいしょ   しし のいおきよりたかのねむり


起舟(オキフネ)の居起 庭(ニハ)の眠  ホ 也 右 居起

   おきふね のいおき  にわ のねむりなどなりみぎいおき


の二 日目毎(ゴト)尓尻(シリ)取 可へ𥸮 拵(あつらえ)ハ

のふつかめ  ごと に  しり とりかえくわ  あつらえ は


蚕  尓見合 せ少 しづ   あらく切 て

かいこにみあわせすこしず(つ)あらくきりて


箕(ミ)尓て埃  を去り能(ヨホ)本ど尓して

  み にてほこりをさり  よほ ほどにして


むら奈く喰(クハ)すべしすべて蚕  ハ可ら

むらなく  くわ すべしすべてかいこはから


飼 尓するをよしと須厚(アツ)飼 尓すれ

がいにするをよしとす  あつ がいにすれ


バ虫 少 さくしてま由も少 さしずい

ばむしちいさくしてまゆもちいさしずい


ぶん沢 山 尓𥸮 をくハせし蚕  ハ大

ぶんたくさんにくわをくわせしかいこはおお


ぶり尓して糸 の正  味多 しと云

ぶりにしていとのしょうみおおしという

(大意)

略

(補足)

「陸前」、1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分轄して設置。宮城県の大部分と岩手県の一部に相当。

「四度の居起(ヰオキ)」、それぞれに獅子・鷹・舟・庭とでてきて不思議です。『養蚕秘録』(著者上垣守国。享和3(1803)年)に『天竺霖異大王の事』というのがあります。

少し長いけどこんな話。

『むかし天竺舊中國に霖異(りんゐ)大王といへるあり。后を光契(くわうけい)夫人といふ。一人の姫あり。金色姫(こんじきひめ)といふ。后薨じ給ふて後、大王新たに后妃(こううひ)を具し給ふ。此后妬(ねたみ)ふかく、姫をにくみて父大王に讒言(ざんげん)し、姫を獅子吼山(ししくざん)といふ所に捨(すて)させ給ふ。しかるに天の加護にや有(あり)けん、つゝがなくましまして獅子に乘りて中國に帰らせ給ふ。よつて、また鷹群山(ようぐんざん)といふ所へ捨(すて)給ふ。此時多くの鷹ども來り、肉を供(くう)じて姫を育みける。大王の臣下、此よし遙(はるか)に傳へ聞(きき)、密(ひそか)に姫を供奉して都に帰る。后、又姫の帰るを惡(にく)み、海眼山(かいがんざん)といふ嶋へ流し給ふ。此時、漁夫姫を助けてもとの都に送(おくり)ける。后大きに怒(いかつ)て、臣下に命じ御殿の庭を深く堀(ほり)て姫を埋(うづ)め殺させけるに、其後土中より光明赫(かゝ)やきけるをあやしみ大王堀らせ見給ふに、』。

「能(ヨホ)本ど尓して」、(ヨホ)は(ヨキ)でしょうか。良い具合にといった意味。

 働いているご婦人方、朗らかで楽しそうです。

背景の背の高い竹の垣根、こんな高さのものは見たことがありません。その左脇の葦簀(よしず)はどこでも使われていました。魚屋さんや八百屋さん、商店街では必須の日除けでした。

 奥に蚕棚がみえます。わたしが子どものころ手伝った母の実家ではこんな光景でありました。

 

2026年9月16日水曜日

大日本物産圖會その87

P87 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P87_1

(読み)

磐 城 國 野馬 捕 之圖

いわきのくにのうまとりのず


馬 ハ當 国 相馬(サウマ)三春 の諸 所

うまはとうこく   そうま みはるのしょしょ


尓牧場(マキバ)ありて産(サン)春゛春 秋 両  度

に   まきば ありて  さん ず はるあきりょうど


馬 とり阿り狩(カリ)の十 日も前 より

うまとりあり  かり のとおかもまえより


追寄(オヒヨセ)尓可ゝ里三 四 日以前 よりハ

   おいよせ にかかりさんよっかいぜんよりは


人 歩七 八 百  人 も出堤(ツゝミ)の上 尓

にんぷしちはっぴゃくにんもで  つつみ のうえに


立て声 を可ける原 中 尓牧士(ボクシ)

