2019年6月14日金曜日

変事出来二付心得覚記 その211




 P.116 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
被仰聞    候   二付 驚   入 、翌 廿   七 日
おおせきかされそうろうにつきおどろきいり、よくにじゅうしちにち

岩 鼻 江名主 太次郎 源 左衛門
いわはなへなぬしたじろうげんざえもん

参 り、廿   八 日 出  立 鬼 石 泊 り、廿   九日
まいり、にじゅうはちにちしゅったつおにいしとまり、にじゅうくにち

岩 鼻 着  、右 願 書 差 出 候   所  、明日
いわはなちゃく、みぎがんしょさしだしそうろうところ、あす

早 朝  罷  出候   趣   被仰聞    二付 、卅    日 朝
そうちょうまかりでそうろうおもむきおおせきかされにつき、さんじゅうにちあさ

罷  出候   所  、留 吉 儀者病  気之趣   二付 腰 縄
まかりでそうろうところ、とめきちぎはびょうきのおもむきにつきこしなわ

村 預 ケニも不致  、乍去   村 役 人 共 格 別 心 配 致 スニ
むらあずけにもいたさず、さりながらむらやくにんどもかくべつしんぱいいたすに

不及  、留 吉 儀者至  而書 送 りも手 軽く右 心 得 二而
およばず、とめきちぎはいたってかきおくりもてがるくみぎこころえにて

帰村 可致   被仰付    候
きそんいたすべくおおせつけられそうろう

   乍恐    以書付     奉願上       候
   おそれながらかきつけをもってねがいあげたてまつりそうろう

    武州  秩 父郡 上 名栗 村 新 組
    ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんぐみ


(大意)
聞かされまして驚いてしまいました。翌27日
岩鼻へ名主太次郎と源左衛門が
出かけました。28日に出発し鬼石に泊まり、29日
岩鼻に着きました。(この後に控えた記した)願書を提出しましたところ、明日
早朝出かけてくるようにと聞かされました。30日朝
出かけましたところ、留吉は病気であったようなので、腰縄
村預けとも致さず、しかし村役人たちは格別に心配することも
ない。留吉は書付文面より罪も軽く、そのようなことなので
村に帰ってよいと申し渡されました。

  乍恐以書付奉願上候
   武州秩父郡上名栗村新組


(補足)
27日に飯能村から岩鼻へ出かけるべくまずは名栗村へ帰り、28日に出発したという内容だと思います。鬼石は現在の藤岡。岩鼻は高崎。いずれにしろ秩父の山路を越え、悪路難路の連続です。
途中かごや馬を使ったかもしれませんが。50を超えている源左衛門さんには過酷な道中です。

 また村役人のこのような出張経費は実に細かく定められていて、途中の食事もいくらいくらと決められていました。金銭に関しては現在からでも想像できないくらい細かいのに驚かされます。

 留吉までもがお咎めを受けると真っ青になったわけでしたが、代官所で留吉は無罪放免となりさぞかしホッとしたことでしょう。遠路足を運んだかいがあったというものです。

 このあたりの書き手の手跡に元気がないと申し上げてきましたが、どうもこの書き手の癖のような気がしてきました。
また、最初の3行とその後で書き手が変わっているような気もします。

「驚入」、わかってしまうとなるほどとおもいますが、初見では悩んでしまいます。
「翌」がやはりわかりにくい。
「廿」が次の「七」をみて、わかりました。このあとの「廿八」「廿九」はすぐにわかりました。
「名主」、この「主」は?

「着」と「差」のくずし字の違いが、わかりやすいです。「着」は最後の画が「い」、「差」は「エ」。

「差出候所」、の「所」が今までのくずし字と異なる。この二行後「罷出候所」では今までのくずし字になってます。

「丗日」、あまり出てこないので、わかりずらい。
「明日」「早朝」「朝」、旁の「月」に注意。

「手軽く右心得」、「く右」が重なるようになってしまってます。

「被仰聞候」「被仰聞二付」「被仰付候」、みな同じような言い回しになってます。
お上からの話を聞かされていることの表現です。

最後の二行は定型文。


2019年6月13日木曜日

変事出来二付心得覚記 その210




 P.115 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
差 出し可申   趣   被仰聞    二付 、書 付
さしだしもうしべくおもむきおおせきかされにつき、かきつけ

