P13 東京国立博物館蔵
(読み)
四五町 過 て権 現 の祠 ニ参 ル夫 より天 満橋
しごちょうすぎてごんげんのほこらにまいるそれよりてんまばし
を渡 リて城 見ヘ能 景色 なり田沼 屋しき能
をわたりてしろみえよきけしきなりたぬまやしきの
跡 と云 処 あり夫 より大 手ノ前 へ出で此 路 ニ
あとというところありそれよりおおてのまえへいでこのみちに
て美人 蕉 を見ル植 木やなり芭蕉 ノ
てびじんしょうをみるうえきやなりばしょうの
如 くタンドクニ似テ中 ヨリ至 て紅(アカキ)色 ナル
ごとくたんどくににてなかよりいたって あかき いろなる
花 出ツ花 ハ葉能巻キハノ如 キ者 なり至
はないずはなははのまきはのごときものなりいたっ
て寒 氣をおそると云フ往 来 春る婦人
てかんきをおそるというおうらいするふじん
夏月 ハう春絹 呂ノ類 を以 帽 子として
かげつはうすきぬろのたぐいをもってぼうしとして
之 をか武る冬 ハ綿 ニて作 ル女 能髪 能
これをかむるふゆはわたにてつくるおんなのかみの
風 東 都と甚 タ異 リ
ふうとうととはなはだことなり
(大意)
略
(補足)
「天満橋を渡リて城見ヘ能景色なり」、こんな眺めだったのだとおもいます。
歌川国員(うたがわ くにかず)。浪花百景「天満橋風景」(大阪市立図書館蔵)。
「能景色」の「能」のくずし字は、変体仮名「能」(の)のかたちとはことなっています。
「田沼屋しき能跡」、天明6年(その2年後に死去)に失脚し、五万七千石に及んだ領地、屋敷の大半を没収された。
「美人蕉」、いまではよく目にすることができますが、当時は珍しかったのかも。
江漢さんの大阪見物日記が続きます。当時の民衆の普段の姿が記されていてとても貴重です。
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