2025年2月23日日曜日

江漢西遊日記二 その54

P64 東京国立博物館蔵

(読み)

能堂 アリガマの大 樹 アリて其 傍  ラ六 角 能

のどうありがまのたいじゅありてそのかたわらろっかくの


塚 アリ是 人 魚 ツカなり前 尓僅(ワツカ)の流 レアリ

つかありこのにんぎょづかなりまえに  わずか のながれあり


蒲(ガ)モウ(生)河 是(コレ)也 人 魚 塚 ハ八 角 ニして文

  が もう   がわ  これ なりにんぎょづかははっかくにしても


字見へ春゛高 サ一 尺  一 二寸 下 ノ臺 石 横 一

じみえず たかさいっしゃくいちにすんしたのだいいしよこいっ


尺  三 寸 位  亦 四角 の塚 ハ救世(クセ)ぼさ川能津可

しゃくさんすんくらいまたしかくのつかは   くぜ ぼさつのつか


と云 人 魚 ハ蒲生 川 よりあかる推 古帝 二十

というにんぎょはがもうがわよりあがるすいこていにじゅう


七 代 四月 四 日聖  徳 太 子崩 御 の時 と云 日本

ななだいしがつよっかしょうとくたいしほうぎょのときというにほん


記ニアリ夫 よりニ里程 行キて石塔(ドウ)村尓

きにありそれよりにりほどゆきてせき どう むらに


至 ル其 一 村 尓入 ルとそこらあ多り皆 石

いたるそのいっそんにはいるとそこらあたりみなせき


とう能片 和れなり寺ラアリ石 塔 寺と云

とうのかわわれなりてらありいしどうじという

(大意)

(補足)

「人魚ツカ」、日野小野(この)にある。この二つの単語で検索すると、いわれがわかります。

「石塔寺(いしどうじ)」、赤印のところ。そこから4時方向に人魚塚。10時方向はもう琵琶湖。 

「石塔」、石塔婆(せきとうば)、石卒塔婆(いしそとば)ともいう。石造りの墓塔、供養塔の総称。遺物では、ここ滋賀県石塔寺三層塔が最古、花崗岩の高さ8m前後。

 

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