2019年11月21日木曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その53




 P.32 すべて。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
百姓
ひゃくしょう

七左衛門
しちざえもん

佐左衛門
ささえもん

御奉行所様
おぶぎょうしょさま


(大意)



(補足)
 前頁からの続きで、九人惣代として百姓の七左衛門と佐左衛門の名前が記されてます。
「様」がこの時代のくずし字やふだんの字体とかけ離れて、現代の楷書そのものです。畏まっているわけではないとおもうのですが。

 さてさて、お奉行所はどう裁くのでしょうか。
素人目には戸口村に軍配をあげたい。


2019年11月20日水曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その52




 P.31 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
平岡對馬守知行所
ひらおかつしまのかみちぎょうじょ

武州入間郡
ぶしゅういるまぐん

弘化三午年
こうかさんうまとし

八月
はちがつ

戸口村
とぐちむら

九人惣代
きゅうにんそうだい


(大意)


(補足)
知行所とありますから、戸口村は旗本平岡対馬守の領地で、次頁の七左衛門と佐左衛門はそこの百姓となります。

「対馬守」、三文字セットで覚えます。

 ここの弘化年間も含めて、それ以前数十年前より対外的には毎年のうように異国船があらわれ、
幕府は慌てふためくわけですが、国内ではこのようなとても身近な訴訟があり、その落差になんとも言えぬ感慨があります。


2019年11月19日火曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その51




 P.31 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
聊    損 失 無之  候   間  早 々 引 取 已来 右 躰 当 村 内
いささかもそんしつこれなくそうろうあいだそうそうひきとりいらいみぎていとうそんない

田畑 居 屋敷 添 之場所 へ一 切 桴  繋 畄  不申様
たはたきょやしきそいのばしょへいっさいいかだけいりゅうもうさずよう

被仰付    被下  置 度 偏  二奉願上       候   以上
おおせつけられくだされおきたくひとえにねがいあげたてまつりそうろういじょう


(大意)
少しも損害の無いようにしておきますので、早々に引取これ以降このような当村内で
田畑や家屋敷沿いのところへ決して筏を繋ぎ留めることがないように
申し付け守らせるようにしていただきたく、ひとえにお願い申し上げます。


(補足)
「引取」、「引」のくずし字は「弓」と「|」のあいだがなぜか大きくはなれます。「取」はここでも小さい。
「居屋敷」、よみは(きょやしき)(いやしき)どちらでしょう。
「偏二」、右半分は「戸」+「冊」です。くずし字はもとの形を保っているようですが筆運びを見ると独特です。

 「名栗の歴史 上」に筏の訴訟例がたくさんのっています。筏の川下げが行われるようになってからその仕事がなくなる明治頃まで、ずっとあったようです。

 ここの例ではここまで読んだ限りでは、筏側が不利に感じます。
しかし、訴訟内容には筏の川下げでバラけてしまった材木を内緒で販売していた下流の百姓の例もあり、一般的な傾向はないようです。

 筏は大水など水量が増さないと船団を組んで川下げできません。ところが大水になると堤防決壊など水防に下流の田畑を持つ百姓たちは当然神経質になります。利害がぶつかるのでこの訴訟はずっとたえることがなかったのです。



2019年11月18日月曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その50




 P.30 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
候   杯 其 外 品 々 訴   書 へ書 載 候   段 難 渋  申  懸ケニ而
そうろうなどそのほかしなじなうったえしょへかきのせそうろうだんなんじゅうもうしかけにて

難 儀至極 仕    候   間  無是非 右 躰 返 答 書 を以
なんぎしごくつかまつりそうろうあいだぜひなくみぎていへんとうしょをもって

奉申上       候   何 卒 右 桴  之義昼  夜番 附 置
もうしあげたてまつりそうろうなにとぞみぎいかだのぎちゅうやばんつけおき


(大意)
きたしているなどとその他事どもあわせて訴え書に書き連ねていることは、困惑させられ
大変に困ったことですので、仕方なくこのような返答書をもって
申し上げます。なにとぞ右筏については昼夜見張りを付けて置き


(補足)
「難渋申懸ケニ而」、くだけて言えば(難癖を付けて)。
「無是非」、「非」くずし字の右半分が、「乍」と同じように「ヒ」に似た形で右側に流れてます。
2行目「無御座」のところの「無」とは異なったくずし字です。
「返答書」、「返」のくずし字は2行目「通」と似ています。ここの「書」のくずし字はずいぶんと簡略されてる。

