P9 東京国立博物館蔵
(読み)
八 日曇 四 時 より平 戸屋しきへ参 ツイ立 ニ墨(ホク)
ようかくもりよつどきよりひらどやしきへまいりついたてに ぼく
梅(ハイ)を認 メ其 外 画色 \/描(カキ)酒 を呑 帰 ル夫
ばい をしたためそのほかえいろいろ かき さけをのみかえるそれ
より大 村 町 定 之助 へ参 ルブタを煮て夜
よりおおむらちょうさだのすけへまいるぶたをにてや
喰 を出春至(イタッテ)うまし
しょくをだす いたって うまし
九 日曇 て大 西 風 寒 し頼(タノ)れまれ多る画を
ここのかくもりておおにしかぜさむし たの れまれたるえを
所 々 へ遣 春幸 作 をおぢ様 と云フ四 歳 位
しょしょへつかわすこうさくをおじさまというよんさいくらい
能小童 あり實 ハ妾(セ ウ)腹 能子と云 蘭 語ヲ
のこどもありじつは しょう ばらのこというらんごを
能ク覚 へて牛 肉 をクウベイスと云 馬 をパー
よくおぼえてぎゅうにくをくうべいすといううまをぱー
ルドと云 サツマ芋 を与(ヤレ)ハレツケル\/ とて喰ひ
るどというさつまいもを やれ ばれっけるれっけるとてくい
个り今 幸 作 跡 ハ此 童 なり。レツケルハ美味ノ事
けりいまこうさくあとはこのわらわなり れっけるはびみのこと
(大意)
略
(補足)
「八日」、天明8年11月8日。西暦1788年12月5日。
「四歳位能小童」、後の吉雄権之助、天明5(1785)年〜天保(1831)2年。オランダ語は非常に巧みで、英・仏語にも通じ、蘭医レッケより外科を学んだ。シーボルトとも親交があり、その門下の日本人にオランダ語を教えた。著作も多数ある。
「實ハ妾(セウ)腹能子と云」、吉雄耕牛(幸作)(享保9(1724)年〜寛政12(1800)年)の妾の子で、耕牛62歳のときの子なので幼名を六二郎とよんだ。
「クウベイス」、オランダ語kooesvlees(コウエスヴレス)を調べると牛の肉とありました。
「パールド」、paard。「レツケル」、lekker。
歴史上の人物の普段の姿が出てきています。
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