たてごえをかけるはらなかに   ぼくし


野馬 を追 立 漸〃(ゼン\/)挟(セマ)き野へ

のうまをおいたて   ぜんぜん   せま きのへ


追詰(ツメ)追巡(マハ)し大 勢 可ゝ里尓て

おい つめ おい まわ しおおぜいかかりにて


おひ伏(フセ)せ王ら轡(クツワ)を可け首(クビ)ゟ

おい  ふせ せわら  くつわ をかけ  くび より


尾へ太縄(フトナハ)を可けて引 出すこの

おへ   ふとなわ をかけてひきだすこの


時 近在(ザイ)与り見 物 群集(クンシ ウ)す

とききん ざい よりけんぶつ   ぐんしゅう す

(大意)

略

(補足)

「両度」、『りょうど りやう―【両度】二度。ふたたび。「―の合戦」』

「挟(セマ)き」、ふりがなに「セマ」きとあるので「狭い」の「犭」でしょうけど、「木」にも「扌」にもみえます。よくわかりません。

 今年2026年はそういえば午年で、それも丙午です。昔は丙午年生まれを避けたため出生数が減少したということもあったそうですが、いまでもそんな迷信が生きているのかしら。

 諸外国のカウボーイ(これは牛だけど)やガウチョ(これも牛だっけ)たちはロープなど使って捕まえてますが、ここでは素手‼️なんとも荒っぽい。

桜の堤脇ではおしゃれなカンカン帽に紫の羽織、この方は元締めでしょうね。


 

2026年9月15日火曜日

大日本物産圖會その86

P86 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P86_1

(読み)

磐 城 國 養 蠶 之圖四

いわきのくにようさんのずよん


蚕掃立(カヒコハキタテ)与り七 八 日 目頃 𥸮(クハ)

    かいこはきたて よりしちはちにちめころ  くわ


を喰止(クヒヤ)ミ色 少 し白 くかしら

を   くいや みいろすこししろくかしら


太(フト)く奈る之 を獅子の居休(イヤスミ)と

  ふと くなるこれをししの   いやすみ と


いふ此 時 早 く居可らを取 可へ

いうこのときはやくいがらをとりかえ


て与し明  朝  八 時尓可へんと思 ハゝ

てよしみょうちょうはちじにかえんとおもわば


前 夜𥸮 を喰 せて居可らを

ぜんやくわをくわせていがらを


取 替  べし此 時 縁(ヘリ)通 り尓居多る

とりかえるべしこのとき  へり とおりにいたる


蚕  を中 尓置(オキ)中 尓在りしを縁(ヘリ)へ

かいこをなかに  おき なかにありしを  へり へ


入 可へ棚(タナ)も上  下へ入 可へ連盤゛

いれかえ  たな もじょうげへいれかえれば


蚕  一 調(テ ウ)尓与く揃(ソロ)ふと云

かいこいっ  ちょう によく  そろ うという

(大意)

略

(補足)

「磐城國」、『旧国名の一。1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分割して成立。福島県東部と宮城県南部に相当する』。

「蚕掃立(カヒコハキタテ)」、『はきたて【掃き立て】② 養蚕で,孵化(ふか)したばかりの毛蚕(けご)を,羽箒(はぼうき)(脚立の左脇にある)などを使って集め,新しい蚕座(さんざ)に移し広げること。季春』。

「明朝八時」、ちょっと前なら「明けの辰刻」だったでしょうけど、明治で時刻も洋式になりました。

 蚕棚の構造がこれ以上簡単なものがないほどです。藁の丸いお盆のようなものが蚕座(さんざ)、子どものころ手伝ったものは四角いものでした。

 庭の作業はこのあと「陸中国養蚕之図六」にでてきますが、これも蚕を育てる道具です。

藁の垣根から裏門へは遠近法が使われていてます。

 忙しくしている皆さんの藍色の着物がきれいです。

 

