P7 東京国立博物館蔵
(読み)
ヤギ豕(ブタ)ニハ鳥 を飼(カイ)賣ルなり夫 より幸
やぎ ぶた にわとりを かい うるなりそれよりこう
作 方 へ返 り枕(マクラ)元(モト)へ火者゛ち二 ツ置キドンス
さくかたへかえり まくら もと へひば ちふたつおきどんす
縮 面 能夜具を着(キ)て彼ノおらん多二階 ニ
ちりめんのやぐを き てかのおらんだにかいに
休 ミ个る
やすみける
六 日曇 ル寒 し朝 起キ勝 手ノ方 を見ル尓皆
むいかくもるさむしあさおきかってのほうをみるにみな
何尓毛かもおらん多風 なり夫 より二階 尓
なにもかもおらんだふうなりそれよりにかいに
登 り倚子(イス)尓よりヤギ小鳥 を焼 てボウ
のぼり いす によりやぎことりをやきてぼう
トルを付 喰フ飯 のさ以ヤギ尓油 醤(セウ ユ)ヲ付 焼ク
とるをつけくうめしのさいやぎにあぶら しょうゆ をつけやく
晩 甲 子祭 小豆 飯 出来ル幸 作 悴 定
ばんきのえねまつりあずきめしできるこうさくせがれさだ
之助 定 五良 参 ル亦 細 工場と云 処 あり
のすけさだごろうまいるまたさいくばというところあり
(大意)
略
(補足)
「六日」、天明8年11月6日。西暦1788年12月3日。
「ボウトル」、boter。オランダ語でバター。
「甲子祭」、『きのえねまつり【甲子祭り】、きのえねまち【甲子待ち】に同じ。甲子の日の前夜,子の刻(午前零時頃)まで起きていて,二股大根・黒豆などを供え,大黒天をまつる風習。江戸時代,商家で行われた。きのえね祭り』
江漢さん、絵の修業よりも、オランダ船に乗船したり唐船をまじかでみて写生したり、ヤギや鶏、また豚も食ったり、それもバターを付けてと、こちらのほうの修行に忙しそうです。文字通り血となり肉となる修行。
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