2025年3月20日木曜日

江漢西遊日記三 その22

P22 東京国立博物館蔵

(読み)

板 じき能上 ニあら武しろをしき能ミと蚊(カ)ニ

いたじきのうえにあらむしろをしきのみと  か に


せめられ難 ぎし漸   風 なお里て阿志川 能

せめられなんぎしようやくかぜなおりてあじがわの


河口 まで舩 出春と亦 風 悪 くなり舩 又

かこうまでふねだすとまたかぜわるくなりふねまた


爰 ニかゝる乗 合 能者 色 \/氣をもミ又 大

ここにかかるのりあいのものいろいろきをもみまたおお


坂 へ返 ル者 もアリ下賤 どもさ王く夫 故 武り尓

さかへかえるものもありげせんどもさわぐそれゆえむりに


舩 を出春風 アラク波 高 し皆 〃 舩(フネ)ニ酔ふ

ふねをだすかぜあらくなみたかしみなみな  ふね によう


中 ニ婦人 小児 を連 ル者 アリ小 児声(コヱ)を揚 て

なかにふじんこどもをつれるものありこども  こえ をあげて


啼 さけぶ吾 もいかんとせん迷 ひ漸 \/摩耶

なきさけぶわれもいかんとせんまよいようようまや


山 下 を打 過キぬ爰 ハ摩耶おろしとて灘(ナタ)也

さんしたをうちすぎぬここはまやおろしとて  なだ なり


程 なく北 風 吹 出し兵(ヘ ウ)庫(コ)磯 の町 尼 可崎 ヤ

ほどなくきたかぜふきだし  ひょう   ご いそのまちあまがさきや

(大意)

(補足)

「阿志川」、安治川。

「下賤ども」、なんともひどい言いようですが、当時の身分社会にあって、また江漢は特に自負心の強い有名を求める人であったようですから(それでも老人や子どもにはやさしい)、このような言葉を使うことも全く気にしなかったはずです。

「摩耶山」、現在では人気のハイキングコース。北西に神戸、東には六甲山。 


 なんとか神戸に着いたようです。

 

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