2018年12月31日月曜日

変事出来二付心得覚記 その46




 P.14 8行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
全  く左様 之事 ニ御座候   哉、
まったくさようのことにござそうろうや

新 立 様 江参 り承    り候  ハヽ、御触 下
しんだてさまへまいりうけたまわりそうらわば、おふれか

の事 二付 如何 哉様 子相 訳 り可申   と
のことにつきいかがかようすあいわかりもうすべくと

存  、一 同 参 上  仕    候   、右 二付 候   而者、
ぞんじ、いちどうさんじょうつかまつりそうろう、みぎにつきそうらいては、

御当 村 杯 ハ夫 々 物 持 衆  多分
ごとうそんなどはそれぞれものもちしゅうたぶん

之事 ゆへ御差 支  二者有之  間敷( 候  得共)
のことゆへおさしつかえにはこれあるまじく(そうらえども)


(大意)
事情はまったくそのようなことだったのでございましょうか。
新立様へ行きお聞きしようと、お触れが出ている
状況のなかで、もっと詳しいことがわかるだろうと
おもい、全員で参上した次第でした。そこでのお話は、
こちらの村などでは村民に金持ちが多いでしょうから
特段もめごとがあることはないでしょうが、


(補足)
 さらに詳しい情報を知ろうと、平沼源左衛門はじめ村役人たちは新立様のところへうかがいます。

「左様」と「新立様」の「様」が異なっています。
「御触」、「触」の「虫」のくずし字は初めてか。

「如何」、2文字セットです。
「様子」、この「様」は「左様」と同じです。
「可申」、「予」のように見えてしまいますが、2文字セットで覚えます。

「右二付候而者」、(そのようにしたところ)(新立様でお話を伺ったところ)ということだとおもいます。

「抔」(など)
「物持衆」、豊かな人たち、金持ちたち。「衆」の字は独特なので覚えやすい。
「多分」、「タ」の2つ目が下まで伸びてます、「分」の「八」の左側部分ではありません。
「分」のくずし字は「彡」+「、」です。

「間敷」(まじく)、2文字セットで頻出です。
「者」(は)、助詞の「は」。ここでは2度使われてます。


2018年12月30日日曜日

変事出来二付心得覚記 その45




 P.14 3〜7行目まで。「飯能市立博物館所蔵平沼家文書」

(読み)
扨 此 度 之儀、我 等村 方 からも皆 夫 々
さてこのたびのぎ、われらむらかたからもみなそれぞれ

罷  出満した帰宅 之者 尋  候   處、
まかりでましたきたくのものたずねそうろうところ

名栗 邊  ゟ 段 々 に可出  由 、若 又
なぐりあたりよりだんだんにでるべくよし、もしまた

出向 ざるものハ帰 り二毀  焼 拂
でむかざるものはかえりにこわしやきはらう

杯 と申  二付 、一 同 罷  出候   趣   申  候   、
などともうすにつき、いちどうまかりでそうろうおもむきもうしそうろう、


(大意)
さて、このたびの件、我らの村からもそれぞれに
加わって帰村した者に尋問したところ、
名栗近辺から徐々に参加しろとの指示が伝わってきたので、もし
参加しない者は帰りに家を壊し焼き払う
などと言われ、皆参加したようなことを言っていました。


(補足)
 3行目から行下げをして、5,6頁この状態が続きます。
これまでの、村役人が一揆衆を追いかけた状況の話から、この数日間の出来事を振り返り、今後の対応などを模索します。

「扨」(さて)、現代の「さて」と同意です。漢字1字での訓読みは知らないとまず読めません。
いくつか例をあげておきます。
 「殊に」(ことに)、迚も(とても)、「俄に」(にわかに)、「砌」(みぎり)、
 「慥か」(たしか)、「忝し」(かたじけなし)、「弥」(いよいよ)、「縦令」(たとい)、
 「拵え」(こしらえ)、「廉」(かど)、「偏に」(ひとえに)、「抔」(など)
「此度」、頻出です。
「我等」、既出ですが見やすいくずし字です。

「満」(ま)変体仮名だとおもいます。
「處」、「処」の旧字。

「邊」、「辺」の旧字ですが、丁寧に書いている。
「由」がどうも「里」に見えてしまいます。




2018年12月29日土曜日

変事出来二付心得覚記 その44




 P.14 最初〜2行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
御同 道 と申  事 二付 、茶 内 才 次郎 ・紋 二郎・
ごどうどうともうすことにつき、ちゃないさいじろう・もんじろう