2026年9月14日月曜日

大日本物産圖會その85

 

P85 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P85_1

(読み)

下 野 足 利 辺 高 機 之圖

しもつけあしかがへんたかはたのず


當 国 足利(アシカゝ)又 ハ上  州  桐生(キリ フ)

とうごく   あしかが またはじょうしゅう   きりゅう


辺  尓て高 機(ハタ)を以 て繻子(シユス)

あたりにてたか  はた をもって   しゅす


純子(ドンス)ホ の帯(ヲビ)地を織(オリ)出須

   どんす などの  おび ぢを  おり だす


図の如 く一 人高 きところ尓

ずのごとくひとりたかきところに


ありて綾(アヤ)をとり種々(イロ\/)の模(モ)

ありて  あや をとり   いろいろ の  も


様(ヤウ)を織(オリ)い多゛須その業(ワザ)精(セイ)

  よう を  おり いだ すその  わざ   せい


妙(メ ウ)奈りまた當 処 より織 出す

  みょう なりまたとうしょよりおりだす


絹(キヌ)ハ地多ひら尓して美麗(ビレイ)也

  きぬ はじたいらにして   びれい なり


之(コレ)足 利 絹 と云(イヒ)て名産(メイサン)と須

  これ あしかがきぬと  いい て   めいさん とす

(大意)

略

(補足)

「繻子」、『しゅす【繻子】繻子織りにした織物。絹を用いた本繻子のほか,綿繻子・毛繻子などの種類がある。天正年間(1573〜1592)に京都で中国の製法にならって初めて織られた。サテン』

「繻子織り」、『しゅすおり【繻子織り】織物の基本組織の一。たて糸とよこ糸の交わる点を少なくし,布面にたて糸あるいはよこ糸のみが現れるようにした織物。布面に,たてまたはよこのうきが密に並び,光沢があって肌ざわりがよい』

「緞子」、『どんす【緞子】〔「どん」「す」ともに唐音〕繻子(しゆす)織りの一。経(たて)繻子の地にその裏組織の緯(よこ)繻子で文様を表した光沢のある絹織物。室町中期,中国から渡来』

「綾」、『あや【文・綾】① 物の表面に表れたいろいろの形・色合い。模様。特に,斜交する線によって表された模様をいう。「―を描く」⑥ 斜文組織で文様を織り出した絹の紋織物。光沢があり,模様が浮き出て美しい。綾織物』

「足利絹」、『足利織物(あしかがおりもの)栃木県足利市およびその付近で生産される織物の総称。この地方では古くから農家の副業として足利絹、足利木綿が織られていたが、宝永(ほうえい)年間(1704~1711)に西陣から高機(たかばた)が導入され、紗綾(さや)絹が織れるようになり、桐生(きりゅう)と対抗しながら風通(ふうつう)、緞子(どんす)、紋織り朱子(しゅす)など多品種にわたる生産がみられた。1888年(明治21)にジャカード機が輸入され、輸出絹布などが織られたが、代表的製品は桐生の帯地に対し、足利は銘仙(めいせん)であった。銘仙は、絹の先染(さきぞめ)織物の一つで、縞(しま)、格子、絣(かすり)などの文様銘仙、本銘仙があった』。

 日本山海名物図会巻三に「京西陣織屋」の画があります。

 画の角度が異なっているので、参考にしたかもしれませんけど、絵師独自のもののよう。

高機の織面が斜めになっているのは、日本山海名物図会のものを見ると、器械自体が傾いているようです。

 織り糸の細かさを一本一本目でおってしまいます。拡大してみても切れることなくちゃんとつながっていました。お見事。

 高機のてっぺんで仕事中の小僧を母娘が指さして何か話しかけています。こういったちょっとした間をいれるのがうまいですね。奥の部屋では「蚕卵紙(さんらんし)」の商談中。


