P10 東京国立博物館蔵
(読み)
宿 ニ至 ル嶌 能内 清水 町 筋 中 津町 と
やどにいたるしまのうちしみずちょうすじなかつちょうと
云フ処 丸 屋清 兵衛方 ニ至 ル此 者 案内 ニて
いうところまるやせえべえかたにいたるこのものあないにて
どうとん堀 芝 居ノ邊 を通 リ北 堀 江蒹(ケン)
どうとんぼりしばいのあたりをとおりきたほりえ けん
葭(カ)堂 ヘ参 リ又 米 市 場テンマヤ加助 米 師ヘ参
か どうへまいりまたこめいちばてんまやかすけこめしへまいる
夫 より新 町 を見 物 春皆 揚 屋ニて其 内
それよりしんまちをけんぶつすみなあげやにてそのうち
吉 田屋と云フハ名 家なり夕霧(ユウキリ)能文 を珍
よしだやというはめいかなり ゆうぎり のふみをちん
蔵 春爰 ハ江戸吉 原 同 前 能処 ニて太夫
ぞうすここはえどよしわらどうぜんのところにてたゆう
あり揚 代 七 拾 五匁 雑 用 共 なり揚 屋
ありあげだいななじゅうごもんめざつようともなりあげや
ニ中 居とて若 キ女 緋ちりめん紫 縮 緬 の
になかいとてわかきおんなひちりめんむらさきちりめんの
前 ヒ多゛れ尓て出て取 持 妓子(ゲイコ)数 人 よびて
まえひだ れにてでてとりもつ げいこ すうにんよびて
(大意)
略
(補足)
「丸屋清兵衛」、未詳だが、木村蒹葭堂とかなり親しかったらしく、「蒹葭堂日記」に頻繁に顔を見せている、とありました。
「蒹葭堂」、元文元年(1736)〜享和二年(1802)。この地に来ると誰もが訪れる有名人。
「夕霧」、延宝六年(1678)正月六日没。浪華の名妓扇屋夕霧。江戸の高尾、京の芳野と並び称された。
著者豊国 出版者魚栄 出版年月日 文久1(1861)。
鬼貫(おにつら)の句「古能塚(つ可)者 柳(や奈ぎ) 奈久帝も 哀(あハれ)那り」。
「吉原同前」、同然。
江漢さん、このあと10日間ほど、大阪を楽しむことになります。
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