2024年9月4日水曜日

江戸生艶氣樺焼 その14

P9 東京都立中央図書館

(読み)

ゑん二郎

えんじろう


く志やミ

くしゃみ


を春る

をする


多び

たび


せ个んで

せけんで


於れ可゛

おれが


う王

うわ


さを

さを


する

する


多゛


ろうと

ろうに


おもへ

おもえ


ども

ども


いつ

いっ


可う二

こうに


町  内 でさへ

ちょうないでさえ


志らぬゆへ

しらぬゆえ


此 うへハ女 郎

このうえはじょろう


可いを者じめて

かいをはじめて


うき奈を

いきなを


たてんと於もい

たてんとおもい


中 の丁  うハき

なかのちょううわき


まつやへき多り

まつやへきたり


王る井志あん

わるいしあん


き多りきのすけ

きたりきのすけ


奈ぞ可ミ尓徒れ

なぞかみにつれ


いつ者゜い尓

いっぱ いに


志や連る

しゃれる

(大意)

 艶二郎はくしゃみをするたびに、世間ではおれのことをうわさしているのだろうとおもっていたのだが、町内でさえいっこうにしられてはなかったので、こうなったら女郎買いをはじめて、浮名を流そうとおもった。そして、中の丁(吉原の大通り)にあるうわき松屋へやって来た。わる井志庵・北里喜之介なぞひきつれて思う存分に通人らしくしゃれた。

(補足)

「可ミ尓徒れ」、「可ミ」はしろうとの太鼓持ち、末社とありまして、辞書などで調べてもはっきりしませんでした。

 ここは吉原、中の丁の松屋の一部屋。といっても相当に手入れのいきとどいた部屋にみえます。

 細かいなとおもう一番は、右上に半分見えている(ほとんどの場合、描きたいものはその一部分しか描かない)巻き紙に何か文字がかかれているものが何本かさしてあるものです。「さし」とあってこれはきっと状差しでしょう。いまでもこんなふうにしてある家はたくさんあることとおもうのですが、二百数十年前でもまったくおなじ。なんか愉快です。

 

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