2024年9月30日月曜日

江戸生艶氣樺焼 その40

P22P23 東京都立中央図書館蔵

P23

(読み)

志あんを

しあんを


やって於き

やっておき


奈むあミ

なむあみ


多゛ぶつと

だ ぶつと


いふをあいづ二

いうをあいずに


とめさせる

とめさせる


ち うもん尓て

ちゅうもんにて


まづうき奈を

あずうきなを


千 五百  両  尓て

せんごひゃくりょうにて


身うけてをし

みうけてをし


しんぢ うの道 ぐ

しんじゅうのどうぐ


多゛てを可いあつめる

だ てをかいあつめる


ついの小そでの

ついのこそでの


もよふ尓ハか多尓可奈てこ

もようにはかたにかなてこ


すそ尓ハい可り志ち尓

すそにはいかりしちに


於ゐても奈可゛れの

おいてもなが れの


ミといふ古可の

みというこかの


こゝろを

こころを


ま奈者゛れ多り

まなば れたり


これも中 やと

これもなかやと


やまざきの

やまざきの


もうけ

もうけ


もの

もの


奈り

なり

(大意)

志庵をまたせておき、南無阿弥陀仏と言うのを合図にとめさせる手筈で、まず浮名を千五百両で身請けをして、心中の道具立てを買い集めた。

 おそろいの小袖の模様には「肩に金てこ裾には錨、質においても流れの身」という古い歌の雅(みやびな)な和歌からとったようにもったいをつけた。

 これも中屋と山崎からのあつらえものであった。

(補足)

「身うけてをし」、原稿が間違っていたようです。

「中やとやまざき」、ともに吉原出入りの呉服屋。

「しんぢうの道ぐ多゛て」、喜之介が帳面と引き合わせている物で、樒(しきみ)の枝・数珠・小田原提灯・辞世の摺物・蛇の目傘、そして喜之介の後ろに立てかけて巻いてあるものは毛氈(もうせん)とありました。浄瑠璃「心中宵庚申(しんじゅうよいこうしん)」のお千代・半兵衛が毛氈の上で心中したのをまねたのだろうとありました。

「か多尓可奈てこすそ尓ハい可り志ち尓於ゐても奈可゛れのミ」、この唄は「金を拾ふたらゆかたを染めよ、肩にかなてこもすそに碇、質に置いても流れぬように〜」、安永五(1776)年ごろ流行った。そしてその替え歌「金を拾ふたら浴衣を染めよ、肩にかぎざき裾にはつぎよ、質に置いても貸やしよまい〜」ともうたわれたと蜀山人(しょくさんじん)の随筆「半日閑話」にみえ、また安永七年の咄本「春宵一刻」の序にも「浴衣を染めんとおもいたつ、肩にかなてこもすそにいかり〜」とある、とものの本にはありました。

 確かに艶二郎と浮名の小袖はおそろいになっていて、肩に金梃、裾に碇の柄があります。

艶二郎は髪を結わせ終わり、はけ先(男の髷の先)をなおしています。鏡台がまた豪華。髪結いの男は油になった手を拭きながら、まわりの様子に驚くというよりもあきれ(笑い)顔です。

 

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