P31 東京国立博物館蔵
(読み)
爰 より舟 尓能里て三 里あり山 の腰 を行
ここよりふねにのりてさんりありやまのこしをゆく
風 なくして波 平 カなり坂越(サコシ)と云 処 舩 着
かぜなくしてなみたいらかなり さこし というところふなつき
なり商 家軒 を並 て能 処 なり町 能後(ウシ)
なりしょうかのきをならべてよきところなりまちの うし
ろハ山 なり山 尓観 音 堂 アリランカン尓より
ろはやまなりやまにかんのんどうありらんかんにより
海 を望 ム詩なと作 リて帰 りぬ
うみをのぞむしなどつくりてかえりぬ
六 日雨 画を認 メル暑 ウスシ
むいかあめえをしたためるしょうすし
七 日天 氣よし明日出 立 せんとて所 々
なのかてんきよしあすしゅったつせんとてところどころ
暇 乞 ニ行キ出 立 能仕度 春る
いとまごいにゆきしゅったつのしたくする
八 日天 氣明 六 時 尓魯庵 方 を出て
ようかてんきあけむつどきにろあんかたをでて
八木山 と云 を越 ルニ其 比 秋 なれハ松 山
やきやまというをこゆるにそのころあきなればまつやま
(大意)
略
(補足)
赤穂城(地図の左隅)の南側が御崎、そこから船に乗って、坂越の船着き場(右上)へ、
そこから山を少々登って、大避神社(おおさけ)(右隅)が観音堂のようです。
ランカンによって海を望んだのはこんな景色だったでしょう。生島が望めます。
「望ム」、「暇乞」、何度も出てきているので読めます。
「六日〜八日」、天明8年九月六日〜八日。1788年10月5日〜7日。
「八木山」(ヤキヤマ)、地図で備前市とある色のかわっているところ。
赤穂を出立してからずっと山路です。高速ならあっという間。
0 件のコメント:
コメントを投稿