2025年3月8日土曜日

江漢西遊日記三 その10

P10 東京国立博物館蔵

(読み)

宿 ニ至 ル嶌 能内 清水 町  筋 中 津町  と

やどにいたるしまのうちしみずちょうすじなかつちょうと


云フ処  丸 屋清 兵衛方 ニ至 ル此 者 案内 ニて

いうところまるやせえべえかたにいたるこのものあないにて


どうとん堀 芝 居ノ邊  を通 リ北 堀 江蒹(ケン)

どうとんぼりしばいのあたりをとおりきたほりえ  けん


葭(カ)堂 ヘ参 リ又 米 市 場テンマヤ加助 米 師ヘ参

  か どうへまいりまたこめいちばてんまやかすけこめしへまいる


夫 より新 町 を見 物 春皆 揚 屋ニて其 内

それよりしんまちをけんぶつすみなあげやにてそのうち


吉 田屋と云フハ名 家なり夕霧(ユウキリ)能文 を珍

よしだやというはめいかなり   ゆうぎり のふみをちん


蔵 春爰 ハ江戸吉 原 同 前 能処  ニて太夫

ぞうすここはえどよしわらどうぜんのところにてたゆう


あり揚 代 七 拾  五匁  雑 用 共 なり揚 屋

ありあげだいななじゅうごもんめざつようともなりあげや


ニ中 居とて若 キ女  緋ちりめん紫   縮 緬 の

になかいとてわかきおんなひちりめんむらさきちりめんの


前 ヒ多゛れ尓て出て取 持 妓子(ゲイコ)数 人 よびて

まえひだ れにてでてとりもつ   げいこ すうにんよびて

(大意)

(補足)

「丸屋清兵衛」、未詳だが、木村蒹葭堂とかなり親しかったらしく、「蒹葭堂日記」に頻繁に顔を見せている、とありました。

「蒹葭堂」、元文元年(1736)〜享和二年(1802)。この地に来ると誰もが訪れる有名人。

「夕霧」、延宝六年(1678)正月六日没。浪華の名妓扇屋夕霧。江戸の高尾、京の芳野と並び称された。 

著者豊国 出版者魚栄 出版年月日 文久1(1861)。

鬼貫(おにつら)の句「古能塚(つ可)者 柳(や奈ぎ) 奈久帝も 哀(あハれ)那り」。

「吉原同前」、同然。

 江漢さん、このあと10日間ほど、大阪を楽しむことになります。

 

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