2025年3月14日金曜日

江漢西遊日記三 その16

P16 東京国立博物館蔵

(読み)

ぬゐ多るあり又 ハ腰 より下 色 能か王り多る

ぬいたるありまたはこしよりしたいろのかわりたる


あり春べて男 女 共 尓小婦りニて風 俗 等

ありすべてだんじょともにこぶりにてふうぞくなど


都  と甚  タおも武き違 ヒぬ

みやことはなはだおもむきちがいぬ


廿 日天 氣此 日伏 見より六 右衛門 参 る

はつかてんきこのひふしみよりろくうえもんまいる


共 尓浮 フ瀬と云 茶 やヘ参 ル爰 ハ年 々 お

ともにうかぶせというちゃやへまいるここはねんねんお


らん多゛人 此 茶 ヤへ参 ルよし大 坐しき

らんだ じんこのちゃやへまいるよしおおざしき


二 間あり山 岸 ニ家 を造 ル向  ハ畑  見へるなり

ふたまありやまぎしにいえをつくるむこうははたけみえるなり


赤 前 多れの中 居数 人 出杓(シヤク)を取 夫 より

あかまえだれのなかいすうにんで  しゃく をとるそれより


清 水 観 音 へ参  亦 天 王 寺ヘ行ク見 物 しかへり

きよみずかんのんへまいるまたてんのうじへゆくけんぶつしかえり


尓亦 道 とん堀 竹 荘  へあかり彼 村 と云 白 人

にまたどうとんぼりたけしょうへあがりかのむらというはくじん

(大意)

(補足)

「廿日」、天明8年八月廿日。1788年9月19日。

「浮フ瀬と云茶や」、『料亭「浮瀬亭」跡(大阪聖光学院敷地内)

夕陽の名所であり、四天王寺支院である新清水寺の有栖山清光院の北隣で大阪星光学院校地西に当たる当地には、かつて江戸時代大坂を代表する料亭「浮瀬亭」がありました。

浮瀬亭は、その素晴らしい眺望とともに「浮瀬」という奇杯を所蔵していたことで多くの文人墨人をひきつけました。(後略)』 

『浮瀬(う可むせ)浮瀬(う可むせ)尓て酒(し由)を 春ゝめ相坂(あふさ可)の しミ川尓よりて 相坂(あふさ可)の水尓 紅葉(もミぢ)の かけミれハ 今や照(てる)らん 酒(さけ)春起の 顔(可ふ)』

「清水観音」、「清水寺」のことでしょう。左下に「う可むせ」とあります。 

 二枚の画像ともに「摂津名所図会2」NDL蔵。

こんなところでいっとき過ごしてみたいものです。

 江漢が浮瀬の様子を記した通り、「大坐しき二間」で楽しそうな宴会をしています。清水坂にそって「山岸ニ家を造」ってあり、正門の「向ハ畑見へ」ています。

 一緒に旅している感じで楽しいですね。

 

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