2026年9月13日日曜日

大日本物産圖會その84

P84 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P84_1

(読み)

下   野國 養蠶(ヤウサン)圖三

しもつけのくに   ようさん ずさん


蚕(カヒコ)の養(ヤシナ)ひ方 其 國 の寒暖(カンタン)尓

  かいこ の  やしな いかたそのくにの   かんだん に


よりて大同小異(タイトウセ ウイ)ありと雖 ども

よりて     だいどうしょうい ありといえども


先 一 枚 の種子(タネ)半 分 も生  ぜし

まずいちまいの   たね はんぶんもしょうぜし


時 折敷(ヲシキ)へ入連𥸮(クハ)の葉(ハ)を細(コマ)

とき   おしき へいれ  くわ の  は を  こま


可尓きざミてあ多ふ之(コレ)を黒(クロ)

かにきざみてあたう  これ を  くろ


子(コ)といふ其 黒蚕(クロコ)𥸮 の葉尓取

  こ というその   くろこ くわのはにとり


あ可゛るを細(ホソ)き箸(ハシ)尓て挟(ハサ)ミ別(ヘツ)の

あが るを  ほそ き  はし にて  はさ み  べつ の


噐(ウツハ)尓配(クバ)り入ること凡  種 一 枚 の

  うつわ に  くば りいることおよそたねいちまいの


蚕  を三 尺  四方 位  尓薄(ウス)くちらし

かいこをさんじゃくしほうくらいに  うす くちらし


二 日目よりハ羽 王けとて前 の如 く

ふつかめよりははねわけとてまえのごとく


日尓三 度ツゝ蚕下(コシカ)切 て養  ふ奈り

ひにさんどずつ   こしか きりてやしなうなり

(大意)

略

(補足)

「下野國」、〔「しもつけの(下毛野)」の略〕① 旧国名の一。栃木県全域にあたる。野州(やしゆう)。

「一枚の種子(タネ)半分も生ぜし」、蚕卵紙で孵化するので一枚と云っている?

「𥸮」、桑ですけど、さがしたらフォントがありました。

「蚕下」、『こした【蚕下】カイコの糞(ふん)。蚕糞(さんふん)』。

 詞書きの内容がそのまま画となっています。①とってきた桑の葉を②大きな桶のなかで庖丁で細かく切り③それを四角い箱、折敷の中のまだ小さい蚕に与えます④部屋では蚕棚で蚕を育て⑤食べ残した桑の葉や蚕の糞を箸で取り除きつつ別の噐に移しています。

 働いているのは全員女性で、よく見ると眉を剃っている(既婚)御婦人と、まだ未婚で緑色っぽい蝶々の簪を挿して桃割れの娘さんがいます。

 ちょうど詞書きの巻物にかくれてしまってますが、大きな桑の木があって、登ってとるためでしょう、はしごがかけられています。

 全員がたすき掛け姿で、昔の人はこれを男女関係なくササッと手早くしたものです。子どものときにこれが手早くできれば大人の仲間入りになるとおもって何度も練習したものです。それを見ていたばあちゃんが大笑いしていたの思い出しました。

 

2026年9月12日土曜日

大日本物産圖會その83

P83 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P83_1

(読み)

飛州  猪   捕 之圖

ひしゅういのししとりのず


野猪(ヤチヨ)ハ當 国 諸 郡 より

   やちょ はとうごくしょぐんより


出ると雖(イヘト)も大 野郡 加賀(カゝ)

でると  いえど もおおのぐん   かが


の國 との境(サカヒ)奈る白 山 の近 辺

のくにとの  さかい なるはくさんのきんぺん


最(モツト)も多 し大 勢 の人 夫鉦(カネ)

  もっと もおおしおおぜいのにんぷ  かね


太鼓(タイコ)竹 本らホ 尓て山 々

   たいこ たけぼらなどにてやまやま


より猪(しゝ)鹿(シカ)熊(クマ)奈とを狩(カリ)

