2019年6月15日土曜日

変事出来二付心得覚記 その212




 P.117 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
百  姓   畄 吉
ひゃくしょう とめきち

寅 三 十  三 才
とらさんじゅうさんさい

右 の毛の義、当 六 月 十  三 日 夜 打 毀  徒黨
みぎのものぎ、とうろくがつじゅうさんにちよるうちこわしととう

人 数 二不引込  、高麗郡 飯 能 村 江罷  出
にんずうにひきこまず、こまぐんはんのうむらへまかりで

候   處  、一 同 之毛の共 ハ追 々 同 十  六 日 迄 ニ立 戻
そうろうところ、いちどうのものどもはおいおいどうじゅうろくにちまでにたちもどり

候  得共 、同 組 百  姓  紋 次郎 豊 五郎 右
そうらえども、どうぐみひゃくしょうもんじろうとよごろうみぎ

畄 吉 三 人 而巳村 方 江不立戻   候    二付、
とめきちさんにんのみむらかたへたちもどらずそうろうにつき

其 段 御訴   可奉申上        と、村 役 人 共 同 十  八 日
そのだんおうったえもうしあげたてまつりべきと、むらやくにんどもどうじゅうはちにち

御当 所 江罷  出候   後 江畄 吉 義立 戻
ごとうしょへまかりでそうろうのちへとめきちぎたちもどり

候   二付 、出先 之始末 承     糾  候   處  、全   騒  立
そうろうにつき、でさきのしまつうけたまわりただしそうろうところ、まったくさわぎたち

人 数 二被申威    、無拠     飯 能 村 迄 罷  出
にんずうにもうしおどされ、よんどころなくはんのうむらまでまかりで


(大意)
百姓 留吉
寅33歳

右の者はこの6月13日夜打ち壊しの徒党の
仲間には引き込まれず、高麗郡飯能村へ出かけ
ましたところ、仲間の者たちは少しずつ同16日までに村へ戻った
のですが、同組百姓紋次郎と豊五郎、そしてこの
留吉3人だけが村へは戻ってきませんでした。そこで
このことをお届け申し上げなければと、村役人は同18日
お役所へ出かけた後に留吉は戻ってきました
ので、出先での事情を尋問し糺しましたところ、大変な騒ぎで
その人数に圧倒されてしまい、しかたなく飯能村へ出かけてしまいました。


(補足)
 この頁は源左衛門さんの手跡だとおもいます。

「毛」、変体仮名「も」が2箇所あります。この数ページ前では使われていませんでした。
「夜」、「亠」は「亻」とひとつになって偏となってます。
「候得共」、定型句、3文字セットで覚えます。
「御訴可奉申上と」、「訴」はしばらく見つめていて、なんとなく納得。「と」の変体仮名は「登」、「止」などですが、ここのは「与」に見えます。「よ」ではおかしいのですけど。
「当所」、ここの「所」は左右の部品がはっきり分かれている。
「後」、このようには(のち)があまり使われなかったような気がします。くずし字もやや難。
「無拠」、この頁では「処」が旧字体の「處」と記されてますが、
この「拠」も「扌」+「處」と徹底しています。


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