2024年11月7日木曜日

時代世話二挺鼓 その23

P16P17 国立国会図書館蔵

(読み)

P17

女 郎 やてさへ

じょろうやでさえ


やりときてハきの奈い

やりときてはきのない


もの多尓此 うへ

ものだにこのうえ


とん奈やり可てやうも

どんなやりがでようも


志れぬ

しれぬ

P16

此 とき

このとき


まさ門

まさかど


うへ多

うえだ


そろいの

そろいの


きものを

きものを


ちやくせし由へ

ちゃくせしゆえ


これを

これを


うへ多゛の

うえだ の


七 本ん

しちほん


やりと

やりと


いふ

いう

(大意)

秀郷「女郎屋でさえ、遣りときては気に入らないものなのに、この上どんな槍がでてくるかわかったものじゃない」

このとき将門は上田紬の揃いの着物を着ていたので、これを上田の七本槍という。


(補足)

「女郎やてさへやりときてハ」、遊郭の約束事として①遣手婆の指示②一人の女郎に馴染客が重なって「もらい」(他の客の相手をしている芸者・娼妓などを自分の座敷に呼びとること。「はじめてなれば―もならず」〈浮世草子・好色一代男•7〉)がかかったときは、譲らねばならなかった。

 手もとの本には、なぜここで上田なのかが次のように記されています。

田租を定めるため,田を等級分け(上・中・下田(じょうちゅうげでん))したうちの最上のもの。地味の肥えた田の意で、田沼が何度も加増を受けて五万七千石になるまでを風刺したのだろう。随筆「翁草」によると適当な上田がないときは、権力のない大名の土地を無理に取り上げ、代わりに幕府領地の悪い土地を替え地として与え、「田沼家繁栄について、かやうの表立たぬ他家の難儀あまた有とぞ」とある。田沼の腹心たちはそれを推進し、自分たちも加増を受けて甘い汁を吸ったので、一味を「上田そろい」の共犯者の七本槍としたのだろう。

「七本んやり」、『昔,合戦のとき,槍で巧名を立てた七人の勇士。特に,賤ヶ岳の七本槍は有名』とあるように、この言葉からはあっぱれ見事勇姿たち!の喝采をおくる言葉でしょうけど、ここではもちろん大いに皮肉っています。

 

2024年11月6日水曜日

時代世話二挺鼓 その22

P16P17 国立国会図書館蔵

P16

(読み)

ひで

ひで


さと

さと


いまハ

いまは


やくそく

やくそく


のとを

のとお


里多いり

りだいり


を个川

をけっ


し与し

しょし


うり

うり


すへと

すえと


いふふ多を

いうふだを


者りて

はりて


可へらん

かえらん


と

と


のゝ

のの


志り

しり


个れハ

ければ


将

まさ


門

かど


大 可ん

だいかん


しやく

しゃく


尓天

にて


七 人 の

しちにんの


す可゛多

すが た


尓於の

におの


\/

おの


やりを

やりを


引ツ

ひっ


さけ

さげ


ひて

ひで


さと尓ついて

さとについて


可ゝる

かかる

(大意)

秀郷「今は約束どおり、内裏からあなたを追い出して、『売据え』という札を貼って帰りましょう」とやかましく言ったので、将門は大激怒して七人の姿になり、おのおの槍を引っさげ、秀郷に突いてかかった。

(補足)

「うりすへ」、『うりすえ ―すゑ 【売り据え】

家屋などを,造作をそのままで売り払うこと。「造作付―ありと」〈滑稽本・浮世床•初〉』

 将門「槍を引っさげて」とありますが、絵にはなく、どうなっているのか・・・ウ~ン🤔。

 

2024年11月5日火曜日

時代世話二挺鼓 その21

P14P15 国立国会図書館蔵

(読み)

P15

なんとどうて

なんとどうで


こさりま春

ござります


き川いもの可へ

きついものかえ


かうし多

こうした


ところハ

ところは


いゝ男  て

いいおとこで


ごさへ

ござえ


しやう

しょう


志ん

しん


そう可゛

ぞうが


ミると

みると


ちき尓

じきに


本れ

ほれ


や春

やす

P14

まさ可ど

まさかど


八 角 め可年尓天

はっかくめがねにて


ひてさとを

ひでさとを


ミれバ

みれば


なる本とハ ッ尓

なるほどやっつに


ミ由る由へ

みゆるゆえ


きもをつぶ春

きもをつぶす

(大意)

秀郷「どうだ、これはどうでござります、見事なもでしょう。こうした姿はいい男でござりましょう。」「新造が見れば、すぐに惚れるやす」

 将門が八角眼鏡で秀郷を見ると、なるほど八つに見えたので、肝をつぶしてしまった。

(補足)

「き川い」、もう何度も出てきた表現です。『⑥ 大したものだ。素晴らしい。「お娘御の三味線は―・いものでござる」〈咄本・鯛の味噌津〉』

 秀郷の煙管をくわえ立膝の仕草は歌舞伎でよく見られるもの、当時の人たちはひいきの歌舞伎役者を思い描いたはず。

 八人の秀郷、判で押したようにそっくりですが、小さな目のほんの少しの違いで大きく表情が変化しているのがおもしろい。

 

2024年11月4日月曜日

時代世話二挺鼓 その20

P14P15 国立国会図書館蔵

(読み)

ひでさと

ひでさと


これを

これを


ミてい王く

みていわく


王れハ

われは


志ん王尓

しんのうに


まさりて

まさりて


す可多可

すがたが


八 ツあり

やっつあり


於まへの

おまえの


目尓ハ

めには


見へまい

みえまい


此 め可年で

このめがねで


ミ給 へと

みたまえと


こま可多の

こまがたの


め可゛年や二て

めが ねやにて


可いし

かいし


八 角 め可゛年

はっかくめが ね


尓天

にて


す可多を

すがたを


ミせる

みせる

(大意)

