2019年6月21日金曜日

変事出来二付心得覚記 その218




 P.121 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
畄 吉 儀者平 日 実 体 柔  和之もの
とめきちぎはへいじつじったいにゅうわのもの

二而、如何 之可及   所業   毛の二無御座、
にて、いかがのおよぶべきしょぎょうものにござなく

殊 二其 砌  ゟ 引 續  只 今 以病氣
ことにそのみぎりよりひきつづきただいまびょうきをもって

相 煩   居 、如何二も不便 至極 二御座候  間   、
あいわずらいおり、いかにもふべんしごくにござそうろうあいだ

不顧恐をも     此 段 御歎 願 奉申上候、
おそれをもかえりみずこのだんごたんがんもうしあげたてまつりそうろう


(大意)
畄吉については普段の生活態度は穏やかです
ので、何かをしてしまうということの心配はございません。
その上あのとき以来引き続き現在も病気で
煩っております。大変に具合の悪い状態になっておりますので
恐れ多いことではありますが、此の段ご嘆願申し上げます。


(補足)
「平日実体柔和」、時代ががった言い回しですが現代でも使えそうです。
「如何之可及」、読み方がわかりません。(どうのこうの)とも読めるような気がしますが。
「殊二」、「朱」のくずし字が難。
「歎願」、「嘆願」ではないほうの字です。「願」は頻出ですが、ここのくずし字はいつもとは異なるような形です。しかしこのあとの「願」はみな同じ形になってます。


2019年6月20日木曜日

変事出来二付心得覚記 その217




 P.120 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
候   上 者、腰 縄 之毛のハ本 縄 、縄 附 二
そうろううえは、こしなわのものはほんなわ、なわつきに

無之  毛のも腰 縄 申  附 候   義二候   間  、
これなきものもこしなわもうしつけそうろうぎにそうろうあいだ

其 旨 可相心得    旨 被仰聞    、翌
そのむねあいこころえべきむねおおせきかされ、よく

廿   七 日 、三 人 と茂同 国 府中  宿  江
にじゅうしちにち、さんにんともどうこくふちゅうしゅくへ

御差 立 相 成 候得共   、前以 申  上 候   通
おさしたてあいなりそうらえども、いぜんもうしあげそうろうとおり


(大意)
にあたっては、腰縄の者は本縄、縄付き
ではない者も腰縄を申し付けるので
そのことを了解するようにとの旨申し聞かされました。翌
27日3人とも同国府中宿へ
差し出すことにはなりましたが、以前申し上げましたとおり


(補足)
「腰縄之毛のハ」「無之毛のも」「三人と茂」、「も」をちゃんと使い分けています。
「毛の」、「者」の「も」のときは「毛」。「毛のも」、助詞の「も」は平仮名。「共」の「も」は「茂」。

「被 仰聞」、1字空白があります。闕字(けつじ)です。お上に敬意を表します。
昨日も同じ表現が2箇所ありましたが、一つは闕字あり、もう一つはありません。



2019年6月19日水曜日

変事出来二付心得覚記 その216




 P.120 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
頂  戴 仕    候   間  罷  出、先 般 腰 縄 村
ちょうだいつかまつりそうろうあいだまかりで、せんぱんこしなわむら

御預ケ被仰付    候   者紋 次郎 豊 五郎
おずけおおせつけられそうろうはもんじろうとよごろう

両  人 之旨 申  立 候   處  被仰聞    候   者
りょうにんのむねもうしたてそうろうところおおせきかされそうろうは

岩 鼻 御役 所 ゟ 三 人 名前 附 二而
いわはなおやくしょよりさんにんなまえつきにて

御引 渡  相 成 候   二付 其 方 共 申  立 之趣
おひきわたしあいなりそうろうにつきそのほうどももうしたてのおもむき

相 違  も有之  間敷 、乍去   囚  人 受 取
あいちがいもこれありまじく、さりながらしゅうじんうけとり


(大意)
頂戴いたしましたので出かけてまいりました。先だって腰縄
村お預けを言い渡されていた紋次郎、豊五郎
両人について説明しましたところ、伺った内容は
岩鼻お役所より3人連名で
お引渡しになるとのことでありました。村役人たちの申立の事情が
間違いであるということもないだろうが、だからといって囚人を受け取る


(補足)
 このあたりのどの頁も手跡にブレもなく、とても安定していてきれいです。

「頂」のくずし字がとても簡略されてます。「頂戴」となってないと読めません。
「被仰付」「被仰聞」、「被」が今までとは異なり、もとの字体を保っています。源左衛門さんってこんなふうに書いてましたっけ?
「間敷」、二文字セットで覚えます。「敷」は左右の部品がが上下になり「攵」が下部になります。
「乍去」、「乍恐(おそれながら)」のように頻出。
「受」、わかりずらい。


2019年6月18日火曜日

変事出来二付心得覚記 その215




 P.119 6行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
今 般 関 東 御取 締  吉 田僖平 次様
こんぱんかんとうおとりしまりよしだかへいじさま

