P22P23 東京都立中央図書館蔵
P23
(読み)
志あんを
しあんを
やって於き
やっておき
奈むあミ
なむあみ
多゛ぶつと
だ ぶつと
いふをあいづ二
いうをあいずに
とめさせる
とめさせる
ち うもん尓て
ちゅうもんにて
まづうき奈を
あずうきなを
千 五百 両 尓て
せんごひゃくりょうにて
身うけてをし
みうけてをし
しんぢ うの道 ぐ
しんじゅうのどうぐ
多゛てを可いあつめる
だ てをかいあつめる
ついの小そでの
ついのこそでの
もよふ尓ハか多尓可奈てこ
もようにはかたにかなてこ
すそ尓ハい可り志ち尓
すそにはいかりしちに
於ゐても奈可゛れの
おいてもなが れの
ミといふ古可の
みというこかの
こゝろを
こころを
ま奈者゛れ多り
まなば れたり
これも中 やと
これもなかやと
やまざきの
やまざきの
もうけ
もうけ
もの
もの
奈り
なり
(大意)
志庵をまたせておき、南無阿弥陀仏と言うのを合図にとめさせる手筈で、まず浮名を千五百両で身請けをして、心中の道具立てを買い集めた。
おそろいの小袖の模様には「肩に金てこ裾には錨、質においても流れの身」という古い歌の雅(みやびな)な和歌からとったようにもったいをつけた。
これも中屋と山崎からのあつらえものであった。
(補足)
「身うけてをし」、原稿が間違っていたようです。
「中やとやまざき」、ともに吉原出入りの呉服屋。
「しんぢうの道ぐ多゛て」、喜之介が帳面と引き合わせている物で、樒(しきみ)の枝・数珠・小田原提灯・辞世の摺物・蛇の目傘、そして喜之介の後ろに立てかけて巻いてあるものは毛氈(もうせん)とありました。浄瑠璃「心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)」のお千代・半兵衛が毛氈の上で心中したのをまねたのだろうとありました。
「か多尓可奈てこすそ尓ハい可り志ち尓於ゐても奈可゛れのミ」、この唄は「金を拾ふたらゆかたを染めよ、肩にかなてこもすそに碇、質に置いても流れぬように〜」、安永五(1776)年ごろ流行った。そしてその替え歌「金を拾ふたら浴衣を染めよ、肩にかぎざき裾にはつぎよ、質に置いても貸やしよまい〜」ともうたわれたと蜀山人(しょくさんじん)の随筆「半日閑話」にみえ、また安永七年の咄本「春宵一刻」の序にも「浴衣を染めんとおもいたつ、肩にかなてこもすそにいかり〜」とある、とものの本にはありました。
確かに艶二郎と浮名の小袖はおそろいになっていて、肩に金梃、裾に碇の柄があります。
艶二郎は髪を結わせ終わり、はけ先(男の髷の先)をなおしています。鏡台がまた豪華。髪結いの男は油になった手を拭きながら、まわりの様子に驚くというよりもあきれ(笑い)顔です。
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