2019年6月16日日曜日

変事出来二付心得覚記 その213




 P.118 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
候  得共 、透 を窺  ひ帰村 可致   と、
そうらえども、すきをうかがいきそんいたすべくと

同 十  五日 夕 、場所 立 去り候   途中  病  發
どうじゅうごにちゆう、ばしょたちさりそうろうとちゅうやまいはっし

致  、右 者痢病  之症  二而腹 痛 強
いたし、みぎはりびょうのしょうにてふくつうつよく

歩行 相 成 兼 候   處  、幸  ひ飯 能 村
ほこうあいなりかねそうろうところ、さいわいはんのうむら

最寄 下 鹿山 村 百  姓  倉 吉 者畄 吉
もよりしもかやまむらひゃくしょうくらよしはとめきち

実 家兄 二付 、同 人 方 江罷  越 厄 介 相 成
じっかあににつき、どうにんかたへまかりこしやっかいあいなり

薬 用 罷  在 候   二付 、帰宅 延 引 およひ
やくようまかりありそうろうにつき、きたくのびびきおよび

候   旨 申之 、且 紋 次郎 豊 五郎 義も追 々
そうろうむねもうし、かつもんじろうとよごろうぎもおいおい

帰村 罷  在 候   處  、同 七 月 朔日  当 御出  役
きそんまかりありそうろうところ、どうしちがつついたちとうごしゅつやく

御両  人 様 御廻 村 二付 、右 之段 名主
ごりょうにんさまごかいそんにつき、みぎのだんなぬし


(大意)
ですが、すきを見て村に帰ろうと
同月15日夕方、その場所から立ち去る途中具合が
悪くなり、腹下しの症状のようで腹痛がひどく
歩くことが困難になってしまいました。しかし幸いにも飯能村の
最寄りの下鹿山村百姓倉吉が実家の兄でしたので、そこへ行き世話になり
手当をしてもらいました。そのために帰宅が延び引くことに
なってしまったと申しておりました。あわせて、紋次郎、豊五郎もあとになって
帰村いたしましたところ、7月1日ご出役
ご両人様が御廻村につき、以上のような事情を名主


(補足)
いつもは「候得共」は3文字が小さくまとまって書かれてますが、ここは例外的です。
「透き」、普段は「隙」のほうをよく使います。ほぼ楷書です。
「窺ひ」、「穴」の「八」の部分が小さい。これもほぼ楷書。
「十五」、いつもながら漢数字が小さいです。古文書ではなぜか漢数字が小さいのはなぜなのでしょう。日にちや金額などはたいてい大切なことだとおもうのですが。
「場所」、ここもほとんど楷書。
「發」、「癶」+「弓」+「殳」がよくわかります。
「痢病」、「疒」の点々がありません。
「腹痛」、ほとんど楷書で、偏の「月」(にくずき)がはっきりしてます。
「飯能」、ここは字が大きいので、筆の運びがよくわかります。「能」はいつもつぶれていてしまってよくわからなかったのですが、ここは運筆が明らか。「ヒ」ふたつののところが、「ニ」を最初に書いて、二画目から左上に筆を運んでそのまま上から真下へ底のところで「ち」のような感じでクルッと右へ、となってます。

「最寄」、「最」が「取」はすぐにわかりますが、その上の部分がわかりずらい。
「厄介」、「介」が?
「薬」、いままでのくずし字よりさらに簡略されているようです。
「罷在」、この後にもでてきますが、「在」は形で覚えます。
「朔日」、頻出ですが七月があるのでわかります。

 楷書に近い漢字が多く使われているような気がします。丁寧に記されているからなのでしょう。
源左衛門さんの手跡に違いありません。


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