2025年3月17日月曜日

江漢西遊日記三 その19

P19 東京国立博物館蔵

(読み)

廣 し地代 家賃 安(ヤス)き所  と云 夫 よりして

ひろしちだいやちん  やす きところというそれよりして


妙  国 寺ニ至 リ蘇鉄 を見ル返 リ尓蛤   一 升

みょうこくじにいたりそてつをみるかえりにはまぐりいっしょう


求 メし尓一 升  四 十  文 なり

もとめしにいっしょうよんじゅうもんなり


廿   二日 天 氣飯 後 より蒹 葭堂 吉 右衛門

にじゅうににちてんきめしのちよりけんかどうきちえもん


へ行 亦 油  屋吉 右衛門とて犬 蒹 葭と云 人

へゆきまたあぶらやきちえもんとていぬけんかというひと


是 ハ大 家ニてケンカと同 道 して行ク酒

これはたいかにてけんかとどうどうしてゆくしゅ


肴 を出し色 々 珍 物 見 物 して帰 ル今 夜

こうをだしいろいろちんぶつけんぶつしてかえるこんや


ケンカニ泊 ル

けんかにとまる


廿   三 日 天 氣少 シ冷 氣伏 見六 右衛門かえるとて

にじゅうさんにちてんきすこしれいきふしみろくえもんかえるとて


画認  メ贈 る

えしたためおくる

(大意)

(補足)

「妙国寺ニ至リ蘇鉄」、現在は国指定天然記念物。江戸期の『和泉名所図会』(いずみめいしょずえ)には「大枝22本、小枝78本、総まわり25尺、高さ22尺余り、枝葉6から7間は一面の蒼色ですいらんの如し」と記され、古くから堺の名木の一つとして知られていた。

「廿二日」、天明8年八月廿二日。1788年9月21日。

「油屋吉右衛門」、江戸時代における顕微鏡の製作は顕微鏡の活用が進む中で,国産顕微鏡づくりへの挑戦も始まっていて,天明元年(1781年) 大阪には反射鏡と集光器のつ いた倍率100倍の顕微鏡があった,これは木村兼葭堂のもっているオランダ渡りの顕微鏡を真似て,服部永錫 (通称油屋吉右衛門)が数人の職人とともに作ったものという記録がある。と医器学Vol.74,No,7(2004)にありました。

 江漢さん、22日23日と観光はせずに、蒹葭堂宅に泊まり歓談、また画を認めました。

 

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