P3 国立国会図書館蔵
(読み)
いつし可
いつしか
奈じミて
なじみて
そ多゛ちし
そだ ちし
奈り
なり
ぢゞ
じじ
「ヨウ
よう
奈れ
なれ
おつた
おった
(大意)
いつしかなれ親しみ
育ちました。
じじい
「よく
慣れたもんだ
(補足)
鳥籠がすばらしい。とても丁寧で正確に描かれています。その前にある花束みたいなのはなんでしょうか。「志多?」のようにも読めますが。
P3 国立国会図書館蔵
(読み)
いつし可
いつしか
奈じミて
なじみて
そ多゛ちし
そだ ちし
奈り
なり
ぢゞ
じじ
「ヨウ
よう
奈れ
なれ
おつた
おった
(大意)
いつしかなれ親しみ
育ちました。
じじい
「よく
慣れたもんだ
(補足)
鳥籠がすばらしい。とても丁寧で正確に描かれています。その前にある花束みたいなのはなんでしょうか。「志多?」のようにも読めますが。
P2後半 国立国会図書館蔵
(読み)
可ら春尓お王れ
からすにおわれ
て尓け多る
てにげたる
とき阿や
ときあや
まつて
まって
から春
からす
尓け
にけ
られ多る
られたる
由へとひ
ゆえとい
ゑざりし可゛
えざりしが
ふびん尓おもひ
ふびんにおもい
やし奈いおき多る可゛
やしないおきたるが
(大意)
カラスに追われて逃げるときに
誤ってカラスに蹴られたようで
怪我をしてしまいました。
不憫におもい
養い飼っていたところ
(補足)
「可ら春尓お王れ」、変体仮名「可」(か)は「う」や「ら」とそっくりでまぎらわしいので注意。
「由へとひゑざりし可゛」、「とひゑざりし」は「問い得ざりし」でしょうか。または「由へと」できって、「言えざりしが」でしょうか。さて・・・
P2前半 国立国会図書館蔵
(読み)
む可し\/ せ うじき奈る志゛ゝい可゛
むかしむかししょうじきなるじ じいが
阿つ多とさひとりのむ春め
あったとさひとりのむすめ
春ゞめを可いおき阿さ由ふ
すずめをかいおきあさゆう
ゑをあ多へいつし可者奈し
えをあたえいつしかはなし
可゛いと奈し个るこの春ゞめ
が いとなしけるこのすずめ
ハおや春ゞめ春多゛ち
はおやすずめすだ ち
をつれてこのちゞいの
をつれてこのじじいの
尓ハ尓き多りし可゛
にわにきたりしが
(大意)
むかしむかし、正直なじじいが
あったとさ。じじいのひとり娘が
すずめを飼っていて、朝夕に
餌を与えていました。いつしか
放し飼いにするほどなれていました。
このすずめは、巣立ちのときに親雀に
連れられてこのじじいの庭に
来たのですが、
(補足)
豆本にしては文章が多いためか字の大きさが小さく
また保存の状態もいまひとつだったのか読みづらいです。
「せうじき」、「せ」が「セ」にもみえますが、平仮名だとおもいます。
「阿つ多」、「阿」のくずし字が √記号+小さな「の」のようになってます。
「可いおき」、変体仮名「可」(か)と「う」はそっくりです。
「可゛いと奈し个る」、変体仮名「个」(け)は円周率「π」ににています。「る」は変体仮名「留」(る)。
煙管を手にニコニコ顔の正直爺さん、膝のところには煙管の一式があり、左側の火鉢で吸い終わったタバコをカッカッとたたいて落とすのでしょう(灰落し)。画面右下にあるのは「おもと」でしょうか。江戸時代後期に流行りました。その隣りにあるのは水鉢。爺さんのちょっと体をひねった姿に動きを感じます。文章の字はうまいとはいえませんが、画はどれも丁寧で上手です。
P1後半 国立国会図書館蔵
(読み)
起傳 多流赤 本 尓天児童 の耳目 を悦
つ多へ あ可本゛ん こども 志もく よろこ
きつたえたるあかぼ んにてこどものじもくをよろこ
者゛須尓禍 福 の應 報 口 ハ是 王ざ王いの門
く王ふく おう者うくち これ 可ど
ば すにか ふくのおうほうくちはこれわざわいのかど
其 根を切 し故 よしを示 し多妙 作 今 尓
そのね きり ゆへ 志め め うさくいま
そのねをきりしゆえよしをしめしたみょうさくいまに
捨 らぬ昔 咄 一 期栄 物 語 眼 覚 尓? のミ
春多 む可し者゛なしいちごさ可へしもの可゛多りねむりさまし そらふる
すたらぬむかしば なしいちごさかえしものが たりねむりさましにそらふるのみ
(大意)
(書)き伝えられている。赤本を見たり聞いたりして子どもが悦ぶことは
良くもあるし悪くもあり、その幸不幸の結末は災いの門口となる。
その原因をたとうと、良い妙案は
今でも捨てられずに伝わる昔話の生涯栄える物語を眠気覚ましに一読あるのみ。
(補足)
最後の行、ふりがな「そらふる」の漢字がわかりません。
堅苦しいまえがきになっていますが、平たくいうと、昔話などもまぁ眠気覚ましのつもりでちょっと目を通してみなさい。バカにしたもんじゃありませんよ。そんなところでしょうか。
この豆本は作者晩年に刊行されています。ネットで調べた限りではハチャメチャな生涯を歩んだようにみえます。晩年の心境はこの前書きだったのでしょうか?
