2025年3月2日日曜日

江漢西遊日記三 その4

P5 東京国立博物館蔵

(読み)

さかりなり又 二里程 行 て水 口 へ出ツ往 来

さかりなりまたにりほどゆきてみずぐちへいずおうらい


なり河 アリ渡 レハ石 部なり爰 ニて昼  喰

なりかわありわたればいしべなりここにてちゅうじき


を春る町 能者づれ尓関 道 ありて札 を立て

をするまちのはずれにかんどうありてふだをたて


此 路 旅 人 通 ルべから春゛とあれと皆 人 通 ル

このみちたびびととおるべからず とあれどみなひととおる


故 尓我 も此 路 を行ク尓草 津尓至 ル爰

ゆえにわれもこのみちをゆくにくさつにいたるここ


より石 山 寺 能山 下 旅 館 尓泊 ル月漸(ヨウヤク)

よりいしやまでらのやましたりょかんにとまるつき ようやく


照 し前 ハ湖水 能流 レ向 フ瀬田能橋 を

てらしまえはこすいのながれむこうせたのはしを


能そ武景 妙 也 旅 館 より少 シ行 ハ石 山

のぞむけいたえなりりょかんよりすこしゆけばいしやま


寺 なり門 を入 て石 階 を登 りさて此

でらなりもんをいりていしだんをのぼりさてこの


石 ハ誠  尓奇妙  なる石 なり造 り物 ニし

いしはまことにきみょうなるいしなりつくりものにし

(大意)

(補足)

「水口」「石部」、日野大窪町を出立して水口まで、地図を見ても山路。

なるほど石部宿の手前に川があります。

「関道」、間道。

「草津」、「石山寺」、石山寺は瀬田の唐橋のもうちょっと南側、川の左岸にあります。 

「西遊旅譚二」の8月15日の部分です。 

上段は「石山より瀬田乃橋を望」とあり、草津ノ宿が橋の左にありますけど、これは間違い。

下段は「瀬田の橋上より膳所乃城を望」とあります。上の地図でも膳所のところに青い瓦屋根の画が目立ちます。

 わたしも何度か石山寺・瀬田の唐橋近辺を訪れたことがあります。佳きところであります。

 

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