2025年3月30日日曜日

江漢西遊日記三 その31

P31 東京国立博物館蔵

(読み)

爰 より舟 尓能里て三 里あり山 の腰 を行

ここよりふねにのりてさんりありやまのこしをゆく


風 なくして波 平  カなり坂越(サコシ)と云 処  舩 着

かぜなくしてなみたいらかなり   さこし というところふなつき


なり商  家軒 を並  て能 処  なり町 能後(ウシ)

なりしょうかのきをならべてよきところなりまちの  うし


ろハ山 なり山 尓観 音 堂 アリランカン尓より

ろはやまなりやまにかんのんどうありらんかんにより


海 を望 ム詩なと作 リて帰 りぬ

うみをのぞむしなどつくりてかえりぬ


六 日雨 画を認  メル暑 ウスシ

むいかあめえをしたためるしょうすし


七 日天 氣よし明日出  立 せんとて所  々

なのかてんきよしあすしゅったつせんとてところどころ


暇  乞 ニ行キ出  立 能仕度 春る

いとまごいにゆきしゅったつのしたくする


八 日天 氣明 六 時 尓魯庵 方 を出て

ようかてんきあけむつどきにろあんかたをでて


八木山 と云 を越 ルニ其 比 秋 なれハ松 山

やきやまというをこゆるにそのころあきなればまつやま

(大意)

(補足)

 赤穂城(地図の左隅)の南側が御崎、そこから船に乗って、坂越の船着き場(右上)へ、 

そこから山を少々登って、大避神社(おおさけ)(右隅)が観音堂のようです。 

 ランカンによって海を望んだのはこんな景色だったでしょう。生島が望めます。 

「望ム」、「暇乞」、何度も出てきているので読めます。

「六日〜八日」、天明8年九月六日〜八日。1788年10月5日〜7日。

「八木山」(ヤキヤマ)、地図で備前市とある色のかわっているところ。

 赤穂を出立してからずっと山路です。高速ならあっという間。

 

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