2025年3月12日水曜日

江漢西遊日記三 その14

P14 東京国立博物館蔵

(読み)

十  九日 天 氣芝 居近 所 至  て繁 昌  の

じゅうくにちてんきしばいきんじょいたってはんじょうの


処  二三 町  の内 裏 店 アリ其 外 ハあまりなし

ところにさんちょうのうちうらだなありそのほかはあまりなし


時 ハたゐこを打ツ又 ハ鳴 子をなら春風

ときはたいこをうつまたはなるこをならすふ


呂屋近 所 ニハ見得春゛路 巾 至  テせ者゛し

ろやきんじょにはみえず みちはばいたってせば し


傘   をさして二 人並 ンで行カ連春゛江戸能如

からかさをさしてふたりならんでゆかれず えどのごと


く商  人 見世尓色 々 を並 ヘる此 節 辻 \/尓ハ

くしょうにんみせにいろいろをならべるこのせつつじつじには


なつめをうる其 日も暮レて日暮 よりして

なつめをうつそのひもくれてひぐれよりして


道 とん堀 芝 居ある処  ノ竹 やと云フ茶 や

どうとんぼりしばいあるところのたけやというちゃや


へ行キ小梅 と云 妓子(ケイコ)又 おあさと云フと二 人

へゆきこうめという   げいこ またおあさというとふたり


呼ヒ色 \/酒 肴 を出し三 味せんう多ハ大

よびいろいろしゅこうをだししゃみせんうたはおお

(大意)

(補足)

「十九日」、天明8年八月十九日。1788年9月18日。

「時ハたゐこを打ツ又ハ鳴子をなら春」、江戸ではお寺の鐘が順繰りに鳴り広がってゆくところ、大阪ではということ。江戸でも太鼓(御城の太鼓の音が聞こえてくる)で知らせるときもあったような。「セコーミュージアム銀座」のHPが詳しいです。

「色々を並ヘる」ここの「を」は「と」で、「おあさと云フと」の「と」は「を」のほうがよさそうです。ふたつは似ていて微妙。

 大阪の街なかの様子、読んでいて楽しいですね。237年前とはおもえません。

 

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