2019年6月27日木曜日

変事出来二付心得覚記 その224




 P.126 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
仰付候        間  、不取敢  罷  出再   御歎
おおせつけられそうろうあいだ、とりあえずまかりでふたたびごたん

願 奉申上候          、何卒以
がんもうしあげたてまつりそうろう、なにとぞ

御慈非畄 吉 身分 之義幾 重
ごじひとめきちみぶんのぎいくえ

二も御憐 愍 御宥 免 の御沙
にもごれんびんごゆうめんのおさ

汰被成下   置度  奉願上候          、以上
たなしくだされおきたくねがいあげたてまつりそうろう、いじょう

   関東御郡代岩鼻附御料所
   かんとうごぐんだいいわはなつきごりょうしょ

     武州秩父郡上名栗村
     ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

         役人惣代
         やくにんそうだい

岩 鼻 ヲ晦日 八ツ立 二而鬼 石 泊 り八 月
いわはなをみそかやつだちにておにいしとまりはちがつ


(大意)
ご指示がありましたので、とりあえず出かけ再びご嘆願
申し上げます。なにとぞ
お慈悲をもって留吉の罪状についてかさねがさね
情けをおかけいただき許して下さるよう裁定
がなされることをお願い申し上げます。以上。

関東御郡代岩鼻附御料所
武州秩父郡上名栗村
役人惣代

岩鼻を30日2時に出発し鬼石に泊り、8月


(補足)
「不取敢」、わたしの大正3年生まれの父が手紙でこんなふうに書いていました。
「再」、なかなか難しい。筆の運びは、「一」のあと、二画目で左下までいって「冂」、右下で中ごろから「二」をつなげるようにしておしまい。

「何卒以」、P.121でも出てきました。平出。
「御慈非」、現在は御慈悲です。
「幾重」「憐愍」、とてもわかりやすくてきれい。
「成」のくずし字は辞書には二通りあるようです。一つは原型をとどめるもの。もう一つがこちらのもの。

御慈悲、幾重にも御憐愍、御宥免とあらん限りの御嘆願です。

鬼石は藤岡市と皆野の中間あたりの街。


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