 控えだからといって、手抜きすることなく、几帳面そのものの手跡です。この名主さんの性格もきっとそうだったのでしょう。


2019年11月17日日曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その49




 P.30 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
場所 へ繋  畄 候   桴  而己川 下ケ致  候   上 二而其 余之
ばしょへつなぎとめそうろういかだのみかわさげいたしそうろううえにてそのよの

分 差 障  之儀無御座 今 以  日々通 行 致  候   儀二
ぶんさしさわりのぎござなくいまもってひびつうこういたしそうろうぎに

聊    差 支  無之  然 ルを百  弐拾  艘 余  川 下 桴  障 り
いささかもさしつかえこれなくしかるをひゃくにじゅっそうあまりかわさげいかださわり


(大意)
場所へ繋ぎ留めた筏のみ川下げ致しましただけでその他の
分については差し障りはございません。現在でも毎日の通行については
いささかも差し支えはなく、そうであるのに120艘あまりの筏の川下げに支障を


(補足)
「而己」(のみ)、「己(き)」「巳(み)」「已(い)」の区別は昔から厄介で、いろいろな工夫をして覚えてきました。次頁1行めに「已来(いらい)」が出てきます。
「其余之分」読みはそのまま「そのよのぶん」、その他の分。
「差障」(さしさわり)、「差支」(さしつかえ)、意味的には同じようなことですが使い方に差があるような気もします。
「通行」、「通」のくずし字をよく眺めてみると、「マ」+「用」の部分がどうして「不」のような形になるのでしょう。
「聊」(いささか)、よく出てきます。偏の「耳」が難しい。
「百弐拾」、「百」は十分に大きいのですが、「弐拾」などの漢数字はなぜかほとんど小さくわかりずらい。
「余」、上部の「𠆢」部分を(ひとやね、ひとがしら)というのを今調べて知りました。お恥ずかしい。この部分が「の」に見えてしまって悩みました。



2019年11月16日土曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その48




 P.29 4行目〜最後まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
之者 共 者一 図ニ田畑 相 続 専 一 与相 心  得身 命 を
のものどもはいちずにたはたそうぞくせんいつとあいこころえしんめいを

懸ケ水 防 罷  在 候   時節 喧 嘩口 論 等 可致   謂無
かけすいぼうまかりありそうろうじせつけんかこうろんとういたすべきいわれ

御座  候   殊 二右 十  三 日 昼  後ゟ 夕 方 迄 二欠 崩  之
ござなくそうろうことにみぎじゅうさんにちちゅうごよりゆうがたまでにかけくずれの


(大意)
の者たちはひたすら田畑の相続を第一と心得、身命を
かけ水を防いでいる時節であり、喧嘩口論など致すべきわけが
ございません。加えて今月13日昼後より夕方までに崩れ落ちた


(補足)
「一図」(いちず)、辞書には「一途」でのってます。
「専一」、「専」が難しいが、「寸」の部分が「る」のようになっているのがヒントになる。
「懸」は特徴的。
「水防」、この単語のとき「水」は難しいくずし字になるようです。

 整然と几帳面な手跡で読みやすいです。


2019年11月15日金曜日

桴出入諸願書井相手方詫書等写 その47




 P.29 3行目まで。「飯能市立博物館所蔵淺海公介家55号文書」

(読み)
乗 下ケ候   桴  をも差 畄 杯 無跡形   儀書 餝り 奉
のりさげそうろういかだをもさしとめなどあとかたなくぎかきかざり

出  訴     候得共   逸々  相 違  二而既 二其 節 番 小家杯
しゅっそたてまつりそうらえどもいついつあいちがいにてすでにそのせつばんごやなど

与申  者 無御座 候   間  可打擲     様 無之  候   猶 当村
ともうすものござなくそうろうあいだちょうちゃくべきさまこれなくそうろうなおとうそん

(大意)
乗り下げてきた筏をも差し止めたなど根拠もないことを書き連ね
訴えておりますがすべて違っております。(訴え書がだされた)そのときには既に番小屋など
というものはなかったので、打擲するようなことができようもありません。なお当村


(補足)
「杯」(など)、「等」とともに頻出。
「無跡形」、3文字セットで読める。「跡」一文字だったら悩みます。意味も現在では使われない言い回しになってます。
「餝り」(かざり)、見たこともない漢字です。「飾」の異体字とありました。
「与申者」(ともうすもの)、この「者」は「物」でしょう。助詞の「は」ならちいさくくずし字のはず。

 古文書を読んでいると、時制が現在の文章や文法に比べると不明確です。
しかし、2行目から3行目は時系列がとても明確に記されています。
既に、訴え書が出されたときには、番小屋はなかったので、その番小屋にいるはずの者共を、打擲しようにもすることはできなかった、と鮮やかです。