より  しし   しか   くま などを  かり


出す猟師(リヤウシ)丘(オカ)尓ありて

だす   りょうし   おか にありて


獣(ジ ウ)るゐの逃(ニゲ)由くところを

  じゅう るいの  にげ ゆくところを


鉄砲(テツハウ)尓て打(ウチ)とめる那り

   てっぽう にて  うち とめるなり

(大意)

略

(補足)

「野猪」、『やちょ【野猪】いのしし』。野鳥は普段使われる単語。でも「野猪」というのがあるとは知りませんでした。

「竹本ら」、『たけ‐ぼら【竹法螺】. 〘 名詞 〙 竹を切って管(くだ)として吹き鳴らすもの。筒貝(つつがい)』

 右側の猟師は猪をねらい、左の二人は鹿を撃たんとしています。猪が全身の毛並みを逆立てて逃げる様のなんと細かい描写。目が必死そのもの、ひらいた口から真っ赤な舌と白い牙が目立ちます。うしろの二頭の鹿は、猪にくらべるとどこかのんびりで表情も笑っているようになごやか。

 山々の様子がどこも濃淡をつけてまるで狩りなど行われていないような雰囲気できれいです。ちょろちょろ流れる小川があって、これは山を描くときの絵師のお約束。

 

2026年9月11日金曜日

大日本物産圖會その82

P82 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P82_1

(読み)

飛騨 國 養 蠶 之圖二

ひだのくにようさんのずに


何(イヅ)連の年 尓ても八 十  八 夜前 後

  いず れのとしにてもはちじゅうはちやぜんご


尓ハ蚕(カヒコ)生 連出る奈り蚕  少 し出

には  かいこ うまれでるなりかいこすこしで


加ゝらハ正  午十  二時頃 暖(アタゝ)可なる

かからばしょうごじゅうにじごろ  あたた かなる


時 を見合 せ種 を取 出し白 紙

ときをみあわせたねをとりだしはくし


五六 枚 本ど尓て包(ツゝ)ミその上 を

ごろくまいほどにて  つつ みそのうえを


抜出綿(ヌキデワタ)やう奈る物 尓さつとつゝミ

    ぬきでわた ようなるものにさっとつつみ


或  ハ骨柳(コリ)王ら多゛やうの物 尓入

あるいは   こり わらだ ようのものにいれ


暖  可奈る処  へ上ゲおき日尓二三 度

あたたかなるところへあげおきひににさんど


づゝ種 を取 ひろけまた元 の如 く

ずつたねをとりひろげまたもとのごとく


奈すなりすべて蚕  を手掛 る

なすなりすべてかいこをてがける


尓ハ手を洗(アラ)ひ清浄(セイジヤウ)を旨(ムネ)と須

にはてを  あら い   せいじょう を  むね とす

(大意)

略

(補足)

「飛騨國」、岐阜県北部に当たる。飛州。

「抜出綿」、『古くなった衣服や布団などから抜き取った古い綿(わた)のこと。単に「抜綿(ぬきわた)『ぬきわた【抜き綿】古着・古布団などから抜き取った綿。ぬきでわた。』」や「抜出(ぬきで)」とも呼ばれる』。

「骨柳」、『(こつごおり/こつやなぎ)は、コリヤナギなどの枝を使って編んだ「柳行李(やなぎごうり)」の古い呼び名』。

 天井から吊るしているのは「常陸國養蠶之圖一その80」でもでてきた「蚕卵紙(さんらんし)」。庭にある脚立で吊り下げたのでしょうね。木にのぼっている人は桑の葉をとっているよう。桑の木は葉をとりやすく管理しやすいように背丈ぐらいの高さにしますが、当時は普通の樹木のようにしていたのでしょうか。

 右側では蚕卵紙の裏を箸でたたいています。卵から孵化した蚕を落としているようです。床柱に枝がついていておしゃれです。お茶を運ぶ娘さんの裾にじゃれつく🐱がいて、暖かい縁側です。右奥の家屋内でも同じ作業をしていて、村中でお蚕さんをやっている様子です。

