2025年8月4日月曜日

江漢西遊日記五 その9

P9 東京国立博物館蔵

(読み)

八 日曇  四 時 より平 戸屋しきへ参  ツイ立 ニ墨(ホク)

ようかくもりよつどきよりひらどやしきへまいりついたてに  ぼく


梅(ハイ)を認  メ其 外 画色 \/描(カキ)酒 を呑 帰 ル夫

  ばい をしたためそのほかえいろいろ  かき さけをのみかえるそれ


より大 村 町  定 之助 へ参 ルブタを煮て夜

よりおおむらちょうさだのすけへまいるぶたをにてや


喰  を出春至(イタッテ)うまし

しょくをだす  いたって うまし


九  日曇  て大 西 風 寒 し頼(タノ)れまれ多る画を

ここのかくもりておおにしかぜさむし  たの れまれたるえを


所 々 へ遣  春幸 作 をおぢ様 と云フ四 歳 位

しょしょへつかわすこうさくをおじさまというよんさいくらい


能小童 あり實 ハ妾(セ ウ)腹 能子と云 蘭 語ヲ

のこどもありじつは  しょう ばらのこというらんごを


能ク覚 へて牛  肉 をクウベイスと云 馬 をパー

よくおぼえてぎゅうにくをくうべいすといううまをぱー


ルドと云 サツマ芋 を与(ヤレ)ハレツケル\/  とて喰ひ

るどというさつまいもを  やれ ばれっけるれっけるとてくい


个り今 幸 作 跡 ハ此 童  なり。レツケルハ美味ノ事

けりいまこうさくあとはこのわらわなり れっけるはびみのこと

(大意)

(補足)

「八日」、天明8年11月8日。西暦1788年12月5日。

「四歳位能小童」、後の吉雄権之助、天明5(1785)年〜天保(1831)2年。オランダ語は非常に巧みで、英・仏語にも通じ、蘭医レッケより外科を学んだ。シーボルトとも親交があり、その門下の日本人にオランダ語を教えた。著作も多数ある。

「實ハ妾(セウ)腹能子と云」、吉雄耕牛(幸作)(享保9(1724)年〜寛政12(1800)年)の妾の子で、耕牛62歳のときの子なので幼名を六二郎とよんだ。

「クウベイス」、オランダ語kooesvlees(コウエスヴレス)を調べると牛の肉とありました。

「パールド」、paard。「レツケル」、lekker。

 歴史上の人物の普段の姿が出てきています。

 

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