P27 東京国立博物館蔵
(読み)
と云 処 屏(ヘ ウ)風岩 アリ山 上 尓長 者 と云 者 アリ
というところ びょう ぶいわありさんじょうにちょうじゃというものあり
四 ツありし尓一 ツハ堀 て門 より金 多 く出多り
よっつありしにひとつはほりてもんよりきんおおくでたり
亦 海 邊尓穴 二 ツ並 てアリ一 ツハ上ミ十 五日
またうみべにあなふたつならびてありひとつはかみじゅうごにち
水 湧(ワク)一 ツハ下モ十 五日 水 湧クと云 深 キ事 ハ
みず わく ひとつはしもじゅうごにちみずわくというふかきことは
一 向 知レ春となり亦 国 分 寺ノ跡 岩 屋アリ
いっこうしれずとなりまたこくぶんじのあといわやあり
石 を畳(タゝン)で家 を造 ル亦 針 尾の瀬戸
いしを たたん でいえをつくるまたはりおのせと
より真 珠 を出春
よりしんじゅをだす
廿 三 日 曇 ル四 時 比 より安 兵衛案 内 して
にじゅうさんにちくもるよつどきころよりやすべえあんないして
観 音 院 此 寺 内 ニ鐘 アリ播 州 尾 上能
かんのんいんこのてらうちにかねありばんしゅうおのえの
鐘 と同 物 ニして天 人 を鋳多り平 戸嶋
かねとどうぶつにしててんにんをいたりひらどじま
(大意)
略
(補足)
「堀て」、掘て。土(つちへん)と扌(てへん)の違いですけど、どちらも意味はおなじようなもの。御城のまわりの堀(ほり)と穴を掘(ほ)る、のように使い分けられそう。
「廿三日」、天明8年11月23日。西暦1788年12月20日。
「四時比より」、朝10時頃より。
「尾上能鐘」、天明8年九月朔日、江漢西遊日記三 その26 に出てきました。
西遊旅譚四に図があります。
「岩屋アリ」、山石屋ではありません。
壱岐の島のことを興味深く語っていますが、足を運ぶことはなかったようです。
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