2025年3月27日木曜日

江漢西遊日記三 その28

P28 東京国立博物館蔵

(読み)

なり御影(カケ)石 是(コレ)なり此 宝 殿 ハ神 代

なりみ  かげ いし  これ なりこのほうでんはじんだい


造 リ多る者 ニて一 向 訳(ワケ)知レ春゛夫 より豆メ

つくりたるものにていっこう  わけ しれず それよりまめ


﨑 ヘ出ル市能河 能前 より姫 路能天 主

さきへでるしのかわのまえよりひめじのてんしゅ


見ヘる下(シモ)の手と云 処  キタナキ家 尓泊(トマ)る

みえる  しも のてというところきたなきいえに  とま る


昨 夜もノミ尓せ免られ篤 と不眠  困  入ル

さくやものみにせめられとくとねむれずこまりいる


二 日朝 ヨリ雨天 二里行 ていかるガへ至 里

ふつかあさよりうてんにりゆきていかるがへいたり


片 嶋 と云 処  より赤穂(アカウ)尓入 雨 も小降(フリ)ナリ

かたしまというところより   あこう にいるあめもこ  ぶり なり


松 山 を過キ城  下ニ至 ル爰 迄 三 里の路

まつやまをすぎじょうかにいたるここまでさんりのみち


なり入 口 河 アリて橋 を渡 リ市中  人

なりいりぐちかわありてはしをわたりしちゅうじん


家皆 瓦  屋町 尓魯庵 と云 醫ハ江戸

かみなかわらやまちにろあんといういはえど

(大意)

(補足)

「豆メ﨑ヘ出ル市能河能前より姫路能天主見ヘる」、現在の地図ですけど、確かに姫路城が見えます。

「二日」、天明8年九月二日。1788年10月1日。

「赤穂」、伊能図で確かめるも、いかるガ、片嶋、松山という地名が見当たりません。 


 ここ赤穂で街歩きするようです。

 

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