2019年6月9日日曜日

変事出来二付心得覚記 その206




 P.111 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
七 月 廿   六 日 昼 頃 、名栗 ヲ引 立 二相 成
しちがつにじゅうろくにちひるごろ、なぐりをひきたてにあいなり

囚  人 三 人 江組 頭  仙 太郎 ・百  姓  代
しゅうじんさんにんへくみがしらせんたろう・ひゃくしょうだい

覚 蔵 附 添 、飯 能 村 江罷  出、継 立
かくぞうつきそい、はんのうむらへまかりで、つぎたて

赤 沢 村
あかざわむら

跡 より名主 太次郎 ・組 頭  源 左衛門
あとよりなぬしたじろう・くみがしらげんざえもん

両  人 罷  出、飯 能 江夕 方 着  以多し、
りょうにんまかりで、はんのうへゆうがたちゃくいたし

堺  屋又 右衛門殿 宅 江参 り、下宿  者
さかいやまたえもんどのたくへまいり、げしゅくは

肴  やと申  内 江案 内 ニ付 参 り候
さかなやともうすうちへあんないにつきまいりそうろう


(大意)
7月26日昼頃、名栗村から引き立てることになり
囚人3人を組頭仙太郎と百姓代
覚蔵が付き添い、飯能村へ出発しました。途中
赤沢村からあとは、名主太次郎・組頭源左衛門
両人にかわり、飯能村へは夕方着きました。
堺屋又右衛門殿宅へ行き、宿泊先は
「さかなや」という家に案内されました。


(補足)
 頁中央に数行分の空白があります。後半のほうが筆圧は少し弱くなり、字の大きさもうやや小さくなってます。しかし手跡は同じように見えます。

 空白前後の文章の区切り、「赤沢村」+「空白」+「跡より」も不自然です。
推理しても、うーん、もう少し考えましょう。

「継」、これだけだと読めませんが、「罷出継立」と文章になると前後関係から予想できます。
「跡より」、「跡」の「足」が難しい。平仮名「より」はこの前の頁にもありましたが、この部分を記している人の癖だとおもいます。

 堺屋又右衛門は飯能村で打ち壊しにあった名主で穀物屋です。まだ打ち壊しにあった直後で慌ただしかったはずです。大通りからひとつ北側の通りにありました。

 名栗村を昼頃出て飯能村へ夕方着きました。
3人を縄付きで引き立て歩いたわけですが、やはり通常より時間がかかっています。
道中沿道は村民が立ち見したことでしょう。
引き立てたのは両人と二人であることが記されてますが、そんなことはなかったはずです。
露払いのように、両人に先立って、何人かが先導したこととおもいます。


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