御覧 被成 、是 ハ歎 願 書 二有之  候   、
ごらんなされ、これはたんがんしょにこれありそうろう

左様 二御座候   、奥 二継 書 相 成 候   分
さようにござそうろう、おくにつぎがきあいなりそうろうぶん

両  人 計 り御座候   、御出  役 様 被仰聞、
りょうにんばかりござそうろう、ごしゅつやくさまおおせきかされ

村 役 人 共 申  事 相 違  もあるまへが、
むらやくにんどももうすことあいちがいもあるまへが

当 方 引 渡  相 成 候   上 ハ、腰 縄 之者
とうかたひきわたしあいなりそうろううえは、こしなわのもの

本 縄 二相 成 、腰 縄 無 之分 ハ
ほんなわにあいなり、こしなわなしのぶんは

腰 縄 申  付 、府中  宿  江差 送 り
こしなわもうしつけ、ふちゅうしゅくへさしおくり

候   間  、村 役 人 両  人 附 添 可罷出
そうろうあいだ、むらやくにんりょうにんつきそいまかりでべく


(大意)
差し出すようにとお聞きいたしましたので、(お渡しし)書付を
ご覧なされました。これは嘆願書であろう。
そのようであろう。(書付の)最後に書いてあるように
両人だけに限ってのことであろう。ご出役様から(そのようなことを)お聞きいたしました。
村役人たちの申していることも違っていることはなかろうが
当方へ引き渡しになった上は、腰縄の者は
本縄になり、腰縄なしの者は
腰縄付きを申し渡す。府中宿へ護送することに
なるので、村役人の両人は付き添ってゆくようにと


(補足)
「被仰聞」(おおせきかされ)、定型文のように頻出です。「は、はぁーとお上から聞かされた」が直訳になり、その場面も時代劇などでよく目にするところです。どうもしっくりきませんので大意のように意訳しています。
「奥二継書相成候分」、正確に直訳できませんでしたので、ここも意訳です。
「奥」のくずし字、意外とよく出てきます。
「継」はやはり難しい。形で覚えるしかなさそう。
「分」のくずし字は「彡」+「、」ですが、ここのはちょっとわかりずらい。この4行後ではちゃんと書かれています。
「両人」、4行目と最終行に出てきてますが、今までの手跡とは異なってます。
この辺のページはどことなく元気がありません。書き手が変わったようです。

村から3名を護送してきました。ご出役様とやり取りしていると、どうも様子が緊迫してきておかしなことになってきました。


2019年6月12日水曜日

変事出来二付心得覚記 その209




 P.114 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
下 鹿山 村 出  生 者 二而、出先 二於 帝
しもかやまむらしゅっせいしゃにて、でさきにおいて

霍 乱 致  、兄 倉 吉 方 江十  五日 罷  出、
かくらんいたし、あにくらよしかたへじゅうごにちまかりで

薬 用 手当 二預  り、実 家母 二送
やくようてあてにあずかり、じっかははにおく

ら連参 り候   趣   申  候   二付 、其 段 七 月 一 日
られまいりそうろうおもむきもうしそうろうにつき、そのだんしちがつついたち

御支配 御出  役 様 江右 之段 申  上 候   処  、
ごしはいごしゅつやくさまへみぎのだんもうしあげそうろうところ

御調  も無之  御沙汰闇 と相 心  得、
おしらべもこれなくおさたやみとあいこころえ

腰 縄 村 預 ケ之儀者紋 二郎 豊 五郎
こしなわむらあずけのぎはもんじろうとよごろう

両  人 限 り候   段 申  上 候   所  、其 書 付
りょうにんかぎりそうろうだんもうしあげそうろうところ、そのかきつけ


(大意)
下鹿山村生まれの者で、出先にて
具合が悪くなり、兄の倉吉方へ(6月)15日に行き
病気の介抱をしてもらってました。実家の母に送られて
村に戻った事情を話しました。そのことを7月1日
御支配御出役様へ先程事情を申し上げましたところ
お調べもお沙汰もないと理解しましたので
腰縄村預ケの者は紋二郎と豊五郎
の二人だけでしたと申し上げました。しかし、その書付を


