P28 東京国立博物館蔵
(読み)
なり御影(カケ)石 是(コレ)なり此 宝 殿 ハ神 代
なりみ かげ いし これ なりこのほうでんはじんだい
造 リ多る者 ニて一 向 訳(ワケ)知レ春゛夫 より豆メ
つくりたるものにていっこう わけ しれず それよりまめ
﨑 ヘ出ル市能河 能前 より姫 路能天 主
さきへでるしのかわのまえよりひめじのてんしゅ
見ヘる下(シモ)の手と云 処 キタナキ家 尓泊(トマ)る
みえる しも のてというところきたなきいえに とま る
昨 夜もノミ尓せ免られ篤 と不眠 困 入ル
さくやものみにせめられとくとねむれずこまりいる
二 日朝 ヨリ雨天 二里行 ていかるガへ至 里
ふつかあさよりうてんにりゆきていかるがへいたり
片 嶋 と云 処 より赤穂(アカウ)尓入 雨 も小降(フリ)ナリ
かたしまというところより あこう にいるあめもこ ぶり なり
松 山 を過キ城 下ニ至 ル爰 迄 三 里の路
まつやまをすぎじょうかにいたるここまでさんりのみち
なり入 口 河 アリて橋 を渡 リ市中 人
なりいりぐちかわありてはしをわたりしちゅうじん
家皆 瓦 屋町 尓魯庵 と云 醫ハ江戸
かみなかわらやまちにろあんといういはえど
(大意)
略
(補足)
「豆メ﨑ヘ出ル市能河能前より姫路能天主見ヘる」、現在の地図ですけど、確かに姫路城が見えます。
「二日」、天明8年九月二日。1788年10月1日。
「赤穂」、伊能図で確かめるも、いかるガ、片嶋、松山という地名が見当たりません。
ここ赤穂で街歩きするようです。
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