P.114 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」
(読み)
下 鹿山 村 出 生 者 二而、出先 二於 帝
しもかやまむらしゅっせいしゃにて、でさきにおいて
霍 乱 致 、兄 倉 吉 方 江十 五日 罷 出、
かくらんいたし、あにくらよしかたへじゅうごにちまかりで
薬 用 手当 二預 り、実 家母 二送
やくようてあてにあずかり、じっかははにおく
ら連参 り候 趣 申 候 二付 、其 段 七 月 一 日
られまいりそうろうおもむきもうしそうろうにつき、そのだんしちがつついたち
御支配 御出 役 様 江右 之段 申 上 候 処 、
ごしはいごしゅつやくさまへみぎのだんもうしあげそうろうところ
御調 も無之 御沙汰闇 と相 心 得、
おしらべもこれなくおさたやみとあいこころえ
腰 縄 村 預 ケ之儀者紋 二郎 豊 五郎
こしなわむらあずけのぎはもんじろうとよごろう
両 人 限 り候 段 申 上 候 所 、其 書 付
りょうにんかぎりそうろうだんもうしあげそうろうところ、そのかきつけ
(大意)
下鹿山村生まれの者で、出先にて
具合が悪くなり、兄の倉吉方へ(6月)15日に行き
病気の介抱をしてもらってました。実家の母に送られて
村に戻った事情を話しました。そのことを7月1日
御支配御出役様へ先程事情を申し上げましたところ
お調べもお沙汰もないと理解しましたので
腰縄村預ケの者は紋二郎と豊五郎
の二人だけでしたと申し上げました。しかし、その書付を
(補足)
この頁前後の手跡はどことなく元気がありません。どこか具合が悪かったのかもしれません。
「霍乱」、夏場の変事でしたから、今なら熱中症などでしょうか。
「闇」、「門」は「冖」のようで、「音」のくずし字は難しい。もう一度出てきても読めなさそう。
「紋二郎」「豊五郎」、「紋」と「豊」が名前の主で、それ以外は小さいのは、「二郎」も「五郎」もありふれたものだからか。
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