P1前半 国立国会図書館蔵
(読み)
禍 福 無門 人 の招 ところと舌 三 寸 の
く王ふくもんなく飛と ま袮く 志多さん春ん
か ふくもんなくひとのまねくところとしたさんずんの
破 よ里生 涯 を過 もの多 し皆 是 欲 の
やぶれ 志 う可い あやまつ おゝ ミ奈これよく
やぶれよりしょうがいをあやまつものおおしみなこれよくの
奈須とこ路奈り其 勧 善 懲 悪 の教 尓
そのく王んぜんて う阿く おしえ
なすところなりそのか んぜんちょうあくのおしえに
舌 切 雀 どのお宿 ハ何処楚゛チヨツ\/ とか
志多きり春ゞめ やど どこ
したきりすずめどのおやどはどこぞ ちょっちょっとか
(大意)
禍(不幸)も福(幸福)もすべてその人自らが招くものであると
口先だけの巧みな弁舌にだまされ、生涯を誤る者は多い。これはすべて
欲のなすところである。勧善懲悪の教えに「舌切雀、お宿はどこだ。ちょっちょっ」のはなし
(が伝わっている。)
(補足)
多くの豆本は表紙の次には見返しがあります。これがとてもおしゃれでここだけを額装して飾りたくなるようなものなのですが、この豆本はそれをひどく裏切って、堅苦しい文字の羅列でとても子どもに読ませるような読本とはおもえません。まぁしかし形としては豆本。楷書で丁寧に記されています。
辞書には「禍福門(もん)なし唯(ただ)人の招く所〔春秋左氏伝襄公二十三年〕、
悪事を行えば災いがあり,善事を行えば福が得られるというように,禍も福もすべてその人自らが招くものである。」とあります。
「奈須とこ路奈り」、変体仮名が続きます。次行では変体仮名「楚゛」(ぞ)。
表紙 国立国会図書館蔵
(読み)
舌 切 雀
したきりすずめ
可候 作
かこうさく
英 泉 画
えいせんが
山 本 板
やまもとはん
(大意)
略
(補足)
豆本です。120×87mm。刊行年は1844-47年頃。
溪斎英泉(けいさい えいせん)寛永2年(1790)〜嘉永元年(1848)。可候と英泉は同一人物。
ネットで調べるとたくさんヒットします。浮世絵や春画から版本まで幅広く才能をほしいままに活躍したようです。
三人の奴(やっこ)は当時はやった雀踊り。その左下、半分見えているのはツヅラ(葛籠)。面長の娘さんは舌切雀に出てくるおじいさんの娘。下唇を少し厚めに描いてやや肉感的な表情にするのが英泉風であったらしい。着物の色が薄紫に見えますが、もしかしたら元の色は薄茶色で雀の色に似せたのかもしれません。
裏表紙 国立国会図書館蔵
(読み)
【書き込み】
満多かしハ奈らの
またがしはならの
都 この八重佐゛くら
みやこのやえざ くら
今日 見天あ春ハ
きょうみてあすは
来つとお可へし
きっとおかえし
(大意)
又貸しはしてはいけませんよ
今日読んでしまって
明日はきっとお返しくださいな
(補足)
百人一首61番 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」伊勢大輔。
これを下地にして裏表紙に貸本屋の主人が詠んだものでしょう。「奈良の都の八重桜」と「けふ」をうまくはさみこんでいます。
正直に言いますと、なかなかすべてを判読できませんでした。あっちを調べ、こっちを調べと完読できたのは昨日夕方でした。うれしかったです。
百人一首にひっかけて、やんわりとお願いするなんてオシャレですねぇ。