2025年8月22日金曜日

江漢西遊日記五 その27

P27 東京国立博物館蔵

(読み)

と云 処  屏(ヘ ウ)風岩 アリ山 上  尓長  者 と云 者 アリ

というところ  びょう ぶいわありさんじょうにちょうじゃというものあり


四 ツありし尓一 ツハ堀 て門 より金 多 く出多り

よっつありしにひとつはほりてもんよりきんおおくでたり


亦 海 邊尓穴 二 ツ並  てアリ一 ツハ上ミ十  五日

またうみべにあなふたつならびてありひとつはかみじゅうごにち


水 湧(ワク)一 ツハ下モ十  五日 水 湧クと云 深 キ事 ハ

みず  わく ひとつはしもじゅうごにちみずわくというふかきことは


一 向 知レ春となり亦 国 分 寺ノ跡 岩 屋アリ

いっこうしれずとなりまたこくぶんじのあといわやあり


石 を畳(タゝン)で家 を造 ル亦 針 尾の瀬戸

いしを  たたん でいえをつくるまたはりおのせと


より真 珠 を出春

よりしんじゅをだす


廿   三 日 曇 ル四 時 比 より安 兵衛案 内 して

にじゅうさんにちくもるよつどきころよりやすべえあんないして


観 音 院 此 寺 内 ニ鐘 アリ播 州  尾 上能

かんのんいんこのてらうちにかねありばんしゅうおのえの


鐘 と同 物 ニして天 人 を鋳多り平 戸嶋

かねとどうぶつにしててんにんをいたりひらどじま

(大意)

(補足)

「堀て」、掘て。土(つちへん)と扌(てへん)の違いですけど、どちらも意味はおなじようなもの。御城のまわりの堀(ほり)と穴を掘(ほ)る、のように使い分けられそう。

「廿三日」、天明8年11月23日。西暦1788年12月20日。

「四時比より」、朝10時頃より。

「尾上能鐘」、天明8年九月朔日、江漢西遊日記三 その26 に出てきました。

 西遊旅譚四に図があります。 

「岩屋アリ」、山石屋ではありません。

 壱岐の島のことを興味深く語っていますが、足を運ぶことはなかったようです。

 

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