2025年8月15日金曜日

江漢西遊日記五 その20

P20 東京国立博物館蔵

(読み)

ごとしと云 此 宿 雨 戸なし障  子婦春まなし

ごとしというこのやどあまどなししょうじふすまなし


天井(テン セウ)を張(ハラ)春゛扨 \/寒 し爰 も風 土長 崎 能

   てんじょう を  はら ず さてさてさむしここもふうどながさきの


如 し時雨(シクレ)ニて大 雨 風 雪 あられ降りて

ごとし   しぐれ にておおあめかぜゆきあられふりて


東 方 ノ氣色 なしさて平 戸城  下海 岸

とうほうのけしきなしさてひらどじょうかかいがん


尓人 家並 ヒて此 節 鮪(シヒ)漁  ニて大 舩 岸 ニ

にじんかならびてこのせつ  しび りょうにておおふねきしに


着(ツキ)鮪 を積ム事 一 艘 尓何 萬 数 艘 尓積ム

  つき しびをつむこといっそうになんまんすうそうにつむ


故 海 能潮 鮪 の血(チ)流 レて赤 し鮪 舩 此 時(シ)

ゆえうみのしおしびの  ち ながれてあかししびふねこの  し


雨(グレ)能嵐  尓帆を張り玄 界 灘(ナタ)を過 て下 能関

  ぐれ のあらしにほをはりげんかい  なだ をすぎてしものせき


尓至 り防 州  灘 を越へ阿波能鳴 戸を渡里

にいたりぼうしゅうなだをこえあわのなるとをわたり


志摩の国 鳥羽浦 ニ掛ケ伊豆能東  洋 を経(へ)

しまのくにとばうらにかけいずのひがしなだを  へ

(大意)

(補足)

「平戸城下」、平戸藩6万1700石。古地図と現在のもの。黒子島、牛首(平戸牛ヶ首灯台)など地形はほとんどかわっていません。また平戸オランダ商館HPに1621年平戸図(平戸城下の絵図)があります。 


  一艘に何万匹も鮪を積んだ船が数艘ということで、港の浜は血だらけで海が赤いとあります。その鮪満載の船が平戸から玄界灘をへて下関にいたり、坊州灘を越え鳴門をわたり、鳥羽の浦でひと休み、伊豆を経て、江戸に向かうわけです。ホントかなと疑ってしまいます。

 木村蒹葭堂「日本山海名産圗會」にこの鮪の説明と画があります。 

 当時も今も平戸五島付近はすぐれた鮪漁場であったようです。

 

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