 わたしは子どものころよく母の実家に預けられていました。埼玉県北部にある実家ではお蚕さんもやる農家で、その地域の農家の裏の畑は桑畑がずっと広がっていました。桑の葉を背中の籠に入れてとってくるのは子どもたちの仕事でよく手伝ったものです。その葉をすごい勢いで体半分を振り回すようにしてむしゃむしゃと食べていくさまは見ていて飽きませんでした。蚕棚があって、その部屋から蚕たちが食べる音がするくらいなのです。そしてその部屋はほんのりと暖かった。すぐに桑の葉はなくなってしまうので、新鮮な葉をとってきて、おやつに手作りのまんじゅうをほおばったものでした。

 

大日本物産圖會その81

P81 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P81_1

(読み)

常  州  鯉 ヲ抱 取ル圖

じょうしゅうこいをだきとるず


鯉(コイ)ハ上  州  武州  利根(トネ)川 尓多 く

  こい はじょうしゅうぶしゅう   とね がわにおおく


就中(ナカンツク)當 國 の川 々 尓て漁(リヤウ)す

   なかんずく とうごくのかわかわにて  りょう す


るものを佳味(カミ)と須網(アミ)を川

るものを   かみ とす  あみ をかわ


中 尓張(ハリ)まハし漁者(ギヨシヤ)水 中

なかに  はり まわし   ぎょしゃ すいちゅう


に飛(トビ)入 鯉 を抱(イダ)き阿げる尓

に  とび いりこいを  いだ きあげるに


水 ぎハまで浮 あ可゛り籮篭(ビク)

みずぎわまでうきあが り   びく


へ収(オサ)め或  ハ舟 中  へ抛(ナケ)あ个゛る

へ  おさ めあるいはせんちゅうへ  なげ あげ る


水 中  鯉 を加ゝへ奈可゛ら㔫 り

すいちゅうこいをかかえなが らひだり


の手尓て鯉 の目をおさへふさ

のてにてこいのめをおさえふさ


ぎ抛 あ个゛る也 水 者奈連の際(キハ)

ぎなげあげ るなりみずばなれの  きわ


大  尓手練(シユレン)安りといふ

おおいに   しゅれん ありという

(大意)

略

(補足)

「㔫」、「左」のエがヒになった漢字、フォントがないかと探したらありました。

 水中のザンバラ髪になってうしろになびく髪の毛一本一本が水の勢いも流れもあらわし、また髪の毛を透かして月代や肩甲骨をみせて、絵師・彫師・摺師のなせる業。水の濃淡も勢いや深さを変化させていて、かれらの画への強い意志を感じます。力を存分にふるった一枚であります。

<<20260911記>>

 昨日急に画像がアップロードできなくなり、昨日分を本日アップロードします。

 

2026年9月9日水曜日

大日本物産圖會その80

P80 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P80_1

(読み)

常陸  國 養 蠶 之圖一

ひたちのくにようさんのずいち


蚕(カヒコ)ハ本邦(ホンハウ)諸 國 尓製(セイ)春と雖(イヘト)

  かいこ は   ほんぽう しょこくに  せい すと  いえど


も當 國 最   多 しと須種子(タネ)随(ズイ)

もとうごくもっともおおしとす   たね   ずい


分(ブン)揃(ソロヒ)よく面(オモテ)一 様 尓して生 気強(ツヨ)

  ぶん   そろい よく  おもて いちようにしてせいき  つよ


く卵(タマゴ)の中 少 し凹(クボ)ミ種 の地合

く  たまご のなかすこし  くぼ みたねのじあい


よく志満り蛾の者多らき種

よくしまりがのはたらきしゅ


子のちらしよくあし起臭(ニホ)ひ

しのちらしよくあしき  にお い


なく取 あつ可ひ尓落(オチ)ざるを

なくとりあつかいに  おち ざるを


最(サイ)上  と須第 一 其 年 上  〃  の桑(クハ)