外 御壱人 ゟ 、当 月 廿   六 日 先 般 腰 縄
ほかおひとりより、とうげつにじゅうろくにちせんぱんこしなわ

村 預 ケ申  附 置 候   紋 次郎 豊 五郎
むらあずけもうしつけおきそうろうもんじろうとよごろう

畄 吉 三 人 と茂御同 人 様 江御引 渡
とめきちさんにんともごどうにんさまへおひきわたし

相 成 候  間   、村 役 人 差 添 御廻 村 先
あいなりそうろうあいだ、むらやくにんさしそえごかいそんさき

飯 能 村 御旅 宿 江可差出   旨 御書 附
はんのうむらおたびやどへさしだすべきむねおかきつけ


(大意)
この度関東御取締吉田僖平次様
ほかもうお一人より、当月26日先の腰縄
村預けを申し付けておいた紋次郎豊五郎
畄吉3人ともお取締役様へお引渡しに
なることになりましたので、村役人が引率し御廻村先の
飯能村ご宿泊先へ差し出す旨のお書付を


(補足)
「外」、「タ」の上部がいつもとは少し異なるくずし字です。
「廿六」、この「廿」が「ホ」にみえてしまいます。「六」がわかれば、あっそうかと納得。
「茂」(も)は前頁では「毛」でした。
「飯能」、「能」の筆の運びを前頁で詳しくみましたが、昨日の「罷」についても、下部の部分は「能」でやはり、同じくずし字になっているのがわかります。
「旨」がややわかりにくい。


2019年6月17日月曜日

変事出来二付心得覚記 その214




 P.119 最初〜5行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
太次郎 同 町 田瀧 之助 両  人 ゟ 申  立
たじろうどうまちだたきのすけりょうにんよりもうしたて

候   處  、紋 次郎 豊 五郎 弐人 者腰 縄
そうろうところ、もんじろうとよごろうににんはこしなわ

村 御預  相 成 、畄 吉 者別 段 御沙汰も
むらおあずけあいなり、とめきちはべつだんおさたも

無之  二付 、役 人 共 ゟ 事実 申  上 候   義
これなくにつき、やくにんどもよりじじつもうしあげそうろうぎ

御聞 届  相 成 候   儀と存  罷  在 候   處
おききとどけあいなりそうろうぎとぞんじまかりありそうろうところ


(大意)
太次郎と町田瀧之助両人より申し上げ
ましたところ、紋次郎、豊五郎の二人は腰縄
村預けとなり、畄吉については別段ご沙汰も
ありませんでした。そのようなことで村役人たちより申し上げた事実を
お聞き届けくださったものと存じ上げておりました。しかしながら


(補足)
 源左衛門さん、心身の状態は大変に良いようです。とても安定した手跡で乱れも全くありません。気負いも力みもなく淡々と筆を運んでいます。

「瀧之助」としたり「町田瀧之助」であったり、気分次第のようです。
「存罷在」、「存在」は「子」と「土」の違いだけですが、くずし字はずいぶんと形が異なります。


2019年6月16日日曜日

変事出来二付心得覚記 その213




 P.118 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
候  得共 、透 を窺  ひ帰村 可致   と、
そうらえども、すきをうかがいきそんいたすべくと

同 十  五日 夕 、場所 立 去り候   途中  病  發
どうじゅうごにちゆう、ばしょたちさりそうろうとちゅうやまいはっし

致  、右 者痢病  之症  二而腹 痛 強
いたし、みぎはりびょうのしょうにてふくつうつよく

歩行 相 成 兼 候   處  、幸  ひ飯 能 村
ほこうあいなりかねそうろうところ、さいわいはんのうむら

最寄 下 鹿山 村 百  姓  倉 吉 者畄 吉
もよりしもかやまむらひゃくしょうくらよしはとめきち

実 家兄 二付 、同 人 方 江罷  越 厄 介 相 成
じっかあににつき、どうにんかたへまかりこしやっかいあいなり

薬 用 罷  在 候   二付 、帰宅 延 引 およひ
やくようまかりありそうろうにつき、きたくのびびきおよび

候   旨 申之 、且 紋 次郎 豊 五郎 義も追 々
そうろうむねもうし、かつもんじろうとよごろうぎもおいおい

帰村 罷  在 候   處  、同 七 月 朔日  当 御出  役
きそんまかりありそうろうところ、どうしちがつついたちとうごしゅつやく

御両  人 様 御廻 村 二付 、右 之段 名主
ごりょうにんさまごかいそんにつき、みぎのだんなぬし


(大意)
ですが、すきを見て村に帰ろうと
同月15日夕方、その場所から立ち去る途中具合が
悪くなり、腹下しの症状のようで腹痛がひどく
歩くことが困難になってしまいました。しかし幸いにも飯能村の
最寄りの下鹿山村百姓倉吉が実家の兄でしたので、そこへ行き世話になり
手当をしてもらいました。そのために帰宅が延び引くことに
なってしまったと申しておりました。あわせて、紋次郎、豊五郎もあとになって
帰村いたしましたところ、7月1日ご出役
ご両人様が御廻村につき、以上のような事情を名主


