P.116 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
被仰聞 候 二付 驚 入 、翌 廿 七 日
おおせきかされそうろうにつきおどろきいり、よくにじゅうしちにち
岩 鼻 江名主 太次郎 源 左衛門
いわはなへなぬしたじろうげんざえもん
参 り、廿 八 日 出 立 鬼 石 泊 り、廿 九日
まいり、にじゅうはちにちしゅったつおにいしとまり、にじゅうくにち
岩 鼻 着 、右 願 書 差 出 候 所 、明日
いわはなちゃく、みぎがんしょさしだしそうろうところ、あす
早 朝 罷 出候 趣 被仰聞 二付 、卅 日 朝
そうちょうまかりでそうろうおもむきおおせきかされにつき、さんじゅうにちあさ
罷 出候 所 、留 吉 儀者病 気之趣 二付 腰 縄
まかりでそうろうところ、とめきちぎはびょうきのおもむきにつきこしなわ
村 預 ケニも不致 、乍去 村 役 人 共 格 別 心 配 致 スニ
むらあずけにもいたさず、さりながらむらやくにんどもかくべつしんぱいいたすに
不及 、留 吉 儀者至 而書 送 りも手 軽く右 心 得 二而
およばず、とめきちぎはいたってかきおくりもてがるくみぎこころえにて
帰村 可致 被仰付 候
きそんいたすべくおおせつけられそうろう
乍恐 以書付 奉願上 候
おそれながらかきつけをもってねがいあげたてまつりそうろう
武州 秩 父郡 上 名栗 村 新 組
ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんぐみ
(大意)
聞かされまして驚いてしまいました。翌27日
岩鼻へ名主太次郎と源左衛門が
出かけました。28日に出発し鬼石に泊まり、29日
岩鼻に着きました。(この後に控えた記した)願書を提出しましたところ、明日
早朝出かけてくるようにと聞かされました。30日朝
出かけましたところ、留吉は病気であったようなので、腰縄
村預けとも致さず、しかし村役人たちは格別に心配することも
ない。留吉は書付文面より罪も軽く、そのようなことなので
村に帰ってよいと申し渡されました。
乍恐以書付奉願上候
武州秩父郡上名栗村新組
(補足)
27日に飯能村から岩鼻へ出かけるべくまずは名栗村へ帰り、28日に出発したという内容だと思います。鬼石は現在の藤岡。岩鼻は高崎。いずれにしろ秩父の山路を越え、悪路難路の連続です。
途中かごや馬を使ったかもしれませんが。50を超えている源左衛門さんには過酷な道中です。
また村役人のこのような出張経費は実に細かく定められていて、途中の食事もいくらいくらと決められていました。金銭に関しては現在からでも想像できないくらい細かいのに驚かされます。
留吉までもがお咎めを受けると真っ青になったわけでしたが、代官所で留吉は無罪放免となりさぞかしホッとしたことでしょう。遠路足を運んだかいがあったというものです。
このあたりの書き手の手跡に元気がないと申し上げてきましたが、どうもこの書き手の癖のような気がしてきました。
また、最初の3行とその後で書き手が変わっているような気もします。
「驚入」、わかってしまうとなるほどとおもいますが、初見では悩んでしまいます。
「翌」がやはりわかりにくい。
「廿」が次の「七」をみて、わかりました。このあとの「廿八」「廿九」はすぐにわかりました。
「名主」、この「主」は?
「着」と「差」のくずし字の違いが、わかりやすいです。「着」は最後の画が「い」、「差」は「エ」。
「差出候所」、の「所」が今までのくずし字と異なる。この二行後「罷出候所」では今までのくずし字になってます。
「丗日」、あまり出てこないので、わかりずらい。
「明日」「早朝」「朝」、旁の「月」に注意。
「手軽く右心得」、「く右」が重なるようになってしまってます。
「被仰聞候」「被仰聞二付」「被仰付候」、みな同じような言い回しになってます。
お上からの話を聞かされていることの表現です。
最後の二行は定型文。
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