P30 東京国立博物館蔵
(読み)
支那(カラ)ノ僧 なり故 ニ此 日をまつる俗家(ソツカ)ニても
から のそうなりゆえにこのひをまつる ぞっか にても
家 々 餅 を津き祝 ふ此 所 能者 短 日 と
いえいえもとをつきいわうこのところのものたんじつと
いえど喰(シヨク)を四 度春
いえど しょく をよんどす
廿 四 日天 氣ニして町 能商 家尓行キ四 枚 襖(フスマ)
にじゅうよっかてんきにしてまちのしょうかにゆきよんまい ふすま
裏 表 墨 画を描ク色 \/馳走 春る小野
うらおもてぼくがをかくいろいろちそうするおの
尚 益 と云 画師と共 尓帰 ル
なおますというえしとともにかえる
廿 五日 上 天 氣如春 四 時 ヨリ白 獄 ヘ登 ル其 路
にじゅうごにちじょうてんきはるのごとしよつどきよりしらたけへのぼるそのみち
一 里半 あり城 下を過 て家中 町 アリ夫 より
いちりはんありじょうかをすぎてかちゅうまちありそれより
野山 へ出テ野馬 を見ル絶頂ニ至リ石ノ小キ宮
のやまへでてのうまをみるぜっちょうにいたりいしのちいさきみや
居ありカヤ生 シて木なし眼 下尓大 嶋 宅 しま
いありかやしょうじてきなしがんかにおおしまたくしま
(大意)
略
(補足)
「家々餅を津き祝ふ」、冬至の日に餅をついて祝う風習でしょうか。現在残っている風趣はゆず湯かな。「此日」は「廿三日」、天明8年11月23日で西暦1788年12月20日ですから、旧暦だとこの頃が冬至となります。
「廿四日」、天明8年11月24日。西暦1788年12月21日。
「白獄」、現在の地図で赤い印のところが白岳(公園)。
古地図でも全く同じ。
一番北に位置するのが(的山)大島、その手前が度島。
平戸文化観光商工部観光課HPに「標高250mだが、ここからは平戸島の北部、生月島、度島、的山大島、壱岐がキレイに見渡せる地元の人しか知らない隠れた絶景スポット。車で行けるが、途中、離合が困難な箇所があるため十分お気をつけて運転を」とありました。
「宮居」、『みやい ―ゐ【宮居】① 神が鎮座すること。また,その所。神社。「神代よりつもりの浦に―して」〈千載和歌集神祇〉② 皇居を定めること。また,その所。皇居。「乙訓に―し給ふ」〈平家物語5〉』
どこへいっても、江漢さん近所の名所観光だけでなく、山々のてっぺんをめざし、その眺望を望んで画にしています。健脚のなせる技なのでしょうけど、やはり風景が大好きで得意な絵師ということであります。
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