P31 東京国立博物館蔵
(読み)
見へ遥(ハルカ)尓ハ對馬 壱岐を能ぞミ是 北 能方タ
みえ はるか にはつしまいきをのぞみこれきたのかた
なり近 ク尓小嶋 二 ツアリ二タかミと云 北 ノ方 ヨリ
なりちかくにこじまふたつありふたかみというきたのほうより
東 尓よりてマダラ嶋 あり之(コレ)ハ唐 津の領 也
ひがしによりてまだらじまあり これ はからつのりょうなり
西 ヨリ南 尓生 月 嶋 見ユ南 能方 安万(ヤスマン)嶽
にしよりみなみにいきつきしまみゆみなみのほう やすまん だけ
平 戸第(タイ)一 能高 山 なり西 方 日本 の地なし
ひらど だい いちのこうざんなりにしかたにほんのちなし
朝 鮮 国 見へ春゛夫 より白 岳 を下 り田助 浦
ちょうせんこくみえず それよりしらたけをくだりたすけうら
尓至 ル城 下能裏(ウシロ)半 里あり長 崎 の方 より能舩
にいたるじょうかの うしろ はんりありながさきのほうよりのふね
着(ツキ)なり故 ニ遊 女 あり廿 人 程 アルよし亦 地下
つき なりゆえにゆうじょありにじゅうにんほどあるよしまたじげ
能者 とて安(ヤス)者 六 七 十 人 あるとぞ遊 女 揚 代
のものとて やす ものろくしちじゅうにんあるとぞゆうじょあげだい
十 七 匁 雑 用 ハ別 なりさて吾カ連レ二 人アリ
じゅうしちもんめざつようはべつなりさてわがつれふたりあり
(大意)
略
(補足)
「西遊旅譚四」に白獄頂からの眺望図があります。
白獄頂にちゃんと「石の小き宮居」が描かれています。
「田助浦」、おなじく西遊旅譚四の画です。
いつもながら、遊郭があると江漢さんは遊女揚代から遊女の着ているもの髪形など、細かく観察して記しています。今となっては、江戸から長崎・平戸までの風土文化的な比較ができて貴重な記録であります。
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