2025年2月3日月曜日

江漢西遊日記二 その34

P42 東京国立博物館蔵

(読み)

木 唇 ハ五十  余能人 也 居へ風呂を立 湯尓入レ

もくしんはごじゅうよのひとなりすへぶろをたてゆにいれ


食  事して休 ミ个連

しょくじしてやすみけれ


四 日天 氣然  とも時 々 雨 朝 五時ニ爰 ヲ立ツて

よっかてんきしかれどもときどきあめあさごじにここをたって


津能町 を見る尓町 よこ多てニアリて往 来 ハ

つのまちをみるにまちよこたてにありておうらいは


入 口 より出口 まで二里程 あり能 渡海 也

いりぐちよりでぐちまでにりほどありよきとかいなり


夫 ヨリ雲 津と云 処  ニ至 ル雲 づ川 を渡 ル此 川

それよりくもずというところにいたるくもずかわをわたるこのかわ


伊賀山 ヨリ流 ルと云フ亦 河 を二 ツ渡 ル此 間(アイ)多゛

いがさんよりながるというまたかわをふたつわたるこの  あい だ  


松 阪 を通 ル能 所  ニて江戸駿 河町  三ツ井と云

まつざかをとおるよきところにてえどするがちょうみついという


越 後や能本 家アリ一 町  程 住ム大 家也 津ト

えちごやのほんけありいっちょうほどすむたいかなりつと


違 ヒ横 町  ハあまりなし爰 ヨリお王多と云フ処  へ

ちがいよこちょうはあまりなしここよりおわだというところへ

(大意)

(補足)

「居へ風呂」、『すえふろ すゑ―【据え風呂】→すいふろ(水風呂)に同じ』『すいふろ【水風呂】桶の下部が釜になった,水から沸かす形式の風呂。湯を汲み入れる風呂や蒸し風呂に対していう。「年に一度の―を焼(たか)れしに」〈浮世草子・世間胸算用•1〉』。五右衛門風呂のようなもの。当時、家にこのような風呂があるのはそれなりのお家。

「八月四日」、天明8年八月四日。1788年9月3日。

「朝五時」、朝八時頃。

「渡海」、海を渡るわけがないので「都会」のまちがいでしょう。

「雲津」、津の街の名に引きずられたようで、「雲出」(くもず)です。地図の中央付近。

 松坂はさらに下の方、河の流れているところにあります。

「江戸駿河町三ツ井と云越後や能本家アリ」、三井高利が江戸時代に日本橋に開業した呉服商・越後屋は、現在の株式会社三越伊勢丹ホールディングス。

「お王多」、「小俣」(おばた)。地図の左上、太い川があるところ。そのまま右下に進むと外宮があり、さらにすすむと内宮があります。

 もうすぐ伊勢神宮です。

 

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