2025年3月11日火曜日

江漢西遊日記三 その13

P13 東京国立博物館蔵

(読み)

四五町  過 て権 現 の祠  ニ参 ル夫 より天 満橋

しごちょうすぎてごんげんのほこらにまいるそれよりてんまばし


を渡 リて城 見ヘ能 景色 なり田沼 屋しき能

をわたりてしろみえよきけしきなりたぬまやしきの


跡 と云 処  あり夫 より大 手ノ前 へ出で此 路 ニ

あとというところありそれよりおおてのまえへいでこのみちに


て美人 蕉  を見ル植 木やなり芭蕉  ノ

てびじんしょうをみるうえきやなりばしょうの


如 くタンドクニ似テ中 ヨリ至  て紅(アカキ)色 ナル

ごとくたんどくににてなかよりいたって  あかき いろなる


花 出ツ花 ハ葉能巻キハノ如 キ者 なり至

はないずはなははのまきはのごときものなりいたっ


て寒 氣をおそると云フ往 来 春る婦人

てかんきをおそるというおうらいするふじん


夏月 ハう春絹 呂ノ類  を以  帽 子として

かげつはうすきぬろのたぐいをもってぼうしとして


之 をか武る冬 ハ綿 ニて作 ル女  能髪 能

これをかむるふゆはわたにてつくるおんなのかみの


風 東 都と甚  タ異  リ

ふうとうととはなはだことなり

(大意)

(補足)

「天満橋を渡リて城見ヘ能景色なり」、こんな眺めだったのだとおもいます。 

歌川国員(うたがわ くにかず)。浪花百景「天満橋風景」(大阪市立図書館蔵)。

「能景色」の「能」のくずし字は、変体仮名「能」(の)のかたちとはことなっています。

「田沼屋しき能跡」、天明6年(その2年後に死去)に失脚し、五万七千石に及んだ領地、屋敷の大半を没収された。

「美人蕉」、いまではよく目にすることができますが、当時は珍しかったのかも。 

 江漢さんの大阪見物日記が続きます。当時の民衆の普段の姿が記されていてとても貴重です。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