P12 東京国立博物館蔵
(読み)
の夜多か能事 なり夜多かハ大 坂 可よし亦 日
のよたかのことなりよたかはおおさかがよしまたに
本 橋 出テ道 とん堀 ヘ行キ芝 居坐五軒
ほんばしでてどうとんぼりへゆきしばいざごけん
あり茶 屋ヘあかり丸 山 可画を見酒 を出ス
ありちゃやへあがりまるやまがえをみさけをだす
妓 子二 人呼ヒ一 興 して返 る
げいこふたりよびいっきょうしてかえる
十 八 日 曇 リて後 天 氣四時比 より北 堀 江
じゅうはちにちくもりてのちてんきよじころよりきたほりえ
蒹 葭堂 へ参 ル吾カ造 ル銅 板 両 国 の圖を
けんかどうへまいるわがつくるどうはんりょうごくのずを
見セける尓誠 尓日本 創 製 なりと云ツて感
みせけるにまことににほんそうせいなりといってかん
心 春る菓子酒 等 出し七 時過 ニ中 津町 へ
しんするかしさけとうだししちじすぎになかつちょうへ
かえり亦 亭 主 と北 の方 十 四五町 程 行 て天
かえりまたていしゅときたのほうじゅうしごちょうほどゆきててん
神 橋 ヘ出渡 リて天 満 宮 ヘ参 ル夫 より東 ノ方 へ
じんばしへでわたりててんまんぐうへまいるそれよりひがしのほうへ
(大意)
略
(補足)
「丸山」、円山応挙(1733〜1795)。この日記は1788年なので応挙は存命中。
「十八日」、天明8年八月十八日。1788年9月17日。
「四時比より北堀江蒹葭堂へ参」り「七時過ニ中津町へかえ」ったので、朝10時頃から夕方4時頃までほぼ半日お邪魔していたことになります。自慢の銅版画「両国の図」を見せ、お褒めに預かり、気分もよろしかったようです。
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