  さい じょうとすだいいちそのとしじょうじょうの  くわ


を喰 せ上  作 の蚕  尓てとりし種

をくわせじょうさくのかいこにてとりしたね


を極 上  と須随 分 種 元 を吟

をごくじょうとすずいぶんたねもとをぎん


味して上  種 を求(モト)むべし

みしてじょうしゅを  もと むべし


(大意)

略

(補足)

「常陸」、ほぼ茨城県北東部に当たる。常州(じようしゆう)。

「蠶」、『もともと「蚕」の字はミミズを意味する別の漢字でしたが、古くから「蠶(かいこ)」の略字として使われていたため、現在の新字体に採用された』とあって、この「蠶」は初めてみました。「旡」+「旡」+「日」+「虫」+「虫」。「旡」は「すでのつくり」or「むにょう」というのだそうです。

「蚕」、『チョウ目カイコガ科の蛾。開張約4センチメートル。全身灰白色,はねに褐色の帯の入る品種もある。胴の太い割にははねが小さく,飛べない。幼虫は体長7センチメートルほどの白いイモムシで,桑の葉を食べる。繭から絹糸をとるため数千年前から中国で飼育され,のちに世界中に広まり多くの改良品種ができた。日本では春蚕(はるご)をはじめ夏蚕(なつご)・秋蚕(あきご)などと称して農家での養蚕が盛んであった。カイコガ。家蚕(かさん)。季春』。成虫になっても品種改良が何千年も続けられて飛べないんですね。

 画の上部、竿にぶら下げているのが「蚕卵紙(さんらんし)『カイコの蛾(が)に卵を産みつけさせる厚紙。たねがみ。蚕紙。季春』」。紙に糸をとおしてそれを竿にかけているようです。

 

2026年9月8日火曜日

大日本物産圖會その79

P79 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P79_1

(読み)

下 総  國 醤  油製 造 之圖

しもうさのくにしょうゆせいぞうのず


醤  油盤葛飾郡(カツシカコホリ)野田

しょうゆは    かつしかこおり のだ


海 上  銚  子等 より出すこと

かいじょうちょうしとうよりだすこと


夥(オビタゞ)し小麥 を炒り大 豆

  おびただ しこむぎをいりだいず


尓和して麹(カウシ)を徒くり塩

にわして  こうじ をつくりしお


を咊(クワ)し天大 桶 尓いれ天

を  か  しておおおけにいれて


熟(シユク)せしと起布 の袋  に

  じゅく せしときぬののふくろに


包 ミて〆 器に入 て搾(シボ)り樽

つつみてしめきにいれて  しぼ りたる


尓詰 天諸 國 尓出す就中

につめてしょこくにだすなかんづく


野田の「萬」ハ上  品 尓して八 升  六

のだの亀甲万はじょうひんにしてはっしょうろく


合 入 を一 樽 と定 む

ごういりをひとたるとさだむ

(大意)

略

(補足)

「咊(クワ)し」、『(か、わ)。「和」の古字(昔使われていた漢字)or異体字』。

「布の袋に包ミて〆器に入て搾(シボ)り」、右の大きな箱が〆器。箱の丈夫に竿があって、その左端に何本もの綱網に重しの石がたくさん見えています。

「八升六合入を一樽」、一樽で約16kg。樽の側面には亀甲(きっこう)印の中に「万」。現在のキッコーマンです。樽が積んであるところは壁に濃淡を付けて薄暗がりの表現が見事です。左奥には積み出し船と川面が見えています。

 この画は現在でも大手のキッコーマン醤油の明治初期の工場のようです。利根川と江戸川にはさまれて絶好の立地に恵まれた野田は醤油で繁栄し、現在でも一大生産地です。そしてもうひとつ、煎餅が野田の名物でもあります。

 この画が出版された13年後の明治23年に利根川と江戸川を結ぶ利根運河が開通しました。もともと江戸時代初期、江戸川は利根川の上流の関宿で東京湾に至るように大工事で分流されましたが、貨物など交通量増加のため(浅瀬もあって不便でもあった)、もっと手前でむすぶこの運河が作られました。

