2025年3月15日土曜日

江漢西遊日記三 その17

P17 東京国立博物館蔵

(読み)

参 ル妓 子小梅 お浅 を呼ヒ大 酔 春其 夜

まいるげいここうめおあさをよびおおよいすそのよ


爰 ニ泊 ル村 ハ大 坂 の者 ニて親 兄  弟 なし年ン

ここにとまるむらはおおさかのものにておやきょうだいなしねん


明け前 ニて三 十  両  出し被下  候  得ハ年 も春ミ

あけまえにてさんじゅうりょうだしくだされそうらえばねんもすみ


江戸なりとも長 崎 ヘなり共 津れていて

えどなりともながさきへなりともつれていて


下タされと云 そおかし

くだされというぞおかし


廿   一 日 天 氣此 節 角 力あり町 中  角 力

にじゅういちにちてんきこのせつすもうありまちじゅうすもう


能太 鞁廻 る其 太 鞁小  キ也 音 カチ\/と云

のたいこまわるそのたいこちいさきなりおとかちかちという


道 とん堀 時 ハドラをなら春亦 太 鞁也

どうとんぼりときはどらをならすまたたいこなり


四時より住 吉 へ行 ンとして日本 橋 通 リ堺

よじよりすみよしへゆかんとしてにほんばしとおりさかい


春じ直(マツスク)尓行キ大 坂 を出離 レの町 両

すじ  まっすぐ にゆきおおさかをではなれのまちりょう

(大意)

(補足)

「候得ハ」、似たような用例に、候而者(そうらいては):~しては、候得共(そうらえども):~ですが、候ハヽ(そうらわば):~したならば、などいろいろあります。

「廿一日」、天明8年八月廿一日。1788年9月20日。

「太鞁」、太鼓。

 ほんとかうそか(きっと本当のことだとおもいますが)、村を年明け前にひかせるには(よく時代小説や時代劇にでてきます)30両という大金が必要なことがわかります。


 

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