2025年3月22日土曜日

江漢西遊日記三 その24

P24 東京国立博物館蔵

(読み)

卅    日 能 天 氣彼岸 能中  日 なり爰 を出  立

さんじゅうにちよきてんきひがんのちゅうにちなりここをしゅったつ


して燕子花  能名 所 アリ芭蕉  塚 村 上 帝

してかきつばたのめいしょありばしょうづかむらかみてい


の社  アリ摂 津ノ国 播 州  と能堺 イ須摩能大

のやしろありせっつのくにばんしゅうとのさかいすまのだい


裏能址 テツカイガ峰(ミネ)ヒヨ鳥 越 ヘ夫 より東

りのあとてっかいが  みね ひよとりこえへそれよりひがし


垂(タル)水(イ)西 タルイ仲哀(アイ)王(テン)皇(コウ)の陵  千壺(ツボ)

  たる   い にしたるいちゅうあい   てん   こう のりょうせん つぼ


処  山 ニ能ほり見ル尓生 焼 のつ保゛径 リ一 尺  余

ところやまにのぼりみるになまやきのつぼ わたりいっしゃくあまり


能物 数 \/アリ皆 破 レ多り夫 より舞 子可゛

のものかずかずありみなやぶれたりそれよりまいこが


濱 ハ松 原 ニして右 ハな多゛らかなる山 なり左  ハ

はまにまつばらにしてみぎはなだ らかなるやまなりひだりは


波 打 向  尓淡 路嶋 見ヘ遥(ハル\/)向  尓ハ伊豫山 を

なみうちむこうにあわじしまみえ  はるばる むこうにはいよさんを


見ル海 中  嶋 \/見ヘて能 景 なり敦 盛 の

みるかいちゅうしまじまみえてよきけいなりあつもりの

(大意)

(補足)

「卅日」、天明8年八月卅日。1788年9月29日。

「彼岸能中日なり」、1755年以降は春・秋の彼岸は現在と同じようなので、どうして旧暦8月30日が中日なのか、わかりません。

「須摩能大裏」、須磨の内裏。

「テツカイガ峰」、鉄拐峰(てっかいがみね)。神戸市西部、須磨(すま)区と垂水(たるみ)区の境界にある六甲(ろっこう)山地の山。

「仲哀(アイ)王(テン)皇(コウ)の陵」、仲哀天皇の稜。わが国で4番目に大きい前方後円墳。

「敦盛の石塔」。敦盛塚と同じ。五輪塔。

 

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