 若かりし頃、この運河がどんなふうになっているか、何度か江戸川と利根川をいったりきたりしたことを思い出しました。小さな竹竿ですすめる和船があるとどこか江戸情緒を感じたものです。

 この画を見ているだけで、醤油の香りを感じてしまい、口の中がジュワッとしてしまいます。

 

2026年9月7日月曜日

大日本物産圖會その78

P78 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」

P78_1

(読み)

上総  國 建 干 網 之圖

かずさのくにたてぼしあみのず


當 國 望陀(マウダ)郡 木更 津海 濱

とうごく   もうだ ぐんきさらずかいひん


より吾妻 川 尼 の濱 尓て建

よりあずまがわあまのはまにてたて


干 網 とと奈へて満 潮  のとき

ぼしあみととなえてまんちょうのとき


沖 へ出ること一 里余  尓して六 尺

おきへでることいちりあまりにしてろくしゃく


毎 尓杭 を打 これへ網 を張 廻 ス

ごとにくいをうちこれへあみをはりまわす


こと凡  一 千 尺  志可して潮 の引くに

ことおよそいっせんしゃくしかしてしおのひくに


從  ひ磯 辺の魚 皆 此 網 中 ニ集

したがいいそべのうおみなこのあみなかにあつま


里漁 人 これをひらふ多漁  の時

りぎょじんこれをひろうたりょうのとき


交 魚 何 千 頭 と云 を志ら須゛

こうぎょなんぜんとうというをしらず


又 客  ありて網 を求  ると起ハ

またきゃくありてあみをもとめるときは


潮 の引 多るとき其 魚  をミ奈

しおのひきたるときそのさかなをみな


自  ら客  尓とらするそのさ満東

みずからきゃくにとらするそのさまとう


京  の潮 干狩 のごとし

きょうのしおひがりのごとし

(大意)

略

(補足)

「建干網」、『たてぼしあみ。干満の差を利用した伝統的な沿岸漁法、またはそのために用いる網のこと。満潮時に浅瀬や入り江の口に網を張っておき、引き潮で取り残された魚介類をタモ網や素手で捕まる』。

「望陀(マウダ)郡」、『千葉県(上総国)にあった古代からの郡で、現在の木更津市や袖ケ浦市、君津市などの小櫃川流域にあたる』。

「多漁の時交魚何千頭と云を志ら須゛」、『魚がたくさん獲れるときには、交じり合う魚の数が何千匹にのぼるか分からないほどである』。

「こと」、いままでもたくさんでてきていました。「こ」と「と」をくっつけたような字です。合字(ごうじ)といいます。「より」のごうじ「ゟ」はフォントがあるのですが、「こと」はありませんので、画像ではこれ。

詞書き最後の「ごとし」は濁点がついただけです。

 いままでの画の左右の枠外には画工と出版人の住所名前はありましたが、日付はありませんでした。右枠外に「御届明治十年八月十日」とあります。

『青淵』No.671 2005年(平成17)2月号(実業史研究情報センター長 小出 いずみ)に

『上野で開催された第1回の内国勧業博覧会の始まる10日あまり前のことでした。博覧会の出品には掲載されておらず、また、博覧会場で今日のミュージアムショップのようにして販売されていたのか、確かめられませんが、博覧会目当てに発売された、と考えてよい』とあります。

 屋形船のように大げさでなく、漁師が使う小舟にお茶席で使う緋毛氈のような敷物で即席の宴会席をしつらえて飲んで歌って踊ってご機嫌ご機嫌♫

 その小舟の舳先の先におしりを見せて魚を手づかみしていて、わざと大きくこれみよがしにお尻を見せているのはこの人だけです。明治政府の裸をみせるなというお達しなんぞ、クソくれぇだとケツをまくっているのです。

 木更津から望む富士山はほぼ真西に見えます。でっかいです。ほぼこの画のとおりかな。