2025年8月31日日曜日

江漢西遊日記五 その36

P36 東京国立博物館蔵

(読み)

京  都の画師應 擧 なり鯉 二 ツ藻也 亦タ

きょうとのえしおうきょなりこいふたつもなりまた


か王せミ能飛ヒタル図なり誠  尓上  手なり裏

かわせみのとびたるずなりまことにじょうずなりうら


ハ曲  水 蘭 亭 の圖之(コレ)ハ描(カキ)手別 なり風 土

はきょくすいらんていのず  これ は  かき てべつなりふうど


放 言 長 崎 と同 し水 仙 蘭 石 解 風 蘭

ほうげんながさきとおなじすいせんらんせっこくふうらん


自  ラ野ニ生  春゛人 能声 ヲあけ亦 ハ声高(コハタカ)尓

みずからのにしょうず ひとのこえをあげまたは   こわだか に


笑(ハラフ)事 をウラブと云フ

  わらう ことをうらぶという


廿   九日 天 氣此 日晩 方 より表  具細 工能

にじゅうくにちてんきこのひばんがたよりひょうぐざいくの


者 能方 へ行ク酒 肴 を出し何 カナ饗應(キヨウゝ)

もののかたへゆくしゅこうをだしなにかな   きょうおう


せんとて自分 能妹(イモト)を杓(シヤク)取 ニ出し个り其

せんとてじぶんの  いもと を  しゃく とりにだしけりその


衣服 黒 キ木綿 能色 入り尓模様(モヨウ)を染 出シ

いふくくろきもめんのいろいりに   もよう をそめだし

(大意)

(補足)

「應擧」、ご存知円山応挙。享保18(1733)年〜寛政7(1795)年。

 江漢「春波桜筆記」新画法と京都江戸、の項に次のようにあります。

『京都に円山応挙という画人がいる。生まれは丹波篠山の人である。京に出て一風を開いた。唐画でもなく和風でもなく、自分の工夫で新意を出したので、京都じゅうで妙手と讃えられ、誰もかもみなその真似をしてたいへん流行したものであった。いまになってはそれももう見あきて、すたれてしまった。』

「曲水」、『きょくすい【曲水】

① 庭園または林,山麓(さんろく)をまがりくねって流れる水。ごくすい。』

「水仙蘭石解風蘭」、水仙、闌、石斛(せっこく せき― 【石斛】ラン科の常緑多年草。山中の樹木や岩上に生え,また観賞用に栽培。茎は高さ20センチメートル)、風闌。

「廿九日」、天明8年11月29日。西暦1788年12月26日。

 「春波桜筆記」には応挙のことを上記のように記していますが、ここでは「誠尓上手なり」と、彼にしては最上の褒め言葉をもらしています。すばらしい画だったのでしょう。

 

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