(補足)
 この頁前後の手跡はどことなく元気がありません。どこか具合が悪かったのかもしれません。

「霍乱」、夏場の変事でしたから、今なら熱中症などでしょうか。
「闇」、「門」は「冖」のようで、「音」のくずし字は難しい。もう一度出てきても読めなさそう。
「紋二郎」「豊五郎」、「紋」と「豊」が名前の主で、それ以外は小さいのは、「二郎」も「五郎」もありふれたものだからか。



2019年6月11日火曜日

変事出来二付心得覚記 その208




 P.113 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
明  朝  罷  出候   趣    被仰聞候
みょうちょうまかりでそうろうおもむきおおせきかされそうろう

一   翌 廿   七 日 朝 、白 洲江罷  出候   所、
ひとつ よくにじゅうしちにちあさ、しらすへまかりでそうろうところ

留 吉 儀腰 縄 二而も可有  如何
とめきちぎこしなわにてもあるべきいかが

致  候   事 御尋  二付 、一 体 留 吉 儀者
いたしそうろうことおたずねにつき、いったいとめきちぎは

御支配 様 江帰 村届 ヶ之砌 、 紋 二郎
おしはいさまへきそんとどけのみぎり、もんじろう

豊 五郎 留 吉 三 人 いま多゛不帰  二付 、十  八 日 之
とよごろうとめきちさんにんいまだ かえらずにつき、じゅうはちにちの

昼 頃 村 方 出  立 候   処  、其 日夕 方 留 吉 義ハ
ひるごろむらかたしゅったつそうろうところ、そのひゆうがたとめきちぎは

帰宅 仕    取 調  候   所  、当 寄 場高麗郡
きたくつかまつりとりしらべそうろうところ、とうよせばこまぐん


(大意)
明朝出頭するようにとお聞きしました。
一 翌27日朝、白洲へ出かけましたところ
留吉については腰縄ではなかったのか、何か
事情があったのかと尋ねられました。留吉については
お支配様へ帰村届けを出すときに、紋次郎
豊五郎留吉の3人がその時までには帰村してなかったので、18日の
昼頃村を出ようとしていたところ、その日の夕方に留吉は
村に戻り取り調べをいたしました。そうしたところここの寄場である高麗郡


(補足)
「明朝」、くずし字の学習をしてきたからこそ、初見で読めるようになりました。二文字とも「月」のくずし字が同じようになってます。
「被仰聞候」、よく出てくる表現です。くずし字もセットで覚えておくと便利。
「翌」、この字はよく二文字に見えてしまうのですが、これは一文字。
「洲」、「渕」に見えてしまうのは気のせい?
「如何」、これは2文字で覚える。
「尋」、「ヨ」と「寸」は小さく飾りで、「エ」と「口」がここでは主になってます。
「一体」と「帰村」の上に空白がありますが、欠字ではないし、?。
「高麗郡」、「高」はわかりますが、地名を知らないと難しい。
「朝昼夕」とそろいました。重要です。


2019年6月10日月曜日

変事出来二付心得覚記 その207




 P.112 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
其余着届ケニ及候
そのよちゃくとどけにおよびそうろう

着御届ケ奉申上候
ちゃくおとどけもうしあげたてまつりそうろう

     武州秩父郡上名栗村新組
     ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむらしんぐみ

      百姓代
           ひゃくしょうだい

  七月廿六日        覚蔵
  しちがつにじゅうろくにち かくぞう

           組頭
           くみがしら

               仙太郎
               せんたろう

           同
           どう

               平沼源左衛門
               ひらぬまげんざえもん

           名主
           なぬし

               太次郎
               たじろう


(大意)
その夜、到着したことを知らせるために出かけました。
無事到着したことを申し上げることができました。

以下略


(補足)
「其余」、前後の意味・流れから「其の夜」としました。もしかしたら「その後」の意味かもしれません。どちらでも意味は通じてしまいます。

「着」のくずし字のの筆の運びがよくわかります。

 連名が4名になってます。付き添ったのは最初は覚蔵と仙太郎の二人。
赤沢村からあとは源左衛門と太次郎が加わって4人で護送したのでしょうか。それとも先の二人と入れ替わって後の二人が付き添ったのか。
「継立」(つぎたて)とありますから、入れ替わったと理解したのですが間違ったかもしれません。
それとも、付き添ったのはこの4人でした、ということで連名したのかもしれません。

