P20 東京国立博物館蔵
(読み)
ごとしと云 此 宿 雨 戸なし障 子婦春まなし
ごとしというこのやどあまどなししょうじふすまなし
天井(テン セウ)を張(ハラ)春゛扨 \/寒 し爰 も風 土長 崎 能
てんじょう を はら ず さてさてさむしここもふうどながさきの
如 し時雨(シクレ)ニて大 雨 風 雪 あられ降りて
ごとし しぐれ にておおあめかぜゆきあられふりて
東 方 ノ氣色 なしさて平 戸城 下海 岸
とうほうのけしきなしさてひらどじょうかかいがん
尓人 家並 ヒて此 節 鮪(シヒ)漁 ニて大 舩 岸 ニ
にじんかならびてこのせつ しび りょうにておおふねきしに
着(ツキ)鮪 を積ム事 一 艘 尓何 萬 数 艘 尓積ム
つき しびをつむこといっそうになんまんすうそうにつむ
故 海 能潮 鮪 の血(チ)流 レて赤 し鮪 舩 此 時(シ)
ゆえうみのしおしびの ち ながれてあかししびふねこの し
雨(グレ)能嵐 尓帆を張り玄 界 灘(ナタ)を過 て下 能関
ぐれ のあらしにほをはりげんかい なだ をすぎてしものせき
尓至 り防 州 灘 を越へ阿波能鳴 戸を渡里
にいたりぼうしゅうなだをこえあわのなるとをわたり
志摩の国 鳥羽浦 ニ掛ケ伊豆能東 洋 を経(へ)
しまのくにとばうらにかけいずのひがしなだを へ
(大意)
略
(補足)
「平戸城下」、平戸藩6万1700石。古地図と現在のもの。黒子島、牛首(平戸牛ヶ首灯台)など地形はほとんどかわっていません。また平戸オランダ商館HPに1621年平戸図(平戸城下の絵図)があります。
一艘に何万匹も鮪を積んだ船が数艘ということで、港の浜は血だらけで海が赤いとあります。その鮪満載の船が平戸から玄界灘をへて下関にいたり、坊州灘を越え鳴門をわたり、鳥羽の浦でひと休み、伊豆を経て、江戸に向かうわけです。ホントかなと疑ってしまいます。
木村蒹葭堂「日本山海名産圗會」にこの鮪の説明と画があります。
当時も今も平戸五島付近はすぐれた鮪漁場であったようです。
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