2025年3月18日火曜日

江漢西遊日記三 その20

P20 東京国立博物館蔵

(読み)

廿   四 日天 氣少  〃  不快 アンマノ曰  堀 江白 人 一

にじゅうよっかてんきしょうしょうふかいあんまのいわくほりえはくじんひと


坐と云 ハ二匁  なり二 坐と云 ハ三 匁  なり道 とん

ざというはにもんめなりふたざというはさんもんめなりどうとん


堀 ハ三 匁  八 分花 なり亦 新 町 ニ見世を張リ居

ぼりはさんもんめはちぶはななりまたしんまちにみせをはりお


るハ六 字と申  六 十  四 文 花 なりせん香 一 本 を

るはろくじともうしろくじゅうよんもんはななりせんこういっぽんを


三 つ尓折リて其 一 本 多川間なりとぞ尤  モ何 レ

みっつにおりてそのいっぽんたつまなりとぞもっともいずれ


毛雑 用 ハ別 なり蝋 燭 の代 迄 取ルなり惣(ソウ)

もざつようはべつなりろうそくのだいまでとるなり  そう


拂 ヒ能時 尓二割 引 ニして拂 ふ此 地の風 なり

はらいのときににわりびきにしてはらうこのちのふうなり


廿   五日 天 氣順  ケイ町 の夜市 ハ両  側 能

にじゅうごにちてんきじゅんけいまちのよいちはりょうがわの


家 見世を開 きおよそ十  余町  行 当 リハ

いえみせをひらきおよそじゅうよちょうゆきあたりは


新 町 ヘ至 ルかえり尓彼 六 字能見世付 を見 物

しんまちへいたるかえりにかのろくじのみせつきをけんぶつ

(大意)

(補足)

「廿四日」、天明8年八月廿四日。1788年9月23日。

「匁」、『もんめ【匁】② 江戸時代,銀目の名。小判一両の60分の1』。三匁、三匁八分、六十四文と貨幣単位がでてきますが、どうもよくわかりません。ここは大阪なので銀使いなことだけは確かですけど。

「花」、『㋐ 芸人などに与える金品。また,芸娼妓や幇間(ほうかん)の揚げ代。花代。〔「纏頭」とも書く。花の枝に贈り物を付けたところから〕

㋑ 芸娼妓や幇間の花代を計算するために用いる線香。また,それで計る時間。「―を恨み,鶏を惜(にく)み」〈洒落本・南遊記〉』

「順ケイ町の夜市」、筒井順慶(戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名)の屋敷跡といわれ、新町橋の西にあり、対岸の遊郭瓢箪町とともに通年賑わった、とありました。 

                                                        浪花名所図会「順慶町夜見世之図」

「新町」、『大阪市西区中央部の地名。寛永年間(1624〜1644)の新地で,公許遊郭が置かれ,京の島原,江戸の吉原とともに知られた』

「見世付」、『遊女屋の表に面した格子の部屋をさし、客は格子越しに好みの女性を品定めした』

               浪花百景「新町店津起」

 江戸と大阪の遊郭の比較、江漢さん興味津々です。

 

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