 連名でなぜ源左衛門だけ「平沼」としているのかも不思議です。



2019年6月9日日曜日

変事出来二付心得覚記 その206




 P.111 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
七 月 廿   六 日 昼 頃 、名栗 ヲ引 立 二相 成
しちがつにじゅうろくにちひるごろ、なぐりをひきたてにあいなり

囚  人 三 人 江組 頭  仙 太郎 ・百  姓  代
しゅうじんさんにんへくみがしらせんたろう・ひゃくしょうだい

覚 蔵 附 添 、飯 能 村 江罷  出、継 立
かくぞうつきそい、はんのうむらへまかりで、つぎたて

赤 沢 村
あかざわむら

跡 より名主 太次郎 ・組 頭  源 左衛門
あとよりなぬしたじろう・くみがしらげんざえもん

両  人 罷  出、飯 能 江夕 方 着  以多し、
りょうにんまかりで、はんのうへゆうがたちゃくいたし

堺  屋又 右衛門殿 宅 江参 り、下宿  者
さかいやまたえもんどのたくへまいり、げしゅくは

肴  やと申  内 江案 内 ニ付 参 り候
さかなやともうすうちへあんないにつきまいりそうろう


(大意)
7月26日昼頃、名栗村から引き立てることになり
囚人3人を組頭仙太郎と百姓代
覚蔵が付き添い、飯能村へ出発しました。途中
赤沢村からあとは、名主太次郎・組頭源左衛門
両人にかわり、飯能村へは夕方着きました。
堺屋又右衛門殿宅へ行き、宿泊先は
「さかなや」という家に案内されました。


(補足)
 頁中央に数行分の空白があります。後半のほうが筆圧は少し弱くなり、字の大きさもうやや小さくなってます。しかし手跡は同じように見えます。

 空白前後の文章の区切り、「赤沢村」+「空白」+「跡より」も不自然です。
推理しても、うーん、もう少し考えましょう。

「継」、これだけだと読めませんが、「罷出継立」と文章になると前後関係から予想できます。
「跡より」、「跡」の「足」が難しい。平仮名「より」はこの前の頁にもありましたが、この部分を記している人の癖だとおもいます。

 堺屋又右衛門は飯能村で打ち壊しにあった名主で穀物屋です。まだ打ち壊しにあった直後で慌ただしかったはずです。大通りからひとつ北側の通りにありました。

 名栗村を昼頃出て飯能村へ夕方着きました。
3人を縄付きで引き立て歩いたわけですが、やはり通常より時間がかかっています。
道中沿道は村民が立ち見したことでしょう。
引き立てたのは両人と二人であることが記されてますが、そんなことはなかったはずです。
露払いのように、両人に先立って、何人かが先導したこととおもいます。


2019年6月8日土曜日

変事出来二付心得覚記 その205




 P.110 最初〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
様取斗、     村 役 人 両  人 今日 中
とりはからうよう、むらやくにんりょうにんきょうじゅう

同 村 御用 先 江可罷出    候   、以上
どうそんごようさきへまかりでるべくそうろう、いじょう

            関 東 御取 締  出  役
            かんとうおとりしまりしゅつやく

 寅             望
 とら           

  七 月 廿   六 日  昼 月 善 一 郎
  しちがつにじゅうろくにち もちづきぜんいちろう 

               吉 田僖平 次
               よしだかへいじ

           武州  秩 父郡 上 名栗 村
           ぶしゅうちちぶぐんかみなぐりむら

                 役 人
                 やくにん

(大意)
取り計らうよう、村役人両人は本日中に
同村御用先へ出頭するようにすること、以上

以下略


(補足)
「両」の下部分のクルクルっとしたくずし字部分が「留」の下部分と同じです。

「今日中」、そのつもりで書いてはないと思いますが楷書になってます。

「望」のくずし字が難しい。読めません。「王」の部分はそれっぽい。
間違えてしまった「昼」の字を消してないのは、恐れ多いことだからでしょうか。右側に正しい字「望」を書き添えているだけにしています。