2024年9月12日木曜日

江戸生艶氣樺焼 その22

P12P13 東京都立中央図書館蔵

P13

(読み)

てまへ可゛於れ可゛とこへくるとあつぢらの大 じん可゛

てまえが おれが とこへくるとあっぢらのだいじんが


やけを於こしてやりてやま王しをよんでこゞとを

やけをおこしてやりてやまわしをよんでこごとを


いふうちのこゝろもちのよさハどうやすく

いううちのこころもちのよさはどうやすく


ふんでも五六 百  両  可゛ものハあるのさ

ふんでもごろっぴゃくりょうが ものはあるのさ


本ん二

ほんに


ぬしハ

ぬしは


春い

すい


きやう

きょう



ひとで

ひとで


ござ里んす

ござりんす

(大意)

艶二郎「てめえがおれのところへ来ると、あっちの大尽(金持ちをよそおうわるい志庵)がやけを起こして、遣り手や回し方をよんで小言を言う(のをおもうと)この心持ちの気分の良さは、どう安くふんでも五六百両ぐらいのものはあるのさ」

浮名「ほんにぬしは酔狂なひとでござりんす」

(補足)

「てまへ可゛於れ可゛」、ここの「於」は一部がかけてしまったのか「於」にはみえません。

「やりて」、『やりて【遣り手】④ 妓楼で,遊女の教育・監督,客との応対など,一切を切り回す女性。多くは古手の遊女がなった。花車(かしや)。やりてばば』

「ま王し」、『まわしかた まはし― 【回し方】遊里で,遊女の座敷・寝具など器物の世話をする男。深川では,男女あり,着付け・送り迎えなどをした。回し。「―はたき火にあたり」〈洒落本・通言総籬〉』

 艶二郎の部屋は、隣が小便所という妓楼でも最低の部屋。しかし偽お大尽わるい志庵がいるところはその正反対。そして浮名は志庵のほうではなく、艶二郎のほうの部屋へやってくる(左足のふくらはぎとそのちょっと上までみせているのは当時精一杯の読者サービス。また左手に懐紙をもっているのもこれからいよいよというファンサービス。口にはなにかくわえています)。艶二郎はお大尽になびかず、安い揚代でももてる色男の気分を存分に味わって「金じゃねぇよなかみだよ」と優越感をあじわっているというわけ。五六百両なんて安い安い。アホもここまでくればめでたい。

 P13のみ他の黄表紙画像から拝借しました。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