P14 東京国立博物館蔵
(読み)
十 九日 天 氣芝 居近 所 至 て繁 昌 の
じゅうくにちてんきしばいきんじょいたってはんじょうの
処 二三 町 の内 裏 店 アリ其 外 ハあまりなし
ところにさんちょうのうちうらだなありそのほかはあまりなし
時 ハたゐこを打ツ又 ハ鳴 子をなら春風
ときはたいこをうつまたはなるこをならすふ
呂屋近 所 ニハ見得春゛路 巾 至 テせ者゛し
ろやきんじょにはみえず みちはばいたってせば し
傘 をさして二 人並 ンで行カ連春゛江戸能如
からかさをさしてふたりならんでゆかれず えどのごと
く商 人 見世尓色 々 を並 ヘる此 節 辻 \/尓ハ
くしょうにんみせにいろいろをならべるこのせつつじつじには
なつめをうる其 日も暮レて日暮 よりして
なつめをうつそのひもくれてひぐれよりして
道 とん堀 芝 居ある処 ノ竹 やと云フ茶 や
どうとんぼりしばいあるところのたけやというちゃや
へ行キ小梅 と云 妓子(ケイコ)又 おあさと云フと二 人
へゆきこうめという げいこ またおあさというとふたり
呼ヒ色 \/酒 肴 を出し三 味せんう多ハ大
よびいろいろしゅこうをだししゃみせんうたはおお
(大意)
略
(補足)
「十九日」、天明8年八月十九日。1788年9月18日。
「時ハたゐこを打ツ又ハ鳴子をなら春」、江戸ではお寺の鐘が順繰りに鳴り広がってゆくところ、大阪ではということ。江戸でも太鼓(御城の太鼓の音が聞こえてくる)で知らせるときもあったような。「セコーミュージアム銀座」のHPが詳しいです。
「色々を並ヘる」ここの「を」は「と」で、「おあさと云フと」の「と」は「を」のほうがよさそうです。ふたつは似ていて微妙。
大阪の街なかの様子、読んでいて楽しいですね。237年前とはおもえません。
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