P29 東京国立博物館蔵
(読み)
桜 ハ八重一 重能まし里
さくらはやえひとえのまじり
サツマ桜 と云
さつまざくらという
此 塔 ハ此 地の者 冨人 ニして娘 ヲ
このとうはこのちのものふじんにしてむすめを
支那(カラ)へ嫁セし尓支那より是 を建 ルと云
から へかせしにからよりこれをたてるという
亦 爰 尓半 田助 右衛門と云 者 甚 タ冨人 ニして
またここにはんだすけえもんというものはなはだふじんにして
右 の堂 塔 を建て亦 自身 能家 能前 ヲ
みぎのどうとうをたてまたじしんのいえのまえを
大 石 を以 テ往 来 能路 を五六 十 間 能間 を
おおいしをもっておうらいのみちをごろくじっけんのあいだを
しき津免今 尓其 まゝ在 今 其 末 甚 タ
しきつめいまにそのままありいまそのすえはなはだ
能貧 乏 となり居(スヱ)へ風呂(フロ)屋をしてかなしき
のびんぼうとなり すえ へ ふろ やをしてかなしき
暮(クラ)しなり此 日冬 至なり寺 々 開基(キ)ハ皆
くら しなりこのひとうじなりてらでらかい き はみな
(大意)
略
(補足)
「此塔」、コルネリアの塔として知られているとありました。コルネリアは、亡父第5代平戸オランダ商館長コルネリウス・ファン・ナイエンローデの50回忌の1682年、供養塔を西の久保本成寺境内に建立した。これが『コルネリアの塔』である。そのあと、瑞雲寺境内に移された。
江漢さん、年よりや子ども、またここのように落ちぶれてしまった人たちには「かなしき暮らしなり」とそのまなざしはやさしくあたたかい。
画に「年号 天和トアル」。天和年間は延宝の後、貞享の前、1681年から1684年までの期間、江戸の大火(八百屋お七の火事)などがあった。将軍は徳川綱吉。
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