茂左衛門 ・新 左衛門 ・唐 竹 者 と壱 人心  得申  候
もざえもん・しんざえもん・からたけものとひとりこころえもうしそうろう


(大意)
一緒にと言うので、茶内の才次郎・紋二郎・
茂左衛門・新左衛門・唐竹者ともうひとりのものたちとであった。


(補足)
この頁もきれいです。

 いよいよ下名栗村まで押し寄せてきそうだとの知らせをきき、
村役人たち10名以上で鍛冶屋橋近辺で見張ることになりました。

「才次郎」の「才」が難しい。「郎」は次の「紋次郎」の「郎」とは異なっています。

「茂左衛門」「新左衛門」はきれいでわかりやすい。「唐竹」が読めません。「竹」は右側に「、」がないのですが、くずし字にはしっかりとある。楷書で書くとないのにくずすと点がつく字が多いです。

「心得申候」、ここは自身をもって読めます。

「茶内」「かじや橋」「唐竹」の位置は以前の投稿の地図で示してあります。


2018年12月28日金曜日

変事出来二付心得覚記 その43




 P.13 9行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
夫 ゟ
それより

下 名栗 江十  六 日 、只 今 下 筋 与り
しもなぐりへじゅうろくにち、ただいましもすじより

掛 合 参 り候   由 申  来 り、槙 下 森 太郎
かけあいまいりそうろうよしもうしきたり、まきしたりんたろう

下拙 宅 へ参 り、軍 蔵 殿 ・清 八 殿 も下モヘ
げせつたくへまいり、ぐんぞうどの・せいはちどのもしもへ

参 り、下拙 二も出向 様 二と事 二付 、かじや橋
まいり、げせつにもでむきようにとことにつき、かじやばし

迄 参 り候   処  、以づ連新 立 迄 参 り候   間  、
までまいりそうろうところ、いずれにったちまでまいりそうろうあいだ、


(大意)
それから、
下名栗へ16日、今下筋より掛け合いに来るだろうとのことを、槙下森太郎が
拙宅へ来て伝えた。軍蔵殿・清八殿も下へ
行き、わたしも一緒に行くようにとのことで、かじや橋
まで行ったところ、いずれ新立まで来るだろうから


(補足)
「下筋」、「筋」が「竹」冠が離れているので2文字にみえる。
「与り」、ここは合字「ゟ」ではない。変体仮名とひらがな。

「参り候由申来り」、「由申」が読みづらい。
「槙下森太郎」、ここで読めたのは「太郎」だけで、他は?。「森」ってこんなふうになるのですね。

「候処」、「処」はほとんど「m」。
「以づ連」(いずれ)、「以」は「竹」冠ににてます。


軍蔵殿・清八殿は何度か出てきましたが、槙下森太郎ははじめてです。


2018年12月27日木曜日

変事出来二付心得覚記 その42




 P.13 7〜9行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
あまり支度 面 白 しゆへ笑  申  候   、
あまりしたくおもしろしゆへわらいもうしそうろう、

夫 ゟ 段 々 二参 り、只 今 浅 海 戸へ
それよりだんだんにまいり、ただいまあさかいどへ

参 り掛 合 最 中  と申  者 も有之
まいりかけあいさいちゅうともうすものもこれあり


(大意)
(一揆勢の)おおげさな姿がおかしく笑っていました。
それより徐々に押し寄せ、現在は浅海戸へ
来て交渉中というものもいた。


(補足)
「笑」、「竹」冠はいつもながら控えめです。

「段々」、頻出。
「参」、何度も出てきてますが、このくずし字はみやすい。

「浅海戸」は鍛冶屋橋から数百メートル南の場所。現在同名のバス停があります。
鍛冶屋橋のもう少し北にのぼったところの左側が平沼源左衛門さんのお宅です。



2018年12月26日水曜日

変事出来二付心得覚記 その41




 P.13 最初〜6行目まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
茶 内 江大 勢 参 り掛 合 最 中  と
ちゃないへおおぜいまいりかけあいさいちゅうと

申  来  者 も有之  、村 方 政 吉 参 り、
もうしきたるものもこれあり、むらかたまさきちまいり、

只 今 三 王 峠  越片 附 可被成  趣
ただいまさんのうとうげをかたづけなさるべくおもむき

申  来 り、赤 根色 頭巾 之様 二巻
もうしきたり、あかねいろずきんのようにまき

白 布 ハチ巻 二帝白 布 タスキ
しろぬのはちまきにてしろぬのたすき

大 音 ヲ上ケ参 り、女  共 飛 上  候
だいおんをあげまいり、おんなどもとびあがりそうろう


(大意)
茶内へ大勢押しかけ掛け合い中と伝えたものもあります。
当村の政吉が来て言うには、
今山王峠をこちらへ向けて戻ってきているそうだとききます。
茜色の布を頭巾のように巻き、
白布のはちまき、白布のタスキをし、
大きな音をたてながらやってきて、女たちは飛び上がるほど驚いてます。


(補足)
昨日に引き続き、
「只今三王峠越片附可被成趣申来り」がよくわかりません。
ただ下記の昨日のその箇所を並べると、同じ言い回しであることがわかります。
「大切品方附可被成候趣申来り」。
うーん、いろいろ考えますが、とりあえず宿題にします。

「三王峠」はいまの「山王峠」、下記略図を参照のこと。「茶内」も。



「政吉」、「政」のくずし字が「致」と似て区別ができません。
「峠越」、「峠」の「山」偏は独特で覚えやすい。「越」(を)変体仮名なのですが、
ここはもしかしたら、(峠を越える)の意味かもしれません。よくわからないところです。

「片附可被成趣」、この「片附」はどのような意味なのかわかりません。

「頭巾」、「豆」偏のくずし字も独特で区別しやすい。

「帝」(て)変体仮名、たまにでてきます。

「飛上候」、「飛」は形からこの字しかなさそうとわかる。

 昨日今日と同じような言い回しの表現でつまずいています。
なんとかしなくちゃ。


2018年12月25日火曜日

変事出来二付心得覚記 その40




 P.12 11行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵」「平沼家文書」

(読み)
昼 七 ツ頃
ひるななつごろ

帰宅 以多し候   、中 指 周  吉 大 工申  様 、
きたくいたしそうろう、なかざすしゅうきちだいくもうすさま、

只 今 大 川 原金 借 毀  名栗 へ参 る趣   、
ただいまおおかわらかねかしこわしなぐりへまいるおもむき、

大 切 品 方    附 可被成  候   趣   申  来 り、其 外
たいせつしなかた(に)つきなさるべくそうろうおもむきもうしきたり、そのほか

三、四人 右 の趣   申  志らせ亦 々 申  様 、
さんよにんみぎのおもむきもうししらせまたまたもうすさま、


(大意)
昼七ツ頃(夕方4時頃)
(上名栗村へ)帰宅した。中指の大工周吉が言うには、
只今大川原の金貸しを打ち壊し、名栗へ向かっているそうで、
大切な品々は(避難)なさっておいたほうがよさそうだとのことです。
他にも3,4人の者たちが同様のことを知らせ、次々と言うには、


(補足)
「大切品方附可被成候」が今ひとつ、わかりません。
全然見当違いなことを訳してしまった気もします。お恥ずかしい。

 慌ただしく一揆勢を追いかけ回し、疲れ果てて
平沼源左衛門は下名栗の自宅に帰宅しました。
そこでも、次から次へと新しい情報が伝えられます。

「以多し」(いたし)、変体仮名。
「申様」が3回でてきます。これだけ連続して現れると、すんなり読めます。
「名栗へ参る趣」、行末につめて書かれています。「参」が上書きしたようににじんでます。少し書き損じてごまかしたのか。
「大切」の「大」もなんか変です。
「可被成候」、4文字セット。
「趣」が何度も使われてます。人づてに聞いたことを書きとめているからでしょう。

「右」、これもどこか変。出だしの筆を誤り、上書きしているようです。
「亦〃」(またまた)、頻出です。


 今回のように、わからないところがあると、高校の古文の授業を思い出します。
定期テストや小テストで、古文の訳を書く問題です。
ほぼ全文を理解して、またはわからない箇所が少なく前後の関係で推測しての訳のときなどは
Very Good!と赤鉛筆で朱書きされて返されてきました。
しかし、わかるところよりもわからないところのほうが多いときにはパズルのようなもので
ひたすら想像力を駆使します。
結果は fiction!! と、でかでかと朱書きされ返却されました。
試験問題とは全く別の物語になっているわけで、友人たちにはこちらのほう断然面白いと好評でした。