2025年8月24日日曜日

江漢西遊日記五 その29

P29 東京国立博物館蔵

(読み)

桜  ハ八重一 重能まし里

さくらはやえひとえのまじり


サツマ桜  と云

さつまざくらという


此 塔 ハ此 地の者 冨人 ニして娘  ヲ

このとうはこのちのものふじんにしてむすめを


支那(カラ)へ嫁セし尓支那より是 を建 ルと云

   から へかせしにからよりこれをたてるという


亦 爰 尓半 田助 右衛門と云 者 甚  タ冨人 ニして

またここにはんだすけえもんというものはなはだふじんにして


右 の堂 塔 を建て亦 自身 能家 能前 ヲ

みぎのどうとうをたてまたじしんのいえのまえを


大 石 を以 テ往 来 能路 を五六 十 間 能間  を

おおいしをもっておうらいのみちをごろくじっけんのあいだを


しき津免今 尓其 まゝ在 今 其 末 甚  タ

しきつめいまにそのままありいまそのすえはなはだ


能貧 乏 となり居(スヱ)へ風呂(フロ)屋をしてかなしき

のびんぼうとなり  すえ へ   ふろ やをしてかなしき


暮(クラ)しなり此 日冬 至なり寺 々 開基(キ)ハ皆

  くら しなりこのひとうじなりてらでらかい き はみな

(大意)

(補足)

「此塔」、コルネリアの塔として知られているとありました。コルネリアは、亡父第5代平戸オランダ商館長コルネリウス・ファン・ナイエンローデの50回忌の1682年、供養塔を西の久保本成寺境内に建立した。これが『コルネリアの塔』である。そのあと、瑞雲寺境内に移された。 

 江漢さん、年よりや子ども、またここのように落ちぶれてしまった人たちには「かなしき暮らしなり」とそのまなざしはやさしくあたたかい。

 画に「年号 天和トアル」。天和年間は延宝の後、貞享の前、1681年から1684年までの期間、江戸の大火(八百屋お七の火事)などがあった。将軍は徳川綱吉。

 

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