P88 「船橋市西図書館所蔵」「画像の無断ダウンロード禁止」
P88_1
(読み)
陸 前 國 養 蠶 図五
りくぜんのくにようさんのずご
蚕 生 連出てより四度の居起(ヰオキ)あり
かいこうまれでてよりしどの いおき あり
最 初 獅子(シゝ)の居起 より鷹 の眠
さいしょ しし のいおきよりたかのねむり
起舟(オキフネ)の居起 庭(ニハ)の眠 ホ 也 右 居起
おきふね のいおき にわ のねむりなどなりみぎいおき
の二 日目毎(ゴト)尓尻(シリ)取 可へ𥸮 拵(あつらえ)ハ
のふつかめ ごと に しり とりかえくわ あつらえ は
蚕 尓見合 せ少 しづ あらく切 て
かいこにみあわせすこしず(つ)あらくきりて
箕(ミ)尓て埃 を去り能(ヨホ)本ど尓して
み にてほこりをさり よほ ほどにして
むら奈く喰(クハ)すべしすべて蚕 ハ可ら
むらなく くわ すべしすべてかいこはから
飼 尓するをよしと須厚(アツ)飼 尓すれ
がいにするをよしとす あつ がいにすれ
バ虫 少 さくしてま由も少 さしずい
ばむしちいさくしてまゆもちいさしずい
ぶん沢 山 尓𥸮 をくハせし蚕 ハ大
ぶんたくさんにくわをくわせしかいこはおお
ぶり尓して糸 の正 味多 しと云
ぶりにしていとのしょうみおおしという
(大意)
略
(補足)
「陸前」、1868年(明治1)陸奥(むつ)国を分轄して設置。宮城県の大部分と岩手県の一部に相当。
「四度の居起(ヰオキ)」、それぞれに獅子・鷹・舟・庭とでてきて不思議です。『養蚕秘録』(著者上垣守国。享和3(1803)年)に『天竺霖異大王の事』というのがあります。
少し長いけどこんな話。
『むかし天竺舊中國に霖異(りんゐ)大王といへるあり。后を光契(くわうけい)夫人といふ。一人の姫あり。金色姫(こんじきひめ)といふ。后薨じ給ふて後、大王新たに后妃(こううひ)を具し給ふ。此后妬(ねたみ)ふかく、姫をにくみて父大王に讒言(ざんげん)し、姫を獅子吼山(ししくざん)といふ所に捨(すて)させ給ふ。しかるに天の加護にや有(あり)けん、つゝがなくましまして獅子に乘りて中國に帰らせ給ふ。よつて、また鷹群山(ようぐんざん)といふ所へ捨(すて)給ふ。此時多くの鷹ども來り、肉を供(くう)じて姫を育みける。大王の臣下、此よし遙(はるか)に傳へ聞(きき)、密(ひそか)に姫を供奉して都に帰る。后、又姫の帰るを惡(にく)み、海眼山(かいがんざん)といふ嶋へ流し給ふ。此時、漁夫姫を助けてもとの都に送(おくり)ける。后大きに怒(いかつ)て、臣下に命じ御殿の庭を深く堀(ほり)て姫を埋(うづ)め殺させけるに、其後土中より光明赫(かゝ)やきけるをあやしみ大王堀らせ見給ふに、』。
「能(ヨホ)本ど尓して」、(ヨホ)は(ヨキ)でしょうか。良い具合にといった意味。
働いているご婦人方、朗らかで楽しそうです。
背景の背の高い竹の垣根、こんな高さのものは見たことがありません。その左脇の葦簀(よしず)はどこでも使われていました。魚屋さんや八百屋さん、商店街では必須の日除けでした。
奥に蚕棚がみえます。わたしが子どものころ手伝った母の実家ではこんな光景でありました。


0 件のコメント:
コメントを投稿