(補足)
いつもは「候得共」は3文字が小さくまとまって書かれてますが、ここは例外的です。
「透き」、普段は「隙」のほうをよく使います。ほぼ楷書です。
「窺ひ」、「穴」の「八」の部分が小さい。これもほぼ楷書。
「十五」、いつもながら漢数字が小さいです。古文書ではなぜか漢数字が小さいのはなぜなのでしょう。日にちや金額などはたいてい大切なことだとおもうのですが。
「場所」、ここもほとんど楷書。
「發」、「癶」+「弓」+「殳」がよくわかります。
「痢病」、「疒」の点々がありません。
「腹痛」、ほとんど楷書で、偏の「月」(にくずき)がはっきりしてます。
「飯能」、ここは字が大きいので、筆の運びがよくわかります。「能」はいつもつぶれていてしまってよくわからなかったのですが、ここは運筆が明らか。「ヒ」ふたつののところが、「ニ」を最初に書いて、二画目から左上に筆を運んでそのまま上から真下へ底のところで「ち」のような感じでクルッと右へ、となってます。

「最寄」、「最」が「取」はすぐにわかりますが、その上の部分がわかりずらい。
「厄介」、「介」が?
「薬」、いままでのくずし字よりさらに簡略されているようです。
「罷在」、この後にもでてきますが、「在」は形で覚えます。
「朔日」、頻出ですが七月があるのでわかります。

 楷書に近い漢字が多く使われているような気がします。丁寧に記されているからなのでしょう。
源左衛門さんの手跡に違いありません。


2019年6月15日土曜日

変事出来二付心得覚記 その212




 P.117 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
百  姓   畄 吉
ひゃくしょう とめきち

寅 三 十  三 才
とらさんじゅうさんさい

右 の毛の義、当 六 月 十  三 日 夜 打 毀  徒黨
みぎのものぎ、とうろくがつじゅうさんにちよるうちこわしととう

人 数 二不引込  、高麗郡 飯 能 村 江罷  出
にんずうにひきこまず、こまぐんはんのうむらへまかりで

候   處  、一 同 之毛の共 ハ追 々 同 十  六 日 迄 ニ立 戻
そうろうところ、いちどうのものどもはおいおいどうじゅうろくにちまでにたちもどり

候  得共 、同 組 百  姓  紋 次郎 豊 五郎 右
そうらえども、どうぐみひゃくしょうもんじろうとよごろうみぎ

畄 吉 三 人 而巳村 方 江不立戻   候    二付、
とめきちさんにんのみむらかたへたちもどらずそうろうにつき

其 段 御訴   可奉申上        と、村 役 人 共 同 十  八 日
そのだんおうったえもうしあげたてまつりべきと、むらやくにんどもどうじゅうはちにち

御当 所 江罷  出候   後 江畄 吉 義立 戻
ごとうしょへまかりでそうろうのちへとめきちぎたちもどり

候   二付 、出先 之始末 承     糾  候   處  、全   騒  立
そうろうにつき、でさきのしまつうけたまわりただしそうろうところ、まったくさわぎたち

人 数 二被申威    、無拠     飯 能 村 迄 罷  出
にんずうにもうしおどされ、よんどころなくはんのうむらまでまかりで


(大意)
百姓 留吉
寅33歳

右の者はこの6月13日夜打ち壊しの徒党の
仲間には引き込まれず、高麗郡飯能村へ出かけ
ましたところ、仲間の者たちは少しずつ同16日までに村へ戻った
のですが、同組百姓紋次郎と豊五郎、そしてこの
留吉3人だけが村へは戻ってきませんでした。そこで
このことをお届け申し上げなければと、村役人は同18日
お役所へ出かけた後に留吉は戻ってきました
ので、出先での事情を尋問し糺しましたところ、大変な騒ぎで
その人数に圧倒されてしまい、しかたなく飯能村へ出かけてしまいました。


(補足)
 この頁は源左衛門さんの手跡だとおもいます。

「毛」、変体仮名「も」が2箇所あります。この数ページ前では使われていませんでした。
「夜」、「亠」は「亻」とひとつになって偏となってます。
「候得共」、定型句、3文字セットで覚えます。
「御訴可奉申上と」、「訴」はしばらく見つめていて、なんとなく納得。「と」の変体仮名は「登」、「止」などですが、ここのは「与」に見えます。「よ」ではおかしいのですけど。
「当所」、ここの「所」は左右の部品がはっきり分かれている。
「後」、このようには(のち)があまり使われなかったような気がします。くずし字もやや難。
「無拠」、この頁では「処」が旧字体の「處」と記されてますが、
この「拠」も「扌」+「處」と徹底しています。