 秀郷、これを見て曰く「おれは親王より多く、姿が八つある。お前には見えまい。この眼鏡で見てご覧なされ」と、(浅草は)駒形の眼鏡屋で買った八角眼鏡をかけさせて姿を見せた。

(補足)

「こま可多」、浅草寺の雷門の南側、赤茶正方形の小さいお堂。

「め可゛年や」、買物独案内より。出店もあった。

 
 将門の左目ををふさぐ手がなんとも小さくてかわいらしい。

 八角眼鏡は実際にこの絵のようなものだったらし。

 

2024年11月3日日曜日

時代世話二挺鼓 その19

P12P13 国立国会図書館蔵

(読み)

志ん王 の

しんのうの


土用

どよう


本しを

ぼしを


ミるやう多

みるようだ


志ん王

しんのう


いのちを

いのちを


あげ

あげ


まきの

まきの


じやう

じゃぁ(「う」は誤刻?)


袮へ可

ねえか

P13

ことしハくげ可

ことしはくげが


あ多り多ハへ

あたりだわえ


志可し

しかし


奈可尓

なかに


多いふん

だいぶん


あ多り可

あたりが


ミへる

みえる

(大意)

秀郷「土用干しで内裏人形の親王をたくさん見ているようだ。〽親王命を揚げ巻の〜じゃぁねぇか」

将門「今年は公卿が当たり年だわぇ。しかし、公卿の中にはだいぶ腐りかけたものもいるようだ」

(補足)

「出目」ではなく「土用」。「土用本し」、夏の土用の頃に衣類や本を干して風を通し,虫のつくのを防ぐこと。内裏人形も干した。

「志ん王いのちをあげまきの」、河東節「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の終りの部分「しんぞ命をあげ巻の、これ助六が前わたり、風情なりける次第なり」のもじり。

「ことしハくげ可あ多り多」、「ことしや南瓜(かぼちゃ)の当たり年」のもじり。不器量な娘が結婚するのをひやかす言葉、とありました。

「あ多り」、『⑪ 果物などの傷や腐ったところ。「―のある桃」〈滑稽本・浮世風呂•4〉』幕府高官が罪に問われることの多いことを暗示している、とありました。

 秀郷はこれみよがしに「俵」石山人書とある扇をこちらに見せつけています。

天明三(1783)年に羽左衛門が石山人の寿の字の団扇を七千本くばったと伝えられ、このようなことがはやったのだろうと、ありました。

 

2024年11月2日土曜日

時代世話二挺鼓 その18

P12P13 国立国会図書館蔵

(読み)

将 門 ひてさと尓

まさかどひでさとに


志つけられぐ川と

しつけられぐっと


せきこんて

せきこんで


うぬ可゛で尓者゛けを

うぬが でにば けを


あらハし

あらわし


王れまことハ

われまことは


す可゛多可゛七 ツ

すが たが ななつ


ある可らかく

あるからかく


者や王さ也

はやわざなり


なんじハ

なんじは


よもや

よもや


此

この


ま年ハ

まねは


でき

でき


まいと

まいと


七 ツの

ななつの


す

す


可多

がた


を

を


あら

あら


ハし

わし


て

て


ミ

み


せ

せ


る

る


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 ときめ う可

 なんときみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


「何 と

 なんと


きめ う可

きみょうか


(大意)

 将門、秀郷にやり込められ、ひどくあせってしまい、みずから化けている姿をあらわし、

「おれは本当は姿が七ツあるから、このような早業ができるのだ。お前はよもやこのまねはできまい」と七ツの姿をあらわしてみせる。

将門の分身「どうだ見事であろう」以下同台詞六ツ略。

(補足)

「志つけられ」、『しつ・ける【仕付ける・躾ける】⑥ やっつける。「千代歳さまに―・けられて無念な,敵取つて下んせ」〈浄瑠璃・冥途の飛脚•中〉』

「せきこんて」、『せきこ・む【急き込む】ひどく心がせく。あせってことをする。「―・んで話す」』

 ここでも分身たちは微妙に(とくに表情を)変化させていて(左端分身は笏を振り上げている)、単純な分身の術より迫力ありです。

 この黄表紙、ここまで読んできておもったのですけど、この本の摺りはどうやら初版に近いものではないかと。文章もですが、どの彫りも線がくたびれてなく鮮明でクッキリです。

 

2024年11月1日金曜日

時代世話二挺鼓 その17

P11 国立国会図書館蔵

(読み)

や可ら

やがら


むせ う尓

むしょうに


う川可゛

うつが


いゝ

いい


どう

どう


ち う

ちゅう


双 六 と

すごろくと


羽左衛門 可゛

うざえもんが


志よさでハ

しょさでは


ミ多可

みたが


や可ら

やがら


可年ハ

かねは


めの

めの


まハり

まわり


そう奈

そうな


こと多

ことだ

(大意)

将門「八がら(の鉦)無性に打つがいい」

道中双六と羽左衛門の所作では見たことがあるが、八がら鉦は目の回りそうな芸事だ。

(補足)

「や可らむせう尓」、やたら無性に、の洒落。

「どうちう双六」、手もとの本には、東海道道中双六の袋井の絵に、両手に撥を持って立つ者と、坐して太鼓を打つ者が描いてあるとあります。

「羽左衛門」、九代目市川羽左衛門(1724〜85)。所作事の名人とされた。

 八がら鉦には、「八がらがねよくよくみれば手が弐本」、「八がらがねただ見てとおるものでなし」などがあります。また「八がら鉦」で検索するとたくさんヒットします。