2025年2月4日火曜日

江漢西遊日記二 その35

P43 東京国立博物館蔵

(読み)

四里此 日多 ク歩行 春甚  タく多びれ多れハ一 里

しりこのひおおくほこうすはなはだくたびれたればいちり


手前 新 茶 屋と云フ処  尓泊 ル此 邊 六 月 比 大

てまえしんちゃやというところにとまるこのへんろくがつころおお


水 出多りと云

みずでたりという


五 日天 氣ニハあれとハラ\/雨 朝 出  立 して宮 川

いつかてんきにはあれどはらはらあめあさしゅったつしてみやかわ


能渡 シ渡 レハ山 田皆 町 續(ツ〃)く皆 瓦  屋なり

のわたしわたればやまだみなまち  つづ くみなかわらやなり


日本 国 中  ヨリ人 能来 ル処  故 繁 昌  能地也

にほんこくじゅうよりひとのきたるところゆえはんじょうのちなり


先ツ下宮 ヘ参 詣 春夫 ヨリ中 能地蔵 と云 処  ニ

まずげぐうへさんけいすそれよりなかのじぞうというところに


寂  照  寺尓月 仙 と云 画を描ク坊 主住 ケル

じゃくしょうじにげっせんというえをかくぼうずすみける


故 ニ尋  ル尓月 仙 出て逢ヒ吾 ニ向 ツ 云 ニハ其

ゆえにたずねるにげっせんでてあいわれにむかっていうにはその


か多ハ何 人 なりやと云フ吾 ハ東 都のものニて

かたはなんぴとなりやというわれはとうとのものにて

(大意)

(補足)

「新茶屋と云フ処尓泊ル」。左上に松阪、右下に新茶屋村があります。 

「五日」、天明8年八月五日。1788年9月4日。

「ハラ\/雨」、『② 木の葉・花びら・雨・涙のような軽いものが,少しずつ続いて静かに落ちるさま。「―と花が散る」「涙が―(と)落ちる」』。『ぱらぱら① 比較的小さな粒状の物が,少量ではあるが連続的に落ちかかるさま。また,その時に出る音を表す語。「雨は朝のうち―と降っただけだ」「塩を―(と)ふりかける」』。

「宮川能渡シ渡レハ山田」、小俣村の右下が宮川で渡れば山田村、すぐ外宮です。

「下宮」、外宮。

「月仙」、寛保元(1741)年〜文化六(1809)年。江漢よりも少し遅れて銅版画を志した。寂照寺には月仙の書画が数多く残されていたが、明治14年火災にあい、多くは焼失した。

 江漢さんはお坊さんが嫌いです。「月仙と云画を描ク坊主住ケル」という表現にもそれがにじんでいるようです。

 

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