2025年2月9日日曜日

江漢西遊日記二 その40

P50 東京国立博物館蔵

(読み)

入 又 渚辺 を行キ磯 津多えへ行 事 なり池

いりまたなぎさをゆきいそづたえへゆくことなりいけ


の浦 と云 処  池 の様 ニ海 入 込ミ飛 嶋 亦 ハ七 ツ

のうらというところいけのようにうみいりこみとびしままたはななつ


嶋 と云 処  アリおもしろき処  なり夫 より松

しまというところありおもしろきところなりそれよりまつ


山 過 て鳥羽(トハ)尓至 ル八時半 比 なり爰 ハせま

やますぎて   とば にいたるやつはんころなりここはせま


き所  なれと大廻(マワ)し能舩 爰 ニ舩ナか〃里春る

きところなれどおお まわ しのふねここにふながかりする


所  なり旅 館 多 し爰 迄 五十 町  一 里にして四里

ところなりりょかんおおしここまでごじっちょういちりにしてしり


能路 ナリ旅 館 能裏 能口 より出テ四五町

のみちなりりょかんのうらのくちよりでてしごちょう


山 ニ上 ル即  チヒヨリ山 と云 山 上  ニ小 サキ亭 能

やまにのぼるすなわちひよりやまというさんじょうにちいさきていの


如 キありて四方 を眺 武ニ嶋 数 々見 ヘ能き

ごときありてしほうをのぞむにしまかずかずみえよき


風 景 なり爰 ニヒヨリを見定 メ舩 ヲ出タ春と

ふうけいなりここにひよりをみさだめふねをいだすと

(大意)

(補足)

「飛島」、上部中央緑色の島。

「八時半」、午後三時頃。

「大廻(マワ)し」、『おおまわし【大回し】

② 小さな港には寄らず,主要港間を行く航海。特に,江戸と大坂を結ぶ航路にいう』。紀州から鳥羽に入った舟は、ここから下田まで直行した。

「ヒヨリ山」、上の地図にも坂手島があり、その向かいの山が日和山。 

 現在の日和山の写真。 

 現在でも頂上には展望台があります。写真では登るのが大変そうに見えますが、江漢の日記では散歩がてらにちょいとと言う感じです。

 

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