2019年4月30日火曜日

変事出来二付心得覚記 その166




 P.82 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
一   右 此 度 御出  役
ひとつ みぎこのたびごしゅつやく

吉 岡 静 助 様
よしおかせいすけさま

宇佐美藤 一 郎 様
うさみとういちろうさま


七 月 二 日御出  立 二相 成 、横 瀬村 継 立 、
しちがつふつかごしゅったつにあいなり、よこぜむらつぎたち、

三 日源 左衛門 儀持病  差 起り 、代  兵 三 郎
みっかげんざえもんぎじびょうさしおこり、かわりへいさぶろう

差 遣  し、新 立 江新 古両  組 村 役 人 組 々 二而
さしつかわし、にったちへしんこりょうぐみむらやくにんくみぐみにて

小前 共 集  ル
こまえどもあつまる

差 出 申  一 札 之事
さしだしもうしいっさつのこと

当 村 之内
とうそんのうち

新 組
しんぐみ

百  姓
ひゃくしょう


(大意)
このたび(こちらに廻村に来られた)ご出役の
吉岡静助様と
宇佐美藤一郎様は
7月2日にご出発になられ、横瀬村を経由して帰られました。
3日、源左衛門は持病を発し、代わりに兵三郎を
出向かせ、新立に新古両組の村役人たちがそれぞれの組ごとに
小前どもが集まった。

差し出した書状について

当村の
新組
百姓


(補足)
 この二人のご出役がこちらについたのは7月2日四ツ半頃でした。
村役人たちは、彼らが到着するやすぐに、二人を探しに山狩りをして村としての姿勢を示しますが、ご出役から、いまさらながら白々しいことをすると叱責をうけました。
 村では、とんでもないことをしでかした首謀者を自分たちの村からだしてしまい、咎めは本人たちだけではなく、村全体に及ぶと恐れ、首謀者をかくまっていたのだろうとおもわれます。
 ご出役は村役人叱責後、上名栗村方面へと出かけました。
一方村役人たちはもはやここまでと観念し、二人を捉えたと出かけたばかりのご出役へ使いを送り、すぐにこちらへ戻ってきて、二人への尋問を始めました。

 一通りの調べ等が終わり、「七月二日御出立二相成」の次第となります。

 ここまでの内容は、7月2日の半日と少しの出来事となります。
どうも半日だけで、片がつくような出来事ではないような気がします。

「持病差起り」、何度か字面を繰り返しながめてからやっと読めました。
「兵三郎」、「兵」がつぶれてしまって?。源左衛門さんの息子さんです。

源左衛門さんは文化11年(1814)〜明治19年(1886)。
兵三郎さんは天保10(1839)〜年明治35年(1902)。

 もう一つの書状の内容が始まります。


2019年4月29日月曜日

変事出来二付心得覚記 その165




 P.81 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
被仰付       候     間   相  慎   、都而ハ異変
おおせつけられそうろうあいだあいつつしみ、とてはいへん

無之  様 心  附 可申   、追 而御沙汰
これなきようこころつけもうすべく、おってごさた

有之  次第 、村 役 人 差 添 早 速
これありしだい、むらやくにんさしそえさっそく

召 連 可罷出   旨 被仰渡    、承  知
めしつれまかりでべくむねおおせわたされ、しょうち

奉畏      候   、依之 奥 継 を以  御請 奉申上       候   、
おそれたてまつりそうろう、よっておくつぎをもっておうけもうしあげたてまつりそうろう、

以上
いじょう

            右村
            みぎむら

寅 七 月 二 日   年 寄 軍 蔵
とらしちがつふつか   としよりぐんぞう

            組 頭  代 八
            くみがしらだいはち

岩 鼻         名主 太次郎
いわはな        なぬしたじろう

御役 人 中  様   名主 町 田滝 之助
おやくにんちゅうさま  なぬしまちだたきのすけ


(大意)
を申し渡されましたので、行動を控え問題を
起こさずに心得るよう言ってきかせます。今後の裁定が
下され次第、村役人が直ちに彼らを引き連れて
出頭するようにとのご指示は承知いたしました。
よって奥継をもちまして了承いたしましたこと申し上げます。

寅7月2日

以下略


(補足)
「都而ハ」、わかりません。
「異」、「己」+「大」。異体字。

「被 仰渡」、一文字分空白がありますが、闕字でしょうか。
「奥継」、辞書にはありませんでした。「奥書」(おくがき)、「奥印」(おくいん)はあります。


2019年4月28日日曜日

変事出来二付心得覚記 その164




 P.80 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
組 頭   代 八
くみがしら だいはち

名主  太次郎
なぬし たじろう

名主  町 田瀧 之助
なぬし まちだたきのすけ

岩 鼻
いわはな

  御役 人 中  様
  おやくにんちゅうさま

  別 段 二此 文 言 出 候
  べつだんにこのもんごんだしそうろう

前 書 之通  奉願      候   所  、猶 御糾
ぜんしょのとおりねがいたてまつりそうろうところ、なおおただし

之上右両人共腰縄村御預ケ
のうえみぎりょうにんどもこしなわむらおあずけ


(大意)
組頭 代八
名主 太次郎
名主 町田瀧之助

岩鼻お役人中様


別段に以下の文言を出しました。

前書のようにお願いしましたところではありますが、さらなるご尋問
の結果、先の両人は腰縄村預かりを


(補足)
ここの「様」は、旁の下部分が「次」のように見えます。

「腰縄」、「軽い罪の囚人を護送する際などに,腰の部分に縄をかけること」とあります。


2019年4月27日土曜日

変事出来二付心得覚記 その163




 P.79 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
組 合  伴 次郎
くみあい はんじろう

同  長兵衛
どう ちょうべい

百  姓  代  覚 蔵
ひゃくしょうだい かくぞう

同  亀 太郎
どう かめたろう

同  冨 五郎
どう とみごろう

組 頭  見習
くみがしらみならい

徳 三 郎
とくさぶろう

組 頭   仙 太郎
くみがしら せんたろう

同  忠  太郎
どう ちゅうたろう

同  平 沼 源 左衛門
どう ひらぬまげんざえもん

年 寄  軍 蔵
としより ぐんぞう


(大意)


(補足)
 前回に続き連名の署名です。

 先日購入した「名栗の歴史 上」に役職と名前が整理された一覧がありました。
ここの署名の方々のものを表形式にしたものとなります。


慶應2年村役人一覧 名前の後の括弧の中は、組名・当時の年齢

古組

役職
名主   町田滝之助(新立・33)
組頭   代八(柏木・50)、半次郎(伊倉・37)
組合見習 清八(柏屋代八倅・21)、徳三郎(小出・25)
組番   庄左衛門(柏木・46)、和助(名郷・43)、菊八(八人・39)、多吉(八人・72)
     喜重郎(八人・31)、茂八(端ケ原・58)、安五郎(端ケ原・62)、
     庄八(白岩・35、増吉(白岩・46)
百姓代  市五郎(人見・75)、亀太郎(伊倉・46)
年寄   軍蔵(新立・25)


新組

役職
名主   原田太次郎(槙下・67)
組頭   久吉(槙下・39)、仙太郎(津辺曽・54)、忠太郎(井戸入・56)、
     吉田伴次郎(小殿・36)、平沼源左衛門(鳥居・53)
組合見習 なし
組番   長兵衛、倉次郎、織之助、林蔵、亀次郎
百姓代  覚蔵(鳥居・30)、冨五郎(?・64)
年寄   なし


 またこの本の巻末付図1に「名栗地域の旧行政区と主な地名」」があります。


2019年4月26日金曜日

変事出来二付心得覚記 その162




 P.78 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
慶 應 二年 寅 七 月   親 類  清 五郎
けいおうにねんとらしちがつ  しんるい せいごろう

五人 組  惣 次郎
ごにんぐみ そうじろう

 政 次郎
どう まさじろう

同 組
どうくみ

 百  姓  紋 次郎
 ひゃくしょうもんじろう

親 類  久太郎
しんるい くたろう

五人 組  倉 次郎
ごにんぐみ くらじろう

五人 組  弥次郎
ごにんぐみ やじろう

同  梅 八
どう うめはち

同 組
どうくみ

 百  姓   豊 五郎
 ひゃくしょう とよごろう

親類   茂助
しんるい もすけ


(大意)


(補足)
 おもだった村人全員の連名で岩鼻お役所へ「御慈悲之御沙汰奉願上」っています。

「慶應」、「广」がともに冠のように小さく上部にあります。
「七月」のような場合はくずし字になってません。「有」のように部品のときはくずし字になってます。
「親類」、「親」があるので次の字が「類」と推測できますが、単体なら読めません。
「五人組」、「五」は難しいです。「組」はなんとなくわかります。
「同」、何度もでてきてます。とても簡略化されたくずし字。「同断」の表現でもよく出てきます。

名前は難しい。
翻刻された資料があるので、それを頼りに読んでます。


2019年4月25日木曜日

変事出来二付心得覚記 その161




 P.77 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
罷  在 少  々  快 方 相 成 候   二付 、
まかりありしょうしょうかいほうあいなりそうろうにつき、

立 帰 り候   儀之旨 申之 、再   應
たちかえりそうろうぎのむねもうし、ふたたびおうじ

相 糾  候   処  、全  於出先    病  氣二而
あいただしそうろうところ、すべてでさきにおいてびょうきにて

帰村 延 引 罷  成 候   段 相 違  無御座 候
きそんのびびきまかりなりそうろうだんあいちがいござなくそうろう

様 子二而、平 常  者如何 之及所業
ようすにて、へいじょうはいかがのしょぎょうとうおよび

等 候   風 聞 も無之  者 共 二付 、何 卒
  そうろうふうぶんもこれなくものどもにつき、なにとぞ

御慈悲之御沙汰奉願上候
ごじひのおさたねがいあげたてまつりそうろう

武州  秩 父郡 上 名栗 村
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

新 組
しんぐみ

 百  姓  畄 吉
 ひゃくしょうとめきち


(大意)
したところ、少し良くなったので
帰宅したとのことで、再度
尋問しました。そうしたところ出先で病気になってしまい
帰村が遅れてしまったことに相違いない様子でございます。
普段の生活では何か良からぬことを
するということを聞くような者どもでもありませんので、何卒
御慈悲をおかけくださるようお願い申し上げます。

武州秩父郡上名栗村
新組
 百姓 畄吉


(補足)
「在」、何度出てきても?です。
「全於出先」、大意のようにはしましたがよくわわかりません。意味はわかりますが正しい読み方はどうなのでしょうか。
「平常」、「常」がなんともすごいくずし字です。

「乍恐〜」のところでも同じですが、「御慈悲」の「悲」がこの当時は「非」になっています。


 昨日2019年4月24日に飯能市立博物館にて「名栗の歴史 上  飯能市教育委員会 ¥2000」を購入しました。この本のP422〜P446にこの覚記の詳しい解説があります。

 この解説を頼りに、ここまでの大意で曖昧な箇所や明らかな誤読などを再度読み、修正し、更新しました。これでいくらかは正確になったことだろうとホッしましたが、まだまだおかしなところがたくさんあるのではないかとヒヤヒヤしています。



2019年4月24日水曜日

変事出来二付心得覚記 その160




 P.76 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
無誰彼と   飯 能 村 邊  人 家打 毀
だれかれとなくはんのうむらあたりじんかうちこわし

及騒動     、混 雑 之中 江入 交  居り、
そうどうにおよび、こんざつのなかへいりまじりおり、

漸   間合 ヲ見斗  ひ逃 去 帰 り
しばらくまあいをみはからいにげさりかえり

途中  暑 邪 二当 り、薬用
とちゅうしょじゃにあたり、やくよう

(大意)
誰彼となく、飯能村周辺の人家を打ち壊し
乱暴をはたらきました。そのような混雑の中を動き回り
様子を見計らって逃げ去って帰ってくる
途中、暑さにやられ薬を飲み治療(したところ)


(補足)
「逃」、「兆」のくずし字が「外」に似ています。
「暑」、読めません。
「邪」、「阝」のくずし字の最後にどうして「一」があるのでしょう。

わたしの目が特に慣れてきたわけではなく、このあたりの手跡は、楷書